遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに 。twitter @michiru__nagato note https://note.com/a_maze_amazes_me

マジのゴミ(放棄)

 0 

 

彼女は言われた通りに音楽室にたどり着き、所在なさげに電子オルガンの前に座った。茶色い外装を節が「川」のように流れていた。彼女が緩慢な動作で白鍵を優しく触れるように叩くが電子音は鳴らずに爪がプラスチックに当たった音と微かにバネの音がした。それは、どんな音だったか思い出すことが困難な特徴のない害のない音、彼女は綺麗だった。苛立ちも喜びもない、怒りも悲しみもない、希望も安心もない彼女の顔には、どこにもリアリティといったものがなく、一三歳にしては細く白くしかしどこかで健康的だと思わせる四肢と年相応の丸みが取れていない顔―特に頬が柔らかそうで怒ったとしても尚更にその可愛らしさが目立つような顔立ち―と彼女の鍵盤を叩く動作が何かを諦めた人間が見せる静かで汚れも感じさせない動作のようだったからだろう。そういった彼女の姿を見ていると、電源コードを刺してやることも、声を掛ける事も、息をする事も許されない気がした。つまり自分を彼女との対比によって許されないモノと設定し(本当は話しかける事で静謐が崩れるのが怖かったのだ)、そのルールに則り行動を制限していたことになる。彼女は何度も繰り返し、特徴のない害のない音、綿を殴る時に感じるあの無抵抗な何も反発が起きない虚しさに近い感覚、に憑つかれていた。

あの頃の僕は音楽室の、防音のために壁の至る所に空いた穴、一つの穴に意識を向ける事もできないし、かといって部屋全体の穴を意識できる訳でもない暴力的な穴、死角にあるかもしれない=視認できない穴が怖かった。朝倉の後を追うという形で音楽部屋に入ったが、本来的には、何度かの偶然を信じる事でしか、そこに侵入できない。僕は入ってすぐの穴を覗いてみたが、ただの穴(暗くて見通しがつかなくて、自分の体が小さくなって穴に落ちてしまったらどうなってしまうのかわからない穴)だった。

西日に背を向けた身長が高い事を気にしている彼女が履いている赤いモカシンのすぐ横には菱形の蜜柑色した夕日のマットが敷かれている。そこには格子のような影が埋め込まれていた。ぼんやりとした西日の中で埃が輝き、普段どれだけそれを吸い込んでいるのかを意識させられてげんなりとした。

彼女は弾力のある皮膚を持ち骨と肉体の結合が特徴とされる機械のようだった。長い睫毛が揺れているだけ、何も予定がない日曜日のような、キラキラと光を内に取り込み何本もの光線を反射する宝石のような瞳が開いているだけ、意識されるべき対象が不在の視線を鍵盤(便宜上、実際に見ていたのだから仕方ない)に落とし、薄い胸が息を吸うたびに大きくなり腕はそれに合わせて上がり・膨らみ、それらが下がる・しぼむと同時に黒鍵を叩き、力が抜けその指が鍵盤からするりと落ちる。彼女の動作が緩慢なのは呼吸が薄くゆっくりであるからだった。それは確からしい。そしてなりよりも彼女は生命にあふれているらしかった。

 

 

 

 1 

 

 K県O崎市のU町を歩いていると奇声が聞こえてきた。それはそれぞれの奇声が何層にも重なり空間的な響きを得ていた。一体どこから聞こえてくるのかは知る必要のない事であり、正体が掴めないのなら気にしないほうが良い。

歩き続けて、夜が来て、やがて空が白みだす。そして太陽は僕を追い越し夕日になり、翌日にまた現れる、夜は月にその顔を貸し与えて。僕は、それを意識する度に泣きたくなる。しかし、泣くことは決してない。太陽に対しての働きかけは出来ないし、よしんば働きかけをしたところで、何も変わらないだろうという(当たり前の)諦観を覚え、至って自然な無気力感に打ちひしがれていた。いつものように役割を持たない事(社会的な役割、というよりかは信頼関係や利害関係における最低限やらなければならない事がないために発生する寂しさ)と、役割を持とうとする事(相手に好意を示し、自分の行動に責任を持つこと、責任を持つためには信頼関係や利害関係におけるやらなければならない事をやりきるだけの力量を持っていなければならないし、どれだけ汚くても行為を完結させることが条件)から逃げてきた。つまり僕は自然と同一になれることができないという諦観と社会に対して逃避的な姿勢を持ち続けていた。

僕が歩いていた道、日雇いアルバイトをした工場と駅とを結びつけている道、午前九時ぐらいにも通ったが今ほど奇妙ではなかった道。そこで犬のような低い唸り声がすると教えられなかったら聞き逃していただろう。アルバイトが終わり、黄金に輝くシュークリームのような雲と朱色と紫色と桃色のぼんやりとした境界、まだ踝くらいの短い稲が植わった微かな音を届ける田んぼからシロサギが飛び立ち空に溶けていく姿、そういった平和的な午後五時に、その道を通ると明確に人間の呻きだと分かる声がしたのだ。僕と声の間には田園が広がっている。呻き声は田んぼを水切りのように何度か跳ねて、僕に衝突した。

