20250414
65歳のおじさんが中途で入った。取引先の元役員。すでにうちは管理部の人を工場長としてやっていたので、天下り感が増えてた。
その人はやる気があるみたいで、これはこうした方がいい!みたいなアドバイザー的に動こうとしているみたい。でも前の会社の感覚でそれやられてもって感じでなんだか不穏。そして俺の方にも矛先向けて来そうで不安。
そういうのもあって帰りの電車では希死念慮がやってきた。懐かしい友達やと思って、できふだけ流した。でもまぁなんか暗い気分になった。
それで家に着いてダラダラしてたらJJJが亡くなったってニュースが入って来た。そしたら、希死念慮どっかいった。マジかよ早すぎだろと思ったし、新譜のリリースを楽しみにしてるラッパーだったから、結構ショック。唯一無二なフロー、言葉をキレキレにするベロ。しかも日本語で。
LPを買った名盤。今度の土曜にきこうとおもった。
フレシノがライブでチェンジ歌ったから、それめ、悲しみを癒そうとするストーリーを作ってる人も多かったし、あのいいねはそう意味なんだろうなって思う。たぶん、昔の俺ならキッチュな感覚として軽蔑してるだろうなと思う。実際、フレシノがチェンジを歌ったこと、そしてそのことに多くの人が同じように悲しみを消化しようとしていることに、JJJの偉大さだったり、FEBBと絡めてのストーリーを、まったく名前を知らない人と共有してる感覚に感動をする人間だって多いはずだし。実際そういうのきしょいし。
なんか中学生の頃の友達が、というかよく休み時間とか中休みにつるんでた友達が2人いるんだけど、その2人とももう亡くなってるんだけど、死んだってことを知った時にあんまり悲しくならなかったと言うか、寂しいって感じ。だから涙も流せなかったし、それがひっかかってたんだけど、なんとなくだけど、わかってきたかも。もしも、今よく遊んでる仲良い友達が死んだらめっちゃ悲しいんだろうなとわかる。でも昔、そうなんだよねーむかしになってたから、寂しいって感じなんだよね。過去に穴が空いた気分ってかんじ。今に穴が空いた感じじゃなくて、だから痛みとかもあんまりなかったのかも。と思うな。
なんか最近、他人を理解することよりも、感じることのほうが、ちかいのかもとか思う。
言葉でも理解させるじゃなくて、感じさせるが、近いっていうかさー。
まあ明日納品いくからJJJきこ
FR20240821
なんで自分が物語を信じるだとか、文学を信じる、みたいなことに違和感を覚えるのかがなんかわかった。コミットしないからだ。大体、読者として本に接する場合は信じていいと思う。でも書く人間がそれを言い始めたらどうなんだって思う。結局、小説とか漫画っていうのは題材があったうえでそれを書くわけで、そのほとんどが当事者ではなく、また特権性をもたないわけ。まあまれに当事者文学はあると思うけど、それについてはまた今度なんか思ったら追記するって感じで。それで、当事者ではない人間がある問題を書こうとした時に、結局それは自分の身の回りのことでもなく、それが問題だと理解してもあくまで第三者的立場を保たないといけないじゃん。だから結局、外野からあれやこれや言っているだけで、本質的にはその問題にコミットするわけではない。だからそういう人間が物語を信じるって言って盾にしているのが嫌なんだ。ただ当事者じゃなければ書けないというのも息苦しいっちゃ息苦しいと思うけど。
なんで信じるんだ。小説を読む、書くということ。特に最近は読む方で、当事者やコミュニティの問題点を知る=現実を知るみたいな意味も込めて読まれていることも多く(芥川賞とかは特に顕著だと思う)、実際に小説の評価項目に時代性もあるから、そうならざるを得ないとは思うんだけど、なんかそっちに寄りすぎてないか?という感じもある。そういうことっていうのは、そこに書かれているコミュニティや当事者の内、その問題を抱えていない人間にも、そういった眼鏡をかけて見られる危険性もあるわけ。それって暴力的すぎない? そういう危険な読書について無自覚に、信じるっていう言葉が使われていると感じる。俺がナイーブなだけなんか。分からん。
なんかさ、自分が書いていてそういうことが絶対的にあると思うし、そういう危険なことをしているような気がしてしまうんだよな。なんか、そういうところから離れたところにいたいけど、なんかそこには面白さを感じないっていう感じになっている。乗り越えたいね=。だからコミットという面では自分で書いていることについて責任を持つ、ということを実践しようとしていた大江健三郎はすごいなーと思うし、そういう社会へのコミットメントをするアーティストを馬鹿にすることはできない。最近よく思う。
なんか自分が書いたものを読む人間はほぼいないから、意識だけ高いなと自分でも思うが。それを表に出そうとも思わないけど、まあそんなことを考えました。
