遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに 。twitter @michiru__nagato note https://note.com/a_maze_amazes_me

4月15日〜4月17日 日々がもし過ぎるものではないとしたら

15日
社会人になってから数十日ぐらい経って、今は栃木に研修で滞在している。5月の終わりまでの1人暮らし期間は、今のところ不便とか不満はあまりない。那須アウトレットや工場でもコロナウイルスの影響があるけれど、それを身近に感じて怯えるといったことはなく、むしろ社会の空気を感じれていない。大学四年の頃と家にいる時間の過ごし方は変化していなくて、大抵YouTubeか本を読んでいる。それだけで日が暮れる。うかうかしている間に時間だけが過ぎる。テレビニュースの報道内容や星野源のうちで踊ろうトゥイッターのハッシュタグ音楽も割りかし興味がない。だからといってきかないわけでもなく、暇つぶしに聴いてる時もある。Wi-Fiスマホがあれば、そこが家なのかもしれないと思う。iPhoneに安心が詰まっているといっても過言じゃない。ギデンズか誰かがアイデンティティについてルーティンをもつことで安定しているみたいなこと言ってた気がする。読んだ当時はよくわからなかったけど、今だと何となくわかる。そのルーティーンは普遍的なもの(衣食住)以外にも、その人自身の好みが反映されている娯楽もあるのかもしれん。もう一回ちゃんと読みたいな。話が逸れた。そもそもなんでこの文章をフリック入力しているのかというと、風呂に入っている時に音楽を流していたらハッとしたから。

ウィークリーマンションなので、水道代や電気代やガス代とかは常識の範囲内で、つまりは実家と同じように使えるから、ちゃんと湯船に浸かることができる。バブも入れちゃう贅沢もする。昨日、入れたら凄くリラックスできて、ちょっとクセになりそう。

湯船に浸かっている間、音楽を流していた。最近エビスビーツのTaru wo shiruって曲を聴いて、喰らったから。https://youtu.be/AwyGa6h6GkY

それでSpotifyで適当に流してたら、田我流とやってた夢の続きとかゆれるが流れてきて、不意に懐かしさを感じた。

夏休み中に熊谷キャンパスで文藝同人会の合宿をやってた頃の映像とか感覚が蘇って来て、思い出に身体が染まってた。蝉の声も木漏れ日も喫煙所も。いや、蝉の声はなかったかもなと今思う。でも動く絵画を見ているかんじ。とても綺麗で、ずっと見ててもいいかなって思えてしまうぐらいにね。まぁ湯船の中だったから、熱さっていう時間制限があってよかった。それで、卒業したんだなって思った。懐かしさを感じたら、もう地続きの場所にはいない。その振り返って見た地上と、今足がついている4/15の間には、4/1の時点にジャンプしないといけない断裂があるみたい。もしも日々が続くものだとしたら、もしも日々が過ぎるものだとしたら。

日曜は2キロぐらい先のドンキに行った。今住んでいる場所はカフェが人気の場所で、三件はあった。車で行くこともできたけど、早過ぎるから。歩いて目的地に向かうまでに、色々なものがある。流れる景色が早過ぎると見落としがちになるし、そもそも目的が絞られ過ぎて、効率を気にしてしまう。多分それは息苦しくはないけど、歩くことの楽しさを知ったら不思議と勿体無いように思われてしまう。日々も同じようなもんかもしれんな。知らんけど。工場の前に桜の木が植わってて、だいぶ散り始めてた。というかもう葉桜だった。こっちは東京よりも桜が咲くのも、散るのも遅い。春を感じるのはほとんど一瞬。もし日々が過ぎるものだとしたら。もう1時になりそう。寝なきゃいけないわけではないけど、寝ておきたい。6時間はね。俺が車を運転する番だし。多分、文章の感じが変わってしまうだろうけど、それもそれでいっか。

 

16日、17日深夜
気がついたら12時を超えて次の日になっている。昨日も同じような感じだった。工場で同じ作業をして1日が終わる。きっと明日も同じような仕事をして終わる。ほとんど作業。仕事が終わって家について飯食ってタバコを切らしていたからベニマルに行った。野菜ジュースを買い忘れた。生麺が残っていたからラーメンをつくる。風呂から上がるとちょっとずつ大きくなり始めた腹が気になってくる。腹一杯食べているからか単に太ったからか分からないから明日の朝確認してみよう。YouTubeをみて飯を食って風呂入ると10時くらいになっている。そこから重力の虹を読み始めて1話分だけ読み終わる。そして気がつくと12時を回っている。1人暮らしをし始めてわかったのは部屋を音で満たしていたいという気持ちと休日に掃除をするぐらい。遊びに行こうとしても、那須アウトレットは自粛しているし、あまり遊べそうにはない。小説を持ってきてよかったと思う。1人でいると誰かの話し声が恋しくなる。テレビを垂れ流しにしてしまう。音楽はたれ流そうにも興味がついてしまうから適さない。テレビの音は、秋の枯葉の音とかみたいに、寂しさを包み込んでくれる感じがする。寂しさがあるけど、それを感じない。2年目になったら1人暮らしを森下あたりでしようと思っていたが、電気代もかかるだろうし、音を垂れ流すことは続けられなさそうだ。でも、俺は秋に対して悪いイメージはないんだよな。むしろ一番好きな季節かもしれない。それは決して読書の秋とかではなく、秋の、それこそ今の感覚がしっくりくるから。1日千秋とかその感覚はよくわからん。春と秋はすぐに去っていくやん。1日が早く感じる。もう木曜日でもうすぐ休日がやってくる。研修が始まって1週間は長く感じられたが、少し慣れ始めると目の前に移る景色や、仕事内容に新鮮さが弱まっていき、おのずと興味が湧きづらくなる。だからか、1日が早い。もしも日々が過ぎるものだとしたら。でも日々は過ぎるものではないのかもしれない。読んでる小説はちゃんと進んでいるし、新鮮さが弱くなるのは慣れ始めている証だから、きっと。知らんけど。