その日はアルバイトをして時間を使う事が出来て満足だった。だが、充実した日の終わりにこそ不安になる。一人、暗い部屋の布団の中でいつもは聞こえない(意識していない)車の音が聞きながら、眠りに入ろうとすると明日の楽しさが今日味わった喜びと比べられて、それを乗り越えるほど楽しい日になるのかを考えてしまう、無意識のうちにハードルを上げてしまったことに気付いてしまう。そうすると明日が来てしまうのが恐ろしくもあるのだ。奇声よりも僕は今日の夜に眠れるのかが心配だったし、かといって明後日、明々後日の事を考えると、漠然とした不安に押しつぶされそうでもあった。今日の喜びと明日の喜びは比較できないものであるのに、僕はそれを捻じ曲げてしまっているのだ。だが、その捻じれは結局僕一人ではどうすることもできない。

僕はあの家に帰りたくなくて、バイト終わりに駅前の居酒屋で朝を迎え(それは家という習慣が染み付いている部屋の中で、同じように繰り返すだけだと感じたからである)、居酒屋が閉まると公衆トイレで目をつぶり、お腹が空いたのでトイレから出(時計は午後二次を指していた)、日高屋で飯を食べ終えると、わざわざ奇声が上がる地へと入り、だらだらと徘徊した。この辺りは治安が悪いと有名な地域であり、前時代的な穢れを持ち続けている地域(日高屋にいるときに調べた)らしいが、別に何かが起きる気がするだけで実際には何も起こらなかった(僕は単純に、何かが起こりそうという理由だけで、その地に足を踏み入れた)。それにこんな奇声が上がる場所になんて誰も住みたがらないだろう(嫌悪に似た恐怖によって)。それとも夜が来ると治安が悪くなるのだろうか。

確かに僕は少し怖かった。だが、ここを通り過ぎればもう普段通りに気怠い雰囲気を感じてしまうのだろうとも思ったし、この非日常感もここに長くいれば薄れてしまうのだろうと思った。

数時間のあいだ歩き続けたが、遂に慣れがやって来、家に戻ると決め、駅にたどり着くと一人の少女が声を上げて何かを伝えようとしていた。いつもの僕であったなら聞こえないふりをして、無関心を装って通り過ぎていくのだが、僕は家に帰りたくなかったため、わざと歩くスピードを落とした。「迷っていませんか、お話だけでも聞きませんか?」と言っていた。僕はつい声のある方向へと顔を向けてしまった。あまりにも、何を伝えたいのかが不明瞭だったからだ。「ねぇ」とか「大丈夫?」とかどこからか聞こえてきた時のように。

僕は声の主と目が合った。そして、彼女が小中学生の時に仲が良かった人間だと思い出した。向こうも同じく僕を見て大げさなほど驚き、「ねぇバーくんだよね?」と声を投げかけてきた。僕は久しぶりに家族以外の顔を知っている人間に会った喜びと(相手が自分を覚えていたこともあった。その上、彼女が僕を懐かしい名前で呼んだことも)照れくささを感じながら近づいた。

僕はこの町が僕の住んでいた町であることに、彼女を見てからようやく思い出した。なぜ今まで気が付かなかったのが不思議だ。いくら苦しさからの逃避として忘れる事を実践しているとしても。この町には、それ以上に大切なものがあったはずなのに。 

声を掛けてくれた朝倉は僕が近づくまで、全く表情を崩さず笑顔のままだった。「久しぶりだね」と僕は本心からの言葉を掛けた。「うんっ、本当に!」朝倉は昔と変わらず元気が良くて、それがなんだか嘘っぽかった。「えぇっと、今何しているの? いや、俺が転校してから何していたとかじゃなくて、なんでココで……何しているの?」僕は自分が転校してから朝倉がどう過ごしていた事にとても興味があったが、それを知る事でそれ以上に感情が揺れ動くのが嫌だった。だからせめて、朝倉が声を上げて駅前に居る意味を知りたくなった。「今ね、みんなに知ってほしい事があって、伝えたいんだけど、どう伝えればいいのか全然わからなくて……。だからとりあえず大きな声出して、気になった人に話しかけてもらえればいいかなって思ってたのっ。けど全然集まらなくて……。だから鉄くんに会えて嬉しいよっ!」僕は朝倉にも苦手なものを見出してしまった。(彼女は話しかけてくれる人を探していて、だけど伝え方が分からずにいたところ、僕を見つけた、ということは自分の望みにあてはめて僕を見ている節がある。つまり僕に役割を期待しているのだ)。しかし、それでも僕と朝倉の関係は今回再会した事で朝倉という存在が生き返り(それはつまり昔の彼女を引っ張り上げる事が出来たから)初対面の人間を前にするのとは違う居心地の良さがあった。

「それで何を伝えようとしていたの?」

 少し意地が悪そうに半笑いを顔に引っ付けながら聞くと、朝倉は口を指で隠し、眉間を狭めて悩みはじめた。

「なんだろう。言葉が出てこないや。何を伝えたいかは分るのに、言葉にできない……呻きみたいになっちゃう。ねぇ、この後時間あるなら私が伝えたいものがある場所に来てみない?」

