遊具のない遊び場

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日記 7月25日

 今日は連休最後の日だ。水曜日に大企業のオフィスツアーでモヤモヤした。翌日から休みが始まった。労働者になってからもう1年と4か月経過したが、いまだに休日の過ごし方が分からない。そもそも正解なんてないんだろうけど、大抵は充実した休日とは言いがたい。振り返ってみると、特に何もしていないなと思う。人に会えると何か楽しかったと思える。4連休はそうやって過ごした。友人と喫茶店で話して映画を見た。

それで明日から仕事が始まると思うと、気が重たくなる。なんで仕事をしているんだろうと思う。モチベーションがほとんど存在しない。いつもそうだが。

今日は連作短編を一冊読み終えようと思っていたが、半分ぐらいしか読めなかった。途中、これみよがしな描写がありつつ、比喩が頻出していて、苦しくなった。面白いけど、面白いのかこれ・・・みたいな本だと思った。楽しみ方が固定されているように感じた。導いてくれていたともいう。繊細な感情?掃除婦のための手引書を読んでここ最近の最高を更新してしまったから、ハードルが高くなっているのかもしれない。途中、思いっきり引き裂いてしまおうか悩んだが、まだ読み終わっていないため、やらなかった。そういうことを考えれたのは時間の使い方が大学時代とまったくおなじだったからかもしれない。平日、仕事で不安になったり、やきもきしていたりすると、そういったことを考えられなくなる。仕事のことを忘れて、時間を過ごせることの幸せなのかもしれない。

関係性の読み方をするとどうしても閉じてしまう。どうやっても個々人の感情に引っ張られて、そこばかり見てしまう。多分、まだまだ読むのが下手。

オリンピックのスケボーを見ていた。堀米選手が金メダルを取ったし、見ていて楽しかった。でも楽しいなと思っても、本当に楽しんでいいもんなのだろうかみたいな気持ちにもなった。オリンピックを楽しみことはなにか罪のような気持ちにもなる。楽しむことが政治的になってしまった。でもサッカーを観てしまう。やだな。オリンピックの開会式もゲーム音楽を流して、とか瞬間的な快楽を与えれば、オリンピックへの態度が軟化するというか、風向きが変わるかみたいな、そういう匂いがして嫌だと思う。オリンピックはロゴ盗用などから始まり新国立競技場の建設、感染対策もままならないとか、開会式のキャスティングとか、国民の方を見ていない現政権への不信感を高め続けていたけど、ここでオリンピックを楽しむことは、その現状を容認していると受け止められてもおかしくないし、自分自身も、こういうことを書いたり考えないと簡単に流されてしまいそうだ。

感情がこの社会の根っこなのは確かだと思った。やっぱり。好感といってもいい。感情などなど。七草にちかかわいい。どんどん馬鹿になっていく自分をよく感じる。学生の時は頭が良かったかと言われたら、そんなことはないと即答できるが、今はもっとバランスが取れていないと思う。理性の。

小説を進めなきゃいけないと思いつつ、まったく書けない。単純に日を開けると気持ちが続かない。なんというか仕事とプライベートでメンタルが全然違う。はなればなれになっている。仕事を忘れないと、何かをぼんやりと考えられない。

退屈だったから何か行動ができて、暇だったから些細なことも気にすることができた。現状、厳しい。仕事はまだミスばっかりだし、なにかがうまくいったことは一度もない。頑張ろうと思えない。そういう意欲が湧いてこない。こんなことして何になるんだろうという回答がないかかもしれない。または自己実現を望んでいるのかもしれない。仕事になにか期待をしないと、モチベーションが上がらない古いタイプなのかもしれない。典型的なアホ。

仕事がないだけでこの休日が穏やかに過ごせた。まず間違いなく営業職は向いていない。初対面の人間との距離感が分からない。それも仕事という立場がはっきりしているような状態で。学生時代から誰かに気に入られようとしてきてこなかったから、あまりうまくいかないのかもしれない。分からない。

立場、たぶんそれが苦手。敬語、めちゃめちゃ下手。目上とか年齢で決まっているし、なんか尊敬できる人間とか、ロールモデルみたいな人がいない。そんなの求める前に自分でなんとかするべきなのだろうけど。

ただ、社会不適合者なのかもしれない。社会に適応できていない。