 

17日(18日深夜)

また日をまたいだ。昨日書いたけど、今日も一応書いておく。というか終わらせたい。土曜は休日だから、ここで急がないと、書く気がなくなるし、書く気分も無くなっちゃうし、時間に余裕がある分、妥協したくなくなる。今日も夜の安くなる肉を求めてベニマルまで歩いた。夢でもなければ嫌いになれない町。タバコを買った。今日はタバコを忘れてしまった。鈴木さんにセブンスターを一本もらった、お返しをする。タバコを我慢していたら目が死んでいた。今日も同じような作業をしていた。けど何かに興味を持てるほど暇ではなく、ずっとサイクルを回し続けている。息抜きの仕方が難しい。サボることと息抜きすることの違いがよくわからない時がある。また日をまたいだ。金曜になってしまった。もう金曜日だ。まだことは寒くて暖房をつけないとやっていけない。寒暖差が激しくて、面倒だけど、その面倒さが無くなるのは、刺激がなくなることと同義かもしれない。今日はポーターロビンソンを風呂に入りながら聴いた。shelterが聴きたかったから。上位トラックを適当に流してたらsad machineが流れて不思議な気分になった。この曲は冬に聴いていた。それでここも寒くて、風呂に入っている自分が滑稽に思われた。栃木の那須の冬は相当寒そう。春でさえ、この気温だし、この前は山で降っている雪が風に乗ってやって来たし。よく人間を木に例えたいと思っていた時期があって、その時に書いていた小話に、雪を記憶として扱いながら文章を書こうとした(まぁ全体に敷衍できないし、文章が下手くそだからばっさりカットしたけど)。記憶が積もって、陽の光を浴びて地面に染み込む時、根はその誰かしらのそれを吸い上げて空に手を伸ばしちゃうかもよーん。というか木を身体、そこに染み込む記憶、っていう感じね。そもそもジジババのボケと絡めようとしてたからな。「ぼく」の名前を兄の名前で呼ぶババアに、何度も見舞いに行くことで、最後、兄の名前を「ぼく」の名前で呼ぶようになっちゃうっていうさ入れ替わり現象。記憶って積もるものじゃないけど、雪にしちゃえば積もるものになるからね。

明日も気がついたら1日が終わりかけているんだろう。日々が過ぎるものだとしたら。もう0時半、こうやってだらだらしてると仕事中、眠くなる。1日1日が早く感じる。日々が過ぎるものだとしたら。でも、日々は過ぎるものではない場合もある。

重力と虹は120ページぐらいまでいった。休日の間に100ページは読んでおきたい。本当は400ページぐらいまで読んでたけど、挫折して読んでなかったから再読している。ちょっと話の展開は理解できるようになっておるが、意味はよくわからない。

日々が過ぎる早さに臆病になっていたけど、きっと日々は積もるもので、昨日がいくら遠くに感じようが、足元を見れば、俯けば、知らず知らずのうちに積み重なった、その高さに勇気付けられる時が来るのかもしれないとか思う(なんてな)

まぁだるま落としみたいに、遊びで積み重なったそれをすっこ抜こうとする輩が現れない、機会がありませんよーーーーに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


反省会しまーす。

やっぱり日を跨ぐと、感覚が変になるな。昨日考えていたことにたいして「why so serious~?」になるし、重要度が落ちて、やっぱり質も落ちる感じがある。それと小説みたいに内容と形式?を整えようとした。ブログで読む場合は大抵横書きなので、積み上げるっていうのがしっくりきたからだし、まぁそれなりにオチを考えてから書き始めたから、最後に日々は積もるものって着地しようと思ってた。けどなぁ~ちょっち無理くりすぎた。山から流れてくる雪が積もってたら、うまく繋げられたと思うけど、積もらなかったからね。ぶっちゃけゴミが落ちてきてるのかと思うぐらい、ささやかだったし。

てか、だるま落としのイメージめちゃくちゃ不穏だしネガティブやない?いや、その時は本当にそうだったんだけど、俺今のテンション、こんなんと違うんだけど。書いてる内容は一応、考えていることなんだけど、ああいう文章にすると異様なほど暗いの意味わからんくないか?いや、根暗だけども。そういうの隠したいの、なんで素直に書き始めてんだー、でもちゃんと形式を与えようとしてくれたおかげで、不都合が生まれたー。不都合が生まれなかったら綺麗すぎて嘘になっちゃうからね。よし!(現場猫)寝るか!!!!!!!!!!!!!!!!!!

てか朝起きたら次の日っていう日数カウントでやってるから変な感じにななったな