遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに 。twitter @michiru__nagato note https://note.com/a_maze_amazes_me

2022/3/22 ある朝

今日は寒い。桜がもうすぐ咲くというのに気温は3度で、厚手のダウンを着て外に出た。土曜から月曜にかけて暖かかったから、今日は余計に寒く感じる。そして疲れも感じる。仕事が始まるというのに。

慢性的な疲れというものが薬や生活習慣の改善によって取り払われるわけではないと思う。この疲れは先々に溜まったやらなければいけないことの重さで、今このいっときの軽さと比べ物にならなくて、気落ちしてしまう。

浮き沈みとは別種の、病気とは別の、性格的なもののような気もする。常にやらなければならないことがあるという現状が長く続き、またそのやらなければならないことのハードルが異様に高く感じられるから、この気疲れのようなものが身体に響く。

まだ小雨だが、昼頃から雪にはなるのだろうか。なぜこんなに疲れているんだろうか。

何かを考えることができない。いつから未来のことを考えると気持ちが沈むようになったのだろう。いや、未来について希望的なイメージを持っていたときはあまりないか。小学2年生の頃にはもうサラリーマンになるだろうなと思っていたし、それ以前は未来について興味がなかった。

電車はそれなりに混んでいる。6時8分の電車だというのに運が良ければ座れる程度で、窓は曇り外の風景が見られない。外が見えないのに運ばれていく気持ちは存外悪くはないが座りは悪い。透明性。見通しがなく、所在なさばかりが募る。

大宮で乗り換える。可愛い女性が最近、髪を下ろして電車に乗っている。前まではポニーテールだった。一度対面で座り、目があってしまってから何か気まずく、同じ座席列の方へと行かないようになった。

電車に乗る前までは意識がはっきりしていたが、乗ると眠くなる。外の風景が見えないのなら眠ってしまった方がいいだろうと思い、立ったまま目を閉じた。

恵比寿でコーヒーとホットドッグを食べ、タバコを吸った。そこでなんとなく書き始めた。

山手線で目黒まで一駅。窓は曇っていなくて小雨も降っていなかった。風情を大切にする人なら、春雨というだろうけど、なんかそういう意図した風情っていうのが気に入らないから、美化の眼鏡をかけようとするのが気に入らないから、小雨というしかない。

昔、雪の日に新宿駅ブックファーストで買い物をし終えた後、外の喫煙所でわざわざタバコを吸っていた時に、東京モード学園はじめビルの群れ越しに空を見ていた。風景に動きが加わったなと思った。白い雪がのっぺりとした風景に動きを与えた。そうした視界が開けたような気持ちがした時とは、今は遠く離れている。似たような心持ちではあるけれど、距離があった。目の前はただの画像(イメージ)であるよう思える。動きがなく段々と腐っていくように感じられる。

目の前では何も起こっていない。物事が起こっていても盲点の中で繰り広げられている。だから見らことができない。なんてね。目の前に見るべき対象が一つだけだったら、そんなこともないんだけど。

いま、会社の喫煙所でタバコを吸っている。さっきまで感性が静かだったけど、もう噛み合わなくなってキリキリしている。ビジネス、、、。ライン占いを見て今日1日がどうなっていくのか、少しでも不安を紛らわせるとしよう。だから、こんなことをかけるのは本当に退屈な時が暇な時しかないんだわ。色んなことが山積み。