遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに 。twitter @michiru__nagato note https://note.com/a_maze_amazes_me

将来はランボルギーニ(ブォンブォン!

最近になって小話を作りたくなっている。というよりかは、「これがこうなるシーン」を書きたくなっている。だから、その間の「こうなって」を考えている。できた小話を小説と自分が呼びたいと思うかは、完成してみないと分からんけど。

小説ってなんやろって思うことがある。割と自分の中で物語と小説は別物として考えていて、その線引きが物語と文学って言った方が伝わりそうな気がするけど、文学ってなんやろって考えると余計に難しそうだし(詩なんかも入ってくるだろうから)、それを狭めるために小説を使っている。それに物語は映画にも漫画にもドラマにも共通してあるから、小説っていう表現媒体の物語ってなんだろう、パズルのピースがハマるみたいに小説と物語が噛み合うのってどうやればいいんだろうとか考えている。

書きたいテーマがあるが、物語が作れないので止まっている。コロナについて自分が感じたことを残しておきたいと思っている。小話を作ろうとする原動力に、確実に、記憶と記録を保存したい欲求があることを僕は認める。事実を書くだけでは足りなくて、かといって記憶だけでも満足できないから、その両方をカバーするために文章を書こうとしている。その時の自分が考えていることを、言葉じゃなくて感覚で伝えられるように(???)

だから、今自分の置かれている状況や生活を把握しなければならないのだが、どーもそれが難しい。でも久しぶりに考えているって、身の回りのことじゃないことを考えていられていると自覚しているのは悪くない。空想サイコー!ってなもんで。その空想と自分の実感が混ざってくれれば、そりゃ最高。実感のある言葉を探すのは大変よね。こういう思ったことを適当に書くだけなら簡単だけど、全体を考えながらそれをやるってむずいな。まあ、あまり考えすぎない方が良いとは思うがね(考えずに出来るようにするためには強い感情とか意思とか恨みつらみが必要なのかもしれん。ちゃんと毎日過ごしていても忘れられないぐらいに強い何か)。