遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに 。twitter @michiru__nagato note https://note.com/a_maze_amazes_me

20221123

もう今年終わりそうですよ。驚き。あと1ヶ月もすれば終わりになっちゃう。早いな〜。

この間の日曜日に文学フリマに出店した。去年も出たんだけど、その時は11部?くらい売れて、今回は8部売れたっぽい。まぁ値段が安いからそれぐらい売れるだろうなという感じ。もっと売れたいみたいな気持ちは正直ない、売れなかったら売れなかったでちょっと寂しいけど。それになんていうか値段つけてこれ売っていいんかな〜みたいなところもあって、何とも言えん。正味、自分の書いた小話は値段とかつけられるもんじゃないなと思ってる、無料でいいっていうか、人に金を出させるほどのものでもないなって。よくよく考えると古典とか有名な人でも文庫があれば400円〜1200円で買えるわけだし、そこと肩並べるのも無理だなとか思う。自分だったら知らないアマチュアの小説を買うなら、大手出版社から出てる文庫を買った方が、面白いだろうし…みたいな。まぁそれでも買う人がいるっていうのは本当に物好きなんだろうな。これが例えば小説とかでなくて、雑誌とかだったりZINEとかだったら俺は買っちゃうかもしれない。ああいうのは、小説とかと違うし。マツコの知らない世界を見る気持ちというか、扱う対象が知ってるものだったら対象への愛着とかを再確認できるし、知らなかったら純粋に好奇心を満たせるし。今度出るときはそういうのやりたいな。「なぜ?」に完璧でなくても回答できるようなことをしたいな。

なんとなく考えているのは自分にとってのチルスポットをまとめて、その中で地域の歴史とかと結びつけられたら、ちょっと面白いかもとか思ってる。ぱっと見はスポット紹介なんだけど、それにプラスして情報とか付けれたら面白いのかな。

そうなったら、いま調べたいのは江東区横十間川公園にある彫刻についてで、なぜコクトーの詩が彫られているのかを知りたい。図書館でレファレンスしてみようかなとか考えてる。

あとは春日部についても書きたいなーとか思ってる。地元について書きたいよなって。オルタナティブな観光マップとかいうか、そういうの作ってみたいよなって思う。ああいうの好きだし。

 

休日は基本的に午前中にレコード聴いて、午後はだらだらゲームしたりYouTube見て終わる。こうして文章を書いてるのは珍しい。何かとっかかりがないと基本的には書かない。

今年に入ってから祖父と祖母、2人とも亡くなったので、仏間でレコードをめちゃめちゃに聴いてる。生きていたときに、もし聴いていたら、うるさいとか邪魔だろうし、あの老人特有の何も見ていないような目で見つめられるのが怖くてできなかった。

なんか変化っていうのは勝手に起こってる。いなくなるってことは静かで、大きな変化だと思った。それで段々と、その時のことを忘れる。物事としては覚えていても、感覚としては失われる、というか失わないとその感覚に気づけない。だから多分、世界?歴史?なんと言えばわかんないけど、記憶の中身は喪失によって支えられている部分が多いと思う。

うちは元々あった祖父母の住んでいた家に増築という形で今住んでる家がある。いわゆる二世帯住宅だ。

それで祖父母の家の方の玄関にはそこそこちゃんとしたピアノが置いてあって、姉が本当に小さい頃、弾いていた。

最近はレコードに飽きたら少し適当に弾いてみて、すげ〜いい音!と感動して、結局うまく弾けなくて飽きて止めて、みたいなこともたまにするんだけど、今日は雨だったし、そういう気分だったから弾いてみて、黒鍵だけで遊んでた。コンデンサーマイクもあったので、それで録音したらいい感じになるのかなと思いつき、実行。

昨日の仕事帰りにUAの「Honesty(session1)」を聴いたせいもあると思う。だって凄くいいんだもの、ピアノの生音って。

とりあえず弾いて遊んだのよ。あと折角のコンデンサーマイクだし、生活音入れたくなって、音を出して遊んでた。楽しいね、こういう遊び。

 

https://on.soundcloud.com/Y2RxQdZZQAZ13jCD9

 

なんというか自分が何かを創作(?)する時の動機って、本当になんか残しとこっていう意味合いが強いんだろうなと再認識した日でした。

ガスコンロのチチチチチもIHになったら味わえないしさ。いつかなくなる音なんだろうな〜。