遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに 。twitter @michiru__nagato note https://note.com/a_maze_amazes_me

「あずにゃんの気持ち」すぎるぞ、いくらなんでも。

 折坂悠太の新曲がすごくいい。tofubeatsも最近のツイートで自分の曲がコロナウイルスやそれに関連する政府の対応と結びつけて意味を見出すことができることに対して恐々しているのか?。まあ折坂悠太の曲もリスナー側が見出そうと思えば、そうできるだろうなと思う。よく小さな物語の氾濫など(情報の洪水ともいうかも)言われているが、個々人が社会の事象をそれぞれ意味づけることができるようになったらしいけど。まあそれは今どうでもいいけど。ぶっちゃけコロナウイルスと結びつけて考えるのってかなり強引だと思う。みんな恐怖でパラノイアになりつつあるね。
 そうそう、折坂悠太の新曲「トーチ」の話をしようと思ったんだ。あと、最近に起こったこととかを書いておこうって感じで書いているんだ。
 じゃー、1折坂トーチ 2 追いコンと卒業 3 四月に入ってからのこと って感じでのこしとこ

 折坂悠太はもともと「平成」っていうアルバムで知った。宇多田ヒカルツイッターで引用リツイートだかなんかで見た気がする。それで宇多田ヒカルが好きなら俺も好きになるだろうと思ってSpotifyで聴いた。こういうフットワークが軽くなるのがストリーミングだな。それで聴いたらめちゃめちゃいいの。ワールドミュージックっぽくて、でも聴いてて飽きにくいと言うか、潤いがある。しゃきしゃきレタス、それと小雨の真夜中。ワールドミュージックとかはあんまり聴いたことはなくて、ぶっちゃけ印象としては垂れ流しできる心地のいい音楽で特に集中してきくことはあまりないっていう感じ。折坂悠太の印象は言葉にするのが難しい。けど、だから惹きつけられるのかもしれないな。ちなみに中村佳穂は楽しい音楽。完全に折坂悠太を聴くようになったのは、直接的なきっかけではないものの、『平成』という曲の歌い出しがすごい印象的でつい信用しちゃうんだ。ここ、信用を好きって言い換えても構わないよ。わしが好きって言ったら信用しているし、信用していると言ったら好きってことだから(まあアーティストを好きって言ったらほとんどそういう意味。曲が好きな場合は違うけれど)。歌い出しは「平成、疲れてた」。あと「揺れる」もいい。歌い出しは「そちらは揺れた」。よく自然災害とか社会全体が危うくなった時、なにかを作る人間がそれに対する物を作ったりするのをみてしまう。ラッドウィンプスとかコロナに対する反応で曲リリースしているし。ファンとしてはうれしいだろうし勇気づけられるのかもしれないけれど、僕はやっぱりそういう広告交じりっぽい曲?(バズ?)がどうしても好きになれない。そのうちぼきは拍手をするか下賤だとなじるかの二つのリアクションしかできなくなりそうだ。コロナがなかったらその曲はなかったのだろうか。まあ今はどうでもいいか。比較して折坂悠太について自分がどう思っているかをはっきりさせたくなってしまった。あまりよくない。言えるのは絆とか愛だとか綺麗すぎる言葉は抽象的で、本当のところ寄り添ってはくれないだろうなということ。ドブネズミがなぜ美しいと歌われたのかを考えてもみてほしいよ。まあドブネズミが美しいっていうのも、美の論理ではなくて、個々人の価値観という面が強いとは思うけどさ。とにかく、そういうことにしておいておこう。
 新曲のトーチはほとんど同じような言葉がリフレインされていく。歌詞をググってみてくれ。そのリフレインが少しずつ、数単語が変わることで、物語が動いていく、(ように感じる)。私は折坂悠太のこういうゆっくりした歌が好きで、いつも電車で家まで帰る感覚がある。早く安心したいって感情にされる。多分、こういう印象っていうのはその音楽があったシチュエーションにめちゃくちゃ左右されるんじゃないかと思う。京都音楽博覧会2019で生の折坂悠太を聴いたし見た。京都音博、好きな人たちと行っても楽しんだろうな。あのフェス、本当に良かった。その帰り道、新幹線でフェス良かったなって思いながら折坂悠太のアルバムを聞いて帰ったから。つまりはさ、なにかが終わった倦怠感があるけれど、聴いている自分としては何かが始められそうな期待が湧いてくるの、うれしくなっちゃうな~(@o@)P 日々を過ごしている間に忘れがちになってしまう実感を掬い上げてくれる歌はいいもんだね。まあ音楽は水ではないけど、なくなったら困っちゃうね(そんなことがありえるだろうか? いやありえない。)。ところで、二人きり:二人だけ の違いってなんだと思う? 俺は二人きりだと内側にエネルギーが向いているんだけど、二人だけだと外側にエネルギーが剥いてるように思うな。わしら二人きり、とわしら二人だけって違うよね。どうでもいいかそんなこと。みんなも好きな音楽を聴いてこ。それで折坂悠太も好きになったら、喜ぼ。

 