FR20240819
FF比がふぉろわーのほうが多い人間のノートを見ると自意識にまみれた文章を読むことができる。さらっと無害なものが流れていて、その流れている感じが良いねってなる。でもなんかちょうどよく人より優っている環境にいるなと思わされることが文章の節々にあって、うーんこの感じはいったい何なんだろうって思う。例えば、結婚していたり、たくさん小説を読んでいたり、職場環境もよさそうだし、休みの日にはちゃんと出かけて、その日あったこととか覚えていることとかを残していて、つまりなんだ、ささやかだけど理想的な生活を、こぎれいな文章とともにプレゼントって感じか。なんかいいなーってなる。それと同時に俺ってどうよ、みたいな気持ちにもなる。まあでも、その人になりたいかと言われると全然そんな風には思わないんだけどね。でも文章の感じとか、それ、俺もやりたいんだよなーみたいなところあるからジェラスしてんのかも。文章の感じっていうのは本当について回るなと思う。自分がああいった自意識に対してこうしていこうとか、こういう日常で済みたいな説明的な感じができるかと言ったら、多分難しい。なんかいい感じに余韻を残しながら、良い感じのこと言うみたいな。ちょっと憧れなんだ。
例えば、最初の書き出しを少しおしゃれにして、私はこう思っていますっていうことを面白おかしく書くのって才能やんって思うな。なんか小説っぽいエッセイみたいな感じで、これ目指して8月31日のサッカー観戦について書けたらいいなー。うん、そうしよう。24歳結婚済み、HSP女になろう。ずっと思うんだけど、俺って結構昔のこと覚えてないんだよね。その時どう思っていたかとかそういう感情的なこともあんまり覚えてない。他人のノートを読むと、過去のことが頻出で、思い出しすぎやろとも思うんだけど、まあなんていうか、そういう過去のことをあんまり覚えてないんだよね。過去に読んだ小説のこととか、気に入っているやつは多少は覚えているけど、なんか違うんだよね。多分書きながら補完しているでしょ感情を。なんかそういうのってずるいなー、やっぱ感情は瞬間だろみたいな気持ちもありつつ、そういうふうに無意識的に補完できるのも才能の気がする。多分知らず知らずのうちにしているんだろうけど。ああ、あとやめていった先輩もあのノートを読んだら文才があるって言うんだろうな。文才ってなんだよ。ウェルベックになってから言ってほしい。読みやすい文章っていうのが、多分、平易な言葉づかいで書かれているものではなく、思考をそのまま読み込めることなんだろうけど、それで言ったら文才はあるのか? でもなんか演技っぽくて鼻につくよな(笑)。
FR20240623
少し前まで小説を書くことが楽しかったもんだから、書きたいことはあるけれどそこまで行くのに退屈だなと思いながら書いている現状に不満足ですわ。いろいろと考えてみるけれど、こんなに退屈な感じなのになんでみんな書き続けられるん?みたいな。前うまくいったときは物語レベルではなく文章レベルでイシューというかこういうことをやろうみたいな課題を自分で作れてたからなのかもしれん。例えばフードコートだったら、気持ち悪く長い文章を書くのが楽しかったし、アキネーターとドーナツはアリスミスだったしクソな労働は木下古栗だし、そういう作家の模倣みたいな、イメージみたいなのをしようとして、かつそれが楽しかったからいいんだけど、今書いているクマノミとイソギンチャクはアリスマンローとおこなーなわけで、マジでまったく歯が立たん。プロットレベルだとおこなーの善良な田舎の人みたいに大きな転を作って終わりにしようとしているし、中身の部分はおこなーの仕事場みたいな感じにしたい。ただ、なんか文章の推進力が足りない。一人称とは違う三人称でこれは書きたいから。ただ、それにしてもどちらかの視点に立ちたいわけで。いや、どちらの視点にも立ちたいけど、テーマとしては他者になる。共生がある程度の表立ったテーマだけど、最後には他者にしないと面白くないと思っている。落ちとしてね。ただ本当に文章の推進力がなー。やっぱり会話させるとあまり楽しくないっていうか、そればっかりに鳴っちゃうからさー。実際書く方は退屈な時のほうが読み返したときするする読めるんだよなー。例えば交互に視点を書くという方法もあるけれど、うーん。実際母親がどういうルーティーンで過ごしているかなんてわからないし、喫茶店のオーナーのルーティーンも分からないわけでさ。それをうまく隠しながら書きたいし、けど大事な部分だけはかかないといけないかなって思っているし。大体一万文字は超えたいしなー。もう最初に共にっていうテーマを出しチャいます?それとも他者? もっと三人称だから、語り手の思想とか思考が入っていてもいいのか? そういうところもまだ定まっていない。基本的には作者はどんどん後退したほうがいいと思っているタイプで、というのも思想を入れるとそれがその物語の中の正解として整ってしまうっていうのがあると思うんだよ。だから、書きたくない。面白いことに小説って娯楽だと思うんだけど、それを現実を知るための手段として活用されることもあるわけじゃん。そうなってくると、そういう作品内の正解・ルールが現実に対しても適応されるわけじゃん。しかも一人称なら語り手の主観ってなんとなくみんなルールとして認識できているけど、三人称になるとその認識が薄くなるように思えるから、どうしようって感じ。間違いなく書きやすいのは思考を書くことなんだけど。