 僕としては家に帰るのが嫌だった(まるで反抗期!)から、考える間もなく返答した。しかし、それを態度に出さないようにできてしまうのだ。聞かれてもいないのに理由まで差し出して、ゴテイネーに。

「暇だし、行くよ」

 

 駅からそこまで、二十分ほどかかった。しかも、僕は来た道を帰ってきて、また奇声があがっていた場所から奥へと進みたどり着いた。彼女は照れくさそうに笑った。ここに彼女が伝えたいものがあるとは到底思えなかった。

 そこに着くまでの道で彼女は伝えたいものがあるという事を話してくれた。しかしその話題になると会話は続かず、結局僕らは思い出話に花を咲かせた。小学生一年生の頃に朝倉と僕の両方がマラソン大会で良い成績を出し全校集会で壇上に上がる時に僕だけが後ろに体育座りをしていた友達にズボンを降ろされ丸出しになった事、二人で秘密基地を作ろうと計画したけど空き地と材料がなくてやめた事、中学生に上がってからなんとなく話ずらかった事を物語りながら共有した。それと同時に僕は高校生になってからの事を聞きたかったけれど、僕自身の臆病さがそれについての話をさせなかった(高校時代という空間と時間を内包している概念は共有していたが中身に差異があるため、それが浮き彫りになるのが恐ろしかった)。その話になってしまったら僕は個人的な意味づけをした行為を物語らなければならないし、朝倉の話に僕はしっかりと付いていけるのか、朝倉の経験に対して(こんな)自分の考えを言う事ができるのかがとても不安で言い出せなかった。

僕は朝倉の家に行ったこともないから、どんな家なのか全然想像できなかった。大きさも、内装も、色も、どんな場所にあるのかも、日当たりの良さも、想像できなかった。それは、なによりも自分の家について、そういった項目で考えた事もないからだった。だから、余計にその場所に朝倉の家がある事に驚きと違和感があった。住み心地の良い家だとは決して言えない僕の家(おんぼろ賃貸アパートの一室)と比べても、環境が悪かった。この場所は田んぼに囲まれて陸の孤島といった形容が相応しい。僕はその地域に理解・納得・共感のいずれかを導くことのできる意味を見出す事ができなかったからこそ何時間も徘徊できたのかもしれない。

朝倉は迷いのない足取りで家まで案内してくれた。京都の街が碁盤のようだとは言うが、ここはまったく違い、まっすぐな道なんてなく、好き勝手に家を建てて、家の建たなかった場所が道になったようだった。道よりも家も方が優先されていた。

彼女の足取りは弾むようだった。夏の入り口の時期、彼女のアキレス健は細く引き締まり、筋肉によって進むと言うよりかは関節をバネのように使い歩く姿はあの頃のままだった。

彼女の家の外見は僕が普段目にしている家とは違った。ここには経済的に恵まれない人間が住んでいる事は僕でも分かったが、朝倉がここに住んでいるのが、やっぱり理解できなかった。これは僕が環境によって人間性が決まるという予断を持ち続けていたからだった。それと同時に、彼女がこの場所に住むことによって、より一層彼女の笑顔が輝くような舞台であった事も認めなければならない。事実、僕は違和感と同時に高揚感を抱いていたのだから。嬉しい時に笑う人間も素晴らしいが、悲しい時に笑う人間のような気高さがあったのだ(これも僕が凝り固まった思考によって生まれた偏見である事も白状する)。

「鉄くんは遊びに来たことなかったよね」「うん」「なんかね、昔の私はこの家に住んでいる事が恥ずかしいと思っていたんだよ」「なんで?」「なんでって、やっぱり汚いし周りは怖い声で溢れているから、ほら、自分が嫌だと感じたら大抵は他の人も嫌だと感じるだろうなって事あったから。けどっ、大学生っていうカテゴリに分類された今になって考えると、別に住んでいる場所を聞かれることもないし、それで人を判断する人ばかりじゃないんだって気づいたんだっ!」「そうだね、朝倉とこの家は離れているのかもしれない」「うん。だからもう、別に恥ずかしくないんだっ!」僕は安心した。彼女は僕の事をそういう人と判断していないということだったから。