 結構、日が開いちゃったけどサークルの追いコンとか卒業したことに対して、なにか書いておきたい欲がある。というか書いておきたかったんだけど、書く気にならなかった。不思議な事なんだけど、年を越してから文章を書きたい時じゃなくて、書けそうな時に書いているからね俺。だから日記みたいなのが増えてるし。まあ感情が先走って勢いで書くときもあるけど。
 学生自体の振り返りを卒業への感想としよう。その二つはあまり変わらないと思うから。そしたら追いコンの日にあったことを忘れないように文字にとっておこう。
 大学の4年間をここに要約することなんて到底無理だし、大抵誰だってそんな簡単な人生を歩んでないし、̪̪oh shit~。推しって言葉、あんまり好きじゃないんですよね(人によってニュアンスは違うと思うけど)。卒業した実感が薄くて、昨日自宅に届いた卒業証書も思い出じゃなくて事実としてそこにあるだけだし、ちゃんと卒業式があれば思い出になったのにね。誰かと話したとか、久しぶりにあった人が面白い人だったとか、別にいつもと変わらなかった、とかさ。なにかを感じることができたんだろうな。だって入社式の朝、何も変わってなかったもん。なんなら今も変わらない。しいて言えばyoutubeとかを見る時間が減ったぐらい、あと小説を読むぐらいの余裕がないとか、乗る電車が変わったとか。そう考えるとだいぶ変わってはいるなと書きながら思う。多分、変わったと思いたくないんだろうな自分が。
 正直、大学生活の振り返りを今ここでしたとしても出てくるのは後悔とかこうしておいた方が良かったなとか、そういうことばっかりになりそう。だからこうして無駄な文章を書いて、なにかないかを探している。大学生活の楽しかったところってなんだ。図書館で文芸誌をタダで読めたこと?サークル?講義?楽しかったことの方がたくさんあるから何も書けないんだと思う事にしようかな。楽しい事ってごつごつしてないもん。英文学特講5面白かったな。結局前期は三人、講義は一人で講義受けてたもん。あとは調査実習とかも今思うと楽しかったし、イギリス旅行も楽しかったし、卒論はつらかったけど。大学一年の時もバイト辛かったけど。いけね。でも大学で良かったのは友達が増えたことなのかもしれないな。ぶっちゃけ卒業について書くことなんかないのかもしれない。それは何も感じていないわけではなく、ぶっちゃけ自分が関係を続けたいと思う人とは会うだろうし、それ以外の人もなにかで会う機会があるかもしれないだろうし、未来のことと結びついちゃっててなんも言えんくなっておる。書くたびに嘘が増えていく気がするから、下書きに保存しておこう。書けそうなら、また書こう。

 追いコンの時も卒業の実感が足りなかった。正直、みんなちやほやしてくれって思ってた。もっとちやほやしろ! そうそうだから、いつも通りの打ち上げみたいで、わしが文芸サークルにいた意味は?みたいなことを考えたんだけど、そもそも他人から意味を与えてもらおうとする、あるいは与えられるほど、文芸サークルに対して良いことをしたとかないから、そらそうよね。しかも、文芸サークルって活動機会が少ないし、そうな風にはならんかって思った。でもね~~~~~~!!!!仲のいい後輩がね!あずにゃんの気持ち!ウオオオ!やばい。思い出したらウオオオ!になってきた。ってか追いコンも別にいつも通りでよかったんだなって思うわ。俺が高校生の頃も、卒業式とかの日って別に何かが変わるわけないしって思ってたし。なんかハッキリお別れを告げられる方がつらいだろうし。俺が後輩だったら絶対おわかれしたくないもの。まあそれほど慕われているかは甚だ疑問だがね。あっそうそう。でも五反田でカラオケオールしたよ。初めて。それでね、その時にchoo wavy de gomenne(remix)を歌おうと思ったらボロボロで恥ずかしかったから、最近練習して音程はガバいけどリズムは取れるようになった(意味はないが楽しい)。今度カラオケ行く時あったら歌男。ぶっちゃけ、カラオケは仲のいい人たちだけで行った方が楽しいと思う。
 で、五反田から帰る途中、煙草を吸ってがちがちの文学好きがサークルに入ったらおもしろそうだとか話した。実際はいってほしい。文化祭に行くかどうかは分からないけれど、とりあえず春トラッシュは欲しいから、ついでに秋トラッシュももらおうかな在庫の余裕があったら。文芸同人会~最高~(恐ろしいほどアイロニカル、もはや自己啓発)。
 そんで~帰りの電車でさ。松海が今の気持ちを「あずにゃんの気持ち」って言ったんだよ。はい、それはウオオオ!だね。やばい、ウオオオしか言えない。その回答、あまりにも質が高い。感情を表す単語は数あれど、それらを使わず、「あずにゃんの気持ち」、はあ(感嘆)…………漢(おとこ)すぎる。いくらなんでも良すぎて追いコンがまるっと最高になったわボケ。おいおいおい、朝焼けを目の前にして言うことじゃねえよ。twilight、朝焼けを夕焼けとして、僕らが目にしている風景や、窓に映る僕ら三人の姿が、放課後ティータイムのように重なるのだとしたら、それはとてつもない……(放課後テータイムはイデアだった?)。ううっ天使に触れたよ。。。。になってしまうになるに決まってんじゃん。遊びさあ!富士山が見える。空気は少し寒いくらい。

 

 あ、入社して三日間出勤したけど、なんとかなるだろうなって思うわ。もちろん緊張はするけど、良い人が多そうだし。そうそう朝5時に起きて6時には家を出る生活を一年間続けたら、一人暮らしをしようと思うんだよね。ここで問題、前島はどこに住みたいと思ってるでしょうか? ヒント、聖地!漏れのオタク精神のorigin……。あ、5月の終わりまで栃木に研修に行くので、帰ってきたら頃合いを見て再会しましょうね。

 

 

 

 

 

 「あずにゃんの気持ち」でしばらく生きていけそうやわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あずにゃんの気持ち」あまりに良すぎるぞ、いくらなんでも。

 

 

 

 

 

なぁ、本当にどうしたら「あずにゃんの気持ち」っていう言葉が出てくるんだ?良すぎるぞ?

 

 

 

迂闊に最強の言葉を使うな!!!!