FR20240617
久々のフリーライティングだ。最近は本当に忙しくてこういう時間を取るより動画を見たり、しこったりしてばっかりで、落ち着かなかった。だからこそ今の内に書き続けないといけないなと思い出して、今、これを書いている。
なんでこんなに忙しいんだろうと思ったら簡単で、展示会の準備とかが多すぎるのと、重めの案件が何個か降っていること。なんか考えたら、そんなに重くないような感じもするけれど、ちゃんとしようとすると重くなる。結局は相手の要望に応えようとすると本当にどれも面倒なプロセスを踏まなきゃいけないのかも。
基本的に仕事のフローもうまく回っていればいいんだけど、だいたい綺麗に周らないし、どこかしらで問題が発生する。そのおしりふきふきみたいな。
あと最近はこの仕事楽しくないなって気づいちゃった。ほかの会社のえいぎょうのひとと話すと俺がやっている営業の仕事って結局、インサイドセールスで誰でもできるような感じだし、だったら自分が楽しいと思う領域に近いところでやった方がいいんじゃないのあと思うようになってきている。あと、職場の人もなんか一人で完結してくれよという感じもある。なんで相手に言いずらいときにだけとか、自分でできるようなことをわざわざ俺に振るの?みたいな。それで前任者とかは何にもしないで、そのまま引き継いでみたいなことが多くて、そう考えてしまってしんどくなる。
実は転職活動を始めつつある。土曜日に友達と会って話をしたときに、どうやっていたかを聞いたけど、バイトに応募するような感じと言うか、自己分析とかあんまりせずに転職で切るっぽい。結構これは目からうろこで、俺は自己分析して強み弱みを把握して、やりたいことを見つけて、前職のことを生かせる職場で、みたいに完璧を追い求めすぎてたところあるなと気づいた。まあ、しないよりかはした方がいいんだけど、俺ってどちらかでいうと衝動で動いて、というか思考より先に行動があったほうがいい人間なんだろうなという自己認識があるわけで、だいたい考えすぎて動くのが遅れるからさ。
転職も条件から絞っていこうかなと思っている。あとは自分の好きな分野で、営業以外で、それなりに頭使う仕事が良いなと思ってます。
動き始めれば、自然と進むからまずそこからんあんだろうな。計画性を持ってやりたいみたいな気持ちが強すぎて、完璧な転職を思い描きすぎてて踏み出せずにいるなら、まず一歩目から始めようと思う。
何気に5年目だから、それなりにやってきたことは多いと思う。何も書けないわけではないから、それも安心材料の一つ。出来れば年内に転職終わらせられたらいいなと思う。
志望業界とかは全然わからんけど、とにかくなんか一社応募したらなんか進めていこうという気持ちになって来た。
FR20240528
もうすぐ給料日だと喜んでいたんだけど、カードの支払いでマジで金欠がずっと続いている。自転車やめないとやばいなと思うので、早起きして自転車で行くようにしてかないと、朝ご飯を二〇〇円弱で済ませるとかしないと持たない。さすがに俺もびっくりして、なににこんなに金懸けてんのって思って明細見たら、漫画で4万ぐらい使っててびっくり。これからはマンガ読むのやめて小説読めば、エンタメみたいなの触れつつ、サビないんじゃないかと思ってるので、明日からやってく。マジで定期の振り込みなかったら死んでたわ。キャッシュの重要性はマジであって、本当に金欠や。どうしたもんかと思っても、対処療法的に処理していくしかない。
正社員として働き始めるまでは、そんなに漫画も読まなかったし、昔に戻るだけや。それに意味もなく異世界転生ものとか読んじゃうわけで、それをやめればもうちょっと金もたまると思われ。
金がないってのは本当にヤバい。先立つものはなんとやらッて云う感じで、ないと何も予定が建てられない。うーー苦しい。
まあ本来、漫画さえ買わなきゃもうちょっとは余裕があるはずなんだよな。あとちょっとした贅沢が生活になっているから、それもやめると。金があれば豊かではあるけど、金がなくても豊かであれるだろと思います。
