遊具のない遊び場

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『Summer Pockets』終わってから三十分での妄言(ネタバレはしている)

 こんな挑発的なタイトルをつけてしまう根底に、プレイ後の不完全燃焼があるのはみさなんご存じの通りで、夏休み中に筋トレをして真夏のビーチで女の子をナンパするなんて夢のまた夢であるオタクのお気持ち表明をすることもやんごとなき理由としては一応の納得や理解を得られるだろうと思い、プレイ後にこのブログをしたためようとノートPCの前に向かうわけだが、そもそもKEY作品をプレイするのは初めてだったし(クラナドはアニメ版で見たものの)泣きゲーと呼ばれる、人間の感情サプリメントをブランド食としているものに対して、いくらかの反発を持つ私が一体どうしてプレイしようと思ったのか、自分でもわからない。

 そもそもSummer Pockets のテーマとは何だったのかを考える場合に、ある程度のキーワードを限定したい。だが、それは「時間・家族・島・過去・夏休み」等々、物語内で完結するキーワードではない。焦点を当てたいのは、今流行の時間遡行系であるということや、それに付随する忘却である点だし、そもそも伝承の使い方もかなり感動を作り出すためだけの小道具に成り下がっているように思えてしまうわけで、そりゃあプレイしている時は「う~ん、これは感動なのかもしれん」などど思っていたわけで、でも一応クリアしたっていうレコードが出てきてから、「?????????」と「え~~~~~~~~~~これで、こっこっこれで終わり?」みたいなことを思う。

 だから、なんとなくでも思った事を残しておこうと思う。

 

 プレイしている間、ずっと没入できずにいた。ところどころ感動的なシーンはあったものの、それが感動だと理解すると、すっとゲームキャラクターやプレイしている自分というものが浮き彫りになり冷めてしまう。

 蒼→鴎→紬→しろは、でプレイした。蒼ちゃんでええ話やんな、鴎でちょっと涙目、紬ルートはそんなに、しろはルートは(メインにしては)物足りないという雑感。ただみんな可愛かった。可愛かったのだ……。それだけは確かだし、エッチなシーンがなくても楽しめた。

 漏れはやっぱり、トゥルーエンドが物足りない。だって、失ったままだし。いや、別にハッピーエンドが絶対に良いってわけじゃないんだけど、それにしたってこれはないでしょ。それまでの流れなら、もう一歩踏み込めたでしょ……。というか踏み込む要素しかなかったじゃん。

 別にうみちゃんがさ、いないままでも良いんだけど、それにしたって腑に落ちないでしょ。いや、確かにそういう運命にしたって感じだろうけど、報われねえ~~~~~。

 

 ところで話は変わるけど、この未来の喪失について思う事がある訳よ。過去にばっかり縋ってはダメみたいなことがリフレインされるわけだけど、それに対する回答が夏休みを楽しむことって全然答えになっていないやん。一応は、戻りたい過去に戻る的な負の連鎖を終わらせたが、別に平坦な戦場が続いていくに過ぎないんじゃないかと不安になるよ。ファンディスクとか出ても、この「なんか違う」違和感はぬぐえないだろう。だって、それはプレイしている主体であるプレイヤーは、自分の人生の内過ぎ去った夏休みをゲームによって獲得するわけだし、結局、物語で出された(永遠に続いているような)夏休みはパソコンを開けば、そこにある。まあ鏡子さんが言っていた「ずっと夏休みも自由に縛られている檻」的なアレで解決できるだろうけど。

いや、だからその夏休みが終わる時に、なんでうみちゃんがいないの~~~~。こう、思わせぶりな事を最後にして、えっ!チャーハン!?こっこっこっここで?

ちょっと冷静になる時間が必要や。。