 リビングに入ると女の人がいた。彼女は僕らを見ると笑顔で「おかえり」と言った。僕はなぜ初めて訪れた場所で「おかえり」と言われるのか理解できなかったが、嬉しくもあった。僕は訪問者であり、かつそこに居る事が不自然ではなかったのだ。かといって観光名所でもない朝倉の家、僕はそれについて聞こうか迷ったが、朝倉が「ただいまっ」と言い僕の手を握って自分の部屋に案内してくれたから「おじゃ……ただいまです」と言いチラリと彼女の顔を伺った。彼女は微笑んだ。僕は自分が口にした言葉に変な気分にされた(もちろんうまく敬語が使えなかったのもある)。自分の意思でその言葉を選んだわけではなく、コミュニケーションの基礎的な部分(経験によって身体化された反応)を使っただけに過ぎなくて、自分がそうしたいから、その言葉を使ったわけではなかった(しかし違和感が生まれたのは、身体化された反応だけでは成り立たない相手に対して、それを使い反応することによって、敬語がうまく使えないという事になり、だけども意思疎通はできているという感触があったからだろう)。朝倉の手は暖かかくて、けど微細な砂を掌ですり合わせているような質感でもあり(手の皮が厚かった)、妙にドギマギしてしまった。だから、変な気分もすぐになくなって、一体ここで何をするのかが気になり始めていた。(ここで、だから、と使って忘れようとする癖があるのが僕の悪い所だ。そこには朝倉の手によって、そうなったわけではなく、僕が違和感を忘れたいという気持ちが先行していたから、朝倉に対して真摯でない)。朝倉の家には二階がなく、縦長(別に横長でもいいけど)の構造だった(長屋といったほうが早いだろうか?)。僕は朝倉に手を取られながら奥へと通された。床がきしむ音に嬉しくなりながら(家族と共にある家の歴史が挙げる声に大きく心を揺さぶられたといってもいい)、部屋に入ると、その光景に動揺した。実を言うと僕と同い年の女の子が地面いっぱいに玩具(?)(大きな紫色のクマのぬいぐるみや金髪の人形や王子のワッペンとピエロのマスク)を散らかしているのに狼狽えたのだ。ここが子供部屋だと分かるのは学習机が二つあったからだった。そして一番目立っていたのは電子オルガンだった。「朝倉以外に使かっている人いるの?」「いないよ、朝倉しか使ってない」彼女は悪戯っぽく笑った。「言い方を変えるよ、悠貴以外に使っているの?」僕はとても照れ臭かった。それと同時に僕はこの家に感謝した。「うん、妹が使っているの」「今何年生なの」「小学一年生。可愛いんだよ~」僕は朝倉に年の離れた妹が居る事を知らなかった。

六畳の部屋には二段ベッドと机が二個とオルガンが一個、床は畳で窓は一つしかなかった。その窓に向かい合うように朝倉の机があり、そのすぐ隣に同じように机があった(生憎そこに朝日はあたらないが)。「このぬいぐるみとかって朝、悠貴のだったりする?」「うーん、妹のだよ。けど、私もたまに抱いちゃうときがあるけどねっ。なんてね」僕は感情の高ぶりを抑えることに限界を感じていた。素朴さを求める人間が多いからそれは(逆に)自分を演出する一つの装飾として用いられ始めている(自然体でいたいという願望だとか、当然のように自然体を装うから、自然体でいる事がすごい事のように思われがちだが、自然体である事なんて誰が解るんだろう)。僕が知っている朝倉は素朴そのものだったが、今それを隠すように(ああ、他者が求めている属性を恥じ、それを覆い隠すヴェールを顔にまとおうとしている!)小悪魔的な冗談を言うのだから僕は気が狂いそうなほど彼女に惹かれているのを自覚した。僕が彼女について知っていることは独立していなかった。新しい朝倉がいたのだ。僕は僕の知らない朝倉に、抗えない時に流される喜びを擦り付けた(恐怖と投げやりさや無気力感がもたらす恍惚と切り離せない喜び。運命に似ている恍惚)

「あっごめんね片づけないで……。久しぶりで忘れてたっ!」

 朝倉が畳の上に散乱しているモノを自分のベッドの上に一つの塊にして置いた。そうしてから、お茶を持ってくると言い部屋から出て行った。僕は一人きりで、やる事もなく畳の上で取り残された人間の落ち着きのなさを発揮した。部屋を見渡してみるとオルガン以外に個人を浮かび上がらせるものがないのに気付いた。歳の離れた妹がいるなら玩具ぐらい持っているだろうし、二段ベッドも共同部屋ならあり得るし、ポスターもないし、箪笥もないし、かといって殺風景でもない部屋、まるで展示されているような部屋、の中でオルガンだけが頼りだった。逆にオルガンがあるからこそ僕は落ち着かなかったのかもしれない、だって朝倉という個人が居なければ僕は苦しむことはないのだから……(すべてを忘れてしまってもよいと今までの僕は思っていた。疲れてしまったから忘れる事に逃げたんだ。自分の中で自分が平衡感覚を保てていないのが恐ろしかった。負い目に還元できる行為は完結しても一生ついて回る。それは軽く背負えるのに、とても重たいのだからひどく驚き、疲れてしまった)。僕は何度も部屋の中を見回した。モノに触れることはできなかったが、彼女の学習机の足元の奥に小さな本棚があることに気付いた。あぁこれはきっと見られたくないものなんだろうなと思った。僕がここでそれを物色したら彼女は怒るだろうか、朝倉は怒っても可愛いからやってしまおうか悩んだが、僕が目を細めてせめて本のタイトルだけでも知ろうとしていると、襖の奥から「あけて~」と声が聞こえたので、中断せざるを得なかった(こんな防音がなされていない部屋でできる嗜好といえば読書ぐらいなのだろうか)。

 彼女はお盆に急須と小分けに包装された菓子を乗せて足音を立てずに部屋に入ると、どこにそれを置けばいいのか分からないようだった。「畳の上に置く?」「鉄くんはそれでいいの?」「別にいいよ」僕は極端に人の意見を否定するのが苦手(というよりかは拒絶に近い)だし、かといって自分がどうしたいか分からないことが多々ある。畳の上でもいいし、学習机の上でもいいし(椅子は二つあるのだから)、ベッドの上でもいいだろうと思っていた。