今書いている小説について、書こうかなと思ったけど、うーんあんまり言語化したくない~。まだ2000字しかかいてないし。まあでも次の視点でどういう話をしていくかはあんまり決めてないし、なんとなくドーナツについて二ページくらいかけたらいいのかなあとか思う。あと、一度で二度おいしい感じにしたいから、親子関係としても読めるようにしたいなと思う。それで思ったけど、そういう風に読む筋を二個とか用意出来たら抽象度が上がるけど、感情に対してはより書きやすくなるような気がする。バランスを取るのが難しそうだけど、逆に書くネタをもう一つ増やせたってことで。抽象度が高く鳴れば普遍性も高くなるような気がする。
それでさっき母と娘をテーマにしたアンソロジー?海外文学の翻訳で平凡社から出ている奴かったら、口座に一九八円しか残らんかった。ええ~。
まあ今書いている小説、二〇ページぐらい、だからワードで言ったら一〇ページぐらいにできたらいいなと思っている。そこそこ長くて、そこそこ短い。
働いている女と大学生の女の話だから。娘に対してやきもきする感じを書けたらいいなっていうのと、純粋に個人的に死んだ友達への態度、自分の態度について、なんか全然分かんないっていうか、そこまで重くないけど、ずっと引っかかってるというか、吐き出しておきたいみたいなのがあるから、それ書けたらいいなーって。子供から親への意識の向きっていうのはあんまりないような気がする。子供には子供の世界があって、親はそれを守るために生きているみたいなところあるじゃん。逆に子供は親の世界を守ることっていうのがほとんどないような気がしてて。
まあそんな感じ。だから、やっぱり面白い小説?書きたいよね。なんか書いてて楽しいように進んでくといいな。楽しくないと進まないし、作業になるとなんかやんなくてもいいっていうか自分の中で完結してたら、別にいいんだよな。一文書いて終わりでもさ。
あと二〇秒、土曜日曜を使って、続きを書けたらいいな。一回書いて二回目書いて、三回目書いたら、終わりでいいかな。一回目書いたら、どういう意図でどういうタイトルで、どういうことをするために、どういうふうな小説にしたいのかしっかり伝えて、アドバイスをもらおうと思います。
FR20240525
今日はフットサルをしてなんか最後のほうに足首伸びてしまったので、サポーターを付けて今書いている。少し歩くと痛い。痛くない時は、どの部位について意識しないと、痛みがあるとその部位ばかり目立つ。ちょっと面白い。どふとえすきーは呼んだことがないけど、歯の痛みについて書いたものがあるというのは知っている。いやまあそうよね、痛みがあったらそれにしか目がいかないっていうか、そればっかり感がてしまうよなと思う、これは多分、肉体的なものだけではないと思う。精神だったら際限ないからそれはそれで超大変なんだろうなと、他人事のように思う。
あんまり長い文章が書けない。だいたい前の段落ぐらいで改行したくなる。ちょうどいい長さってあるのかな。昔は改行するの嫌だったけど、むしろ今となってはよく開業しないで書けてた? かこうと思ってたなと思う。
いつも足くんでゲームとかしているから意外と不便だ。明日は小説の続きを書こうと思う。なんかアリスミスっぽい感じでいこうとしたらいい感じに楽しいから、その楽しいままで続けられたらいいな。あんまりプロットとか考えてないけど。物語のフレームについてもあまり考えてないけど、分かんないから多分楽しいのかも。なんか作業みたいな感じになってつまんない。なんか知り合いは美しい文章を書くためにプロット用意するって言ってたけど、なるほどねーって思ったな。動機はそれぞれなんだなー。美しい文章も飛翔させるためにプロットがないとだめなんだろうなー。おれ、なんかノリばっかで書いているんだなーと思った。でもまあ美しい文章ってなんだ?とは思うけど、そこを目指すためって感じなのかな。分からん。
サークルのメンバーとプレイリストを作っているけど、今日は曲が出そろった。一人ずつ持ち回りで曲順を決めているけど、これめっちゃ並べるの大変だなーと思う。J-popって意外とヤバい。J-popはなんか排他的かも。それ以外の曲と並べるとなんかすごい違和感。ムードがマジである。不思議だな。まあプレイリストなんて適当に聞くものだし、つなぎとかそこまで重要じゃないと思うけど。
自分は来月やるけど、マジで気が重いわ。これやんのしんどーって思う。名に並べても成立はしないよなって思う。だから、逆にAIにやらせようかな。この曲たちをいい感じに並べてくださいって。提案してもらうぞAI。まあなんかいい感じにメンバーをうまくばらばらと言うか、一人の人が全部同じ曲順みたいなのは避けたいよね、
いい感じに眠くなってきた。
あ、そうだ。今書いているやつ、なんか本文とは別に注釈とかいれたいかも!ピンチョンの全小説シリーズみたいに!