朝倉が自分の机の上に御盆を置いた「ねぇ悠貴は今でも楽器やっているの」僕は彼女に願望に近い質問をした。彼女ははにかみながら「少しだけ」と言った。その顔がお菓子を隠している子供みたいで僕は無警戒な親しさの表れとして「弾いてみて」と、つい口に出してしまった。彼女は人前で弾く機会がないのか、それとも単調な練習ばかりしてきたのか分らないが、口では「嫌だよ」と言いながらオルガンの前に座り僕の知らない、けれども、とても美しい調べを奏でた。一つ一つの音が繊細で統率のとれている音楽、硬質な流れが聞こえる。そこには誰もいなかった。ただ空間があって、そこで音が反芻している。

僕がもう一度だけ聴きたいと頼むと朝倉は張り付いた笑顔を見せ「別にいいよ」と言った(頬を強張らせ声は震えていた)。僕は彼女に無理強いをしてしまったことに気づいたが、それでももう一度だけ聴きたかった。音楽は時間と共に僕を現実から流すことのできる魔法の一つだったし、朝倉の音楽は僕をいとも簡単に殻のある世界へと押しやることができて、ただただ落ち着いた(僕は殻を破っても、何年経っても、毛が薄く赤い皮膚のまま目を開けられない雛で、だけども親だとか飼育者だとか友だとか親密な関係を持たずとも生活できてしまえる人間でもあった。金があっても寂しさは消えない、金があっても寂しいなら邪魔だし、見られたくないから隠していた生きる意味をどこに隠しておいたかも忘れてしまう。けどそれを見ないふりしても適応できるなら、大人になれるならどれだけ楽だったろう……。だけども自分で自分の首を絞める苦しさも生きるということなのかもしれない。分からない)。彼女が歌いながら弾いてくれた音楽を聴くとさっきの音楽とは全く違っていて(淡い桃色や深い青色浮かび上がってきて)、それは僕を殻の中へと押しやったり誘ったり手を引いてくれたりしなくて、ただ僕が手を差し出すのを待っているような、僕に何かを期待するような音がしたように感じた(そう、感じただけ! これが僕の妄想だったとしたらとても恥ずかしいし、いったい何を期待しているのかが曖昧で分からないから僕は気づかないふりをしてしまう)。

その音楽によって僕が根深い空虚さを守ろうとしていることに気づかされてしまった(だって、抱えているものが何かわからない状態のほうが現状維持することに対して仕方ないと思えるけど、それが空空漠々たるものでも一つの側面を分かってしまったら他の側面も見つけたくなってしまう。そして解決のほうへと進まなきゃいけない、けど進むのはとても疲れる)。さっきの音楽とは違う、朝倉が出現している音楽は僕に呼吸のやり方を忘れさせた。混乱した僕はただ時間が過ぎるのを待った。朝倉が僕を見ていた。

彼女が演奏を中断したとき、僕はようやく無意識のうちに呼吸ができる状態へと戻った。僕は息ができて安堵した。

朝倉が僕の肩に手をかけて耳元で囁いた。

「大丈夫?」「うん」「すごい苦しそうだったけど……」「いや、なんか急に苦しくなったんだよね」「それってもしかして私のせい?」「わからない」「そっか……」「けど、たぶん朝倉のせいじゃない」「ねぇ、お菓子食べよっか」「そうだね、少し落ち着こう。いや、ここはとても落ち着く場所なんだけどさ」

朝倉が自分のことを悠貴と呼ばせなかったのは、やっぱり僕が確かなものを提示できなかったせいだった。

朝倉は衣擦れ以外の音を立てずに自分の机から畳の上へとお盆を移した。僕の手が届くように盆を置くと向かい合うように座った。他人の顔が自分の正面に来たのは久しぶりで僕はどこに目をやっていいのか戸惑った。ようやく相手の顔を見ようとして顔をあげた。

朝倉の張り付いた笑顔が震えている。

不安がそうさせるのだろうか、相手に自分を見せるのが怖いのだろうか。そして、その不安や怖れという感覚はどこからやってきたのだろうか、僕は分りたくなかった。

僕と朝倉は何を話せばいいのか分からなくなって、互いに目を伏せていた。そうしていると朝倉の妹が帰ってきた。本来はここに居るはずがない僕に対して朝倉の妹は強い警戒心を見せた。僕が「お邪魔してます」と言うと妹は僕から顔を背け(朝倉のほうへ視線を向けて)、ランドセルを放り投げるとどこかへ行ってしまった。廊下を走り抜けていく足音に僕は何故だか悲しくなった(足音を立てないようにする配慮がないのに羨望のような郷愁を感じ取った)。

 その無遠慮で実に子供らしい足音がする方を向いていて、こちらに顔を見せない朝倉に「この後、どうするの?」と聞かれた。僕は良くも悪くも(正しくも間違いでもない)この後数日の予定はなかった。ただ最近は働きすぎて疲れていたし、どこかでゆっくりとするのも悪くないと思い、休みを作っていた(休みは作る物になってしまったみたいだ。もう子供じゃあないんだな)。だけども、「この後」とはいつまでを指すのだろうか。僕は家に帰りたくないから、出来ればここに長く居続けたいと願っていたし、それが邪魔にならないかがも気がかりだった。それとも、この後本当に予定がないのだろうか。僕は『朝倉が伝えたいもの』はもう既に伝え終わっていているのか判断が出来なかったし、分りたくなかった。けれど、もし僕がそれを理解していないとしたら彼女はとても寂しい思いをしてしまう気がして、喉に石が詰まったかのように言葉を出すことが不可能だった。「この後、何もないならウチに泊まっていく? 明日の朝に伝えたいものがあるんだっ」と朝倉は言った後、喉を鳴らしながら麦茶を飲んだ。透明なグラスの底から汗が流れて畳に小さな染みを作った(僕の沈黙に耐えかねた朝倉が、場を保とうとした言葉を投げかけてくれたのだろうか? それなら僕は断るべきなのだろうか)。氷がぶつかる涼しい音がした。僕は夏が、もうすぐ現在になってしまう未来に暗い見通しを感じる。

僕はここで。

「うん、泊まるよ」もう中高生の時に考えていた『どこか遠いところに行く事』さえ億劫(そこに行っても戸惑うだけだろう)で、だけども自分が居る場所にとどまり続けるのにも居心地の悪さがあったため、その中間点として朝倉の家にとどまる事にした。

何もしゃべらない内に五時半のチャイムが聞こえた。朝倉は「ご飯作らなきゃいけないから鉄くんはゆっくりしてて。あっでもでも、変なことはしないでね」「うん」僕はほとんど反射的に了解の意を示したが、いったい何が変なことなのかを聞くべきだった。朝倉が水の音を立てるまでに僕はそのことについて考えて結局何もできずにぼうっとすることしか許されていない気がした。その間僕はずっと朝倉の作る料理を待ち、朝倉が呼んでくれたらリビングにいた女の人と朝倉の妹と朝倉と同じ食卓を囲む。僕は朝倉の部屋で何もすることができないかと言ったら嘘になる。実際に僕は朝倉の机の下にある奇妙な本棚の中身に接近したかったが、それを知ることも恐ろしかった。だけども、僕は(なんとなく)彼女の机の近くへ四つん這いで近づいた。

遠くで蛇口を閉める音がして、僕は背筋を伸ばした。そして、ひたひたと足音が聞こえ、それが近づいて来る。僕は、その場に固まってしまった。

「鉄くん、暇なら夕ご飯作るの手伝う?」手伝ってではなく、手伝うと聞かれた事に、朝倉に気を使わせてしまったと気づいた。「って、何してるの?」僕は正直に「机の奥になんかあって、それが何なのか見たくて」「面白い物じゃないよ」そういって、僕の背中に手を置き、成端な横顔が僕の頭の横に。彼女の息遣いが聞こえた、微かに笑った。墨色の髪の毛が夕暮れ色の届かない僕の隣で揺れた。髪の毛からはみ出た耳は夜空に浮かぶ三日月みたいで触れてみたい。「何があるの?」聞いた。「何もないよ、大切なものしかない」寂しそうに笑った。「僕は見ちゃいけないもの?」「うん。大切なものなのに誰にも見られたくない弱点でもあるの。だから、きっと何もない」

「ねぇ、じゃあ、引き出しを開けていい?」「一番上のならいいよ」それには鍵がかかっていた。「あかないよ」「うん」「なんで?」「鍵がかかっているから。それで鍵を失くしちゃったから」「そっか。中に何が入っているの?」「カロリーメイト」少し笑ってしまった。「なんで?」「私たちが中学一年の時に地震があったでしょ。こっちでも揺れたけど、家が崩壊してしまうほどのものじゃなかったけど、やっぱり怖くて、非常食として入れといたんだ」「けど、鍵を失くしてしまったら開かないじゃん」「そうなんだよね、ふふっ」「おかしいね。他に何か入れてなかったの?」「他に入れていたものは忘れちゃった。写真とかは入れていた気がする」「セピア色になってるのかな」「どうだろうね」「あぁ、そうだ、ご飯作るの手伝うよ」

 僕は朝倉の背中を追って台所に向かい合うと、途端に自分がここに居る理由を求め始めてしまい、手持無沙汰さと指示をもらわなければ何も動けない自身の食事に対するこれまでの興味の無さを呪った。朝倉は僕が隣に居ればそれでいいと考えているようで、時々僕の方をチラリと見、目だけではにかむ。僕が何か仕事をもらえないかと尋ねれば尋ねるほど、彼女は強情に無言の断りの笑みを浮かべるため、僕は躾けられた犬のように朝倉の毛穴がないと思われるほどなめらかな手の甲と、使い込まれ自然と厚くなった掌を見つめては、「よし!」の声がかかるまで自身の存在を消すことに努めた。僕はこれまで朝倉の手、細く美しくしかし弾力持っている優しい手、触れれば心地が良くて人間のものかどうかも疑ってしまうような手の甲、彼女の献身や素朴さや責任を感じさせる母のような掌、それらをまじまじと観察したことがなかった。朝倉は身長が高いと悩んでいた時期があったし、もしかしたら今も悩んでいるかもしれないが、手は小さく、それらは暖かさを感じさせる。手から肘へと視線を上昇させると、そこには多くの掻き傷があった。僕は突然後頭部を殴られたかのように、強く激しい怒りや瞬間的な虚無が身にまとわりつき、それらが頭部に集中し僕を自然と俯く格好を取らせ、その使命感に似た怒りと虚無が渦を巻いてひどく重たい頭部から胸、下へと降りていった。

「鉄くん、ちょっとこれ洗っといてくれない?」

「うん」僕の手と朝倉の手が触れ合った。彼女の血の通った手が僕の熱さえも吸収するように、皮膚の内側にこびりついていた感情が浄化された、つまり僕は役割を得たのだ。ここにいる理由を与えられることは、存在を安定させる。僕は手渡されたまな板を洗いながら、後ろで動く朝倉の足音と皿と皿が擦れる音が聞いた。もう既に夕食は出来上がっているのだろう。僕は洗い終わったまな板をシンクの横にある金網に並べ、コンロにある茶色い油がこびりついたフライパンを水に潜らせ、蒸発する音を楽しみ、この家にはテレビがないのに不意に気付いた。その後、僕は皿に盛りつけられた料理を運ぶのを手伝ったが、誰が何処に座っているのか知らないから、おかずだけ運ぶことにした。そうして、朝倉が「食べよっ」と言い、僕はそれに従った。だけども僕は何処に座ればいいのか分らなかった。椅子が五つあって、三人はもう席に着いていて、僕だけが食卓から弾き出されて、ぼうぅっと突っ立っていた。また朝倉が無言で微笑んで、掌を見せた。僕はそこに座った。

 僕は飯を食べるのが嫌だ。というよりかは、飯を食べる喜びが喪失している。俗にいう美味しそうなご飯というやつが分からなくて、自分が何を食べたいのか分からなくなっていた。そのため、栄養バランスがいいだとか早く食べれるからだとか咀嚼音が少ないから値段が高くないからなどの理由から食事を選んできたけども、朝倉家の食卓はご飯を食べるのに疲労が生まれなかった。美味しそうなご飯を食べるのは、食べてから美味しいと感じるのであって、それが生まれそうな食事を知らなければならないが、僕はそれがなかったし、むしろ自分で選んだご飯を食べてもただエネルギーの補給としか考えたくなかった。

一人でご飯を食べていても咀嚼音がして神経に障る。だから、朝倉家で夕食を取るという話になった時には、多くの咀嚼音に耐え抜く覚悟をしていたが、僕はそんなことを気にしなくても良かった。僕は、単に朝倉の食べるシーンを見ているだけで幸であることに気付いてしまったのだ。彼女が口を開きトマトを迎いれる、彼女がそれを白い歯にぶつけ舌の上に運び、顎を動かす動作、それによって生まれる咀嚼音を聞き逃すことは出来ない。

とても質素な夕食だった。もやしと肉を炒めただけのおかずとご飯と味噌汁。僕なら絶対に選べない夕食、しかし合理的な基準を取り払ったのなら毎日同じような夕食を作るだろうとも思った。お世辞にも良い夕食だとは言えないが、僕はただ黙って頷きながらご飯を食べた。朝倉もその妹も女の人も喋らなかった。会話のない食事は咀嚼音がよく響いて、箸と皿がぶつかる軽快な音や、机とコップがぶつかる固い音も目立っていた。僕は、このまま死ねたらとても良いように思えてならなかった。

ご飯を食べ終わったら風呂に入った。三番風呂だった。朝倉と妹が一番に入り(汗ばんだ妹が、一番が良いと駄々をこねたため)二番目に女の人が入って(僕は風呂に入る順番なんてどうでもよかったし、気を使われていない事に安心している節もあった)最後に僕が入った。僕は湯船に浸かるのが久しぶりで足を延ばせなくとも、心地よかった。

寝る場所は、リビング(といっても畳)で敷布団と掛け布団一枚だけ与えられ、ゆっくりと明日の事を考えずにまどろんでいた。僕は早すぎる就寝時間に戸惑いながらも、安心して寝る事ができる環境に居られたことに感謝した。自分の家なら、明日の事を考えて目がさえるが、少しずつ意識が宙に浮いて、身体は力が抜けきり意識されないモノへと変わる。うとうととしながら、このまま眠ってしまうのはもったいない気がして、着地地点の存在しない思考を繰り広げながら、眠りに近づいていった。風鈴の音、風が稲を揺らすさざなみのような音、カエルの声が幾重にも重なって聞こえる事にこそばゆい楽しさを感じながら……。

もうほとんど目を開くことも面倒になってきた時、朝倉が僕の枕元にやってきた。「寝てる?」と囁き「寝てるよ」と囁き返した。「じゃあ、これは独り言になっちゃうね。けどいいかな」「zzz」「あのね、隣で寝ていい?」「だめ」童貞!「妹が鉄くんと一緒に寝たいって言うんだよね。男の人がこの家に泊まるのってすごい久しぶりなんだっ。しかも怖い人じゃない、私の友達っていう優しい人が」僕は既に失いつつある外への関心により、朝倉の顔を見る事もせずただ曖昧に頷いた。「ありがとっ」僕の頷きを相槌の意味ではなく了解の意味で捉えた朝倉は自分の布団と妹を連れてきた。僕は布団が敷かれる際の微かな風を顔の側面に受けながら眠りに滑り込んだ。

 

朝は鶏の変わりに降り注ぐモノによって僕はたたき起こされた。空が白みだす前、藍色の世界で呻き声は徐々に大きくなり、その数は次第に増えていった。他人の剥き出しの感情の乗っていない空気、太陽が昇り切り蝉の声が太陽と混ざり合う前に、その奇声は雲のように空に集まり(まるで空から落ちてくるものが水滴などではなく呻きになってしまったかのように)重く降り注いて僕に朝を知らせてくれた。僕は薄く開いた眼で窓の外を見た。明るくなりつつある世界で、まだ存在感のある月の下に朱色の薄く横に伸びた雲が何本もの線になって並んでいた。僕は不思議に思った、一体なんでここには奇声が上がるのか、呻き声が上がるのか、そして何故、なぜ朝倉がここに居るのか。なぜ寝ている時の無垢な表情のまま生きる事が出来ないのか、朝倉を見ながら僕は、僕に対しても憤りを感じた。他者ばかりの人生から滑り落ちて、あるいは自分さえも受け入れられなくて他人のみを求める生き方をせざるを得ない、あるいは求めているのでは、社会の中で生きている自己さえも他人事のようになってしまう事に気付いている上で動かずにいる僕に対して、他者未満の他者に囲まれようとしいる僕に対して、まるで自分が砂漠の中に居るように思い込もうとしている僕に対して、明らかに苛立ち、そして気づかないふりばかりし、上辺ばかりの反省をし、内省をせずに他人を他者にしようとしていない事への憤慨だ。僕は朝倉を、彼女を見る事を通して僕を知ろうとする道具的な役割を持つ他者にしたくない。それと同時に他人にしたくない、相対的な人付き合いという軸のないやり取り、多様性という言葉によって片づけてしまうような理解を拒む関係性、嫌われるかもしれないという恐れと自分の価値を認めてもらえない可能性に対する無力さへの諦めを内包している他人との関係性にはしたくなかった(それは単に僕と朝倉は過去を共有しているからだけではなく……)。

僕は朝倉の顔を盗み見ていた。理想と虚構と現実を収斂する朝倉という存在が、どうして死んだ人間のように僕に対して柔らかな印象を抱かせるのだろうか。

「あの、お名前はなんていうのですか」

僕の隣で寝ていた朝倉の妹が呻きの中で凛とした声を発した。

「僕の名前? お姉さんから聞いてないの?」「うん」「そっか、鉄若人だよ」「くろがねわかと?」「そう」「お姉ちゃんは、てつくんって呼んでいたけど」「それは、お姉さんが付けたあだ名みたいなものだよ」「じゃあ、あたしは何て呼べばいいの?」「そうだな、僕にも解らない。好きなように呼んで」「好きなようにって言われても分からない……」「僕にも分からないよ、お姉ちゃんと同じように呼んでくれてもいいよ」「だって、それはお姉ちゃんが付けたものだから、あたしは同じように呼べないよ」「そしたら鉄さんとか若人さんでいいんじゃない」「それも嫌」「なんで?」「わからない」「そっか。そしたら仕方ないのかもしれないね」

 

2 

 

僕は朝倉に連れられて礼拝をおこなう施設へ向かった。曲がりくねった道を進み、この場所は思いのほか小さいのを理解した。朝倉は、この土地が施設を中心に置かれている事、この土地は上空から見ると面白い事を教えてくれた。呻き声は聞こえたが田園に流れる水の音や遠くから聞こえる車の音によって、相対的に気にならなくなっていた。

礼拝には朝倉と妹と女の人(きっと朝倉の母親だと思う)と僕の四人で向かった。家を出る時に鍵を掛けず、それどころか玄関の扉にサンダルを挟んで、まるで誰かに入ってきて欲しいかのように、中途半端に開けているのを僕が疑問に思い尋ねると朝倉は「これね、礼拝に行くときには鍵を掛けちゃいけないし扉は出来る限りひらきっぱなしにしておかないとダメなんだ。来るもの拒まずの精神なのっ」(多分、土足で入ることはカンジョウに入れられていないんだろう)

僕は他人の家(朝倉は教会だと言っていた)に(自分を男らしい物だと感じさせる作用を期待して)朝倉より先を歩き、ドアノブに手を掛けた。すると朝倉は鋭い声で(聞いたことのない、まるで常識を持たない人間に対して常識を教えるような冷たい声で)僕に教会に入る前には必ず唇を解きだし空気にキスするような仕草を取らなければならないことを教えてくれた(ここではそれが常識なんだ)。僕が「知らなかったゴメン」と言うと朝倉は笑顔を取り戻し独り言のように「そうだよね」と言った。

ふすまをぶち抜いた座敷でさえ狭いと感じさせるほどの人数が鎮座していた。僕らは遅れてきたようだ。これだけ人間が居て誰も喋らないなんて、奇妙に感じられる。だけど、そのおかげで僕は疎外感を抱く事はなく、ここに居る誰もが皆、人間味ある個人ではなく数としての人間を演じているように思えたのも確かだった。多分、数になる自由を行使したに過ぎないのだろう。そう思えたのはきっと、みんな同じ服を着ていたからで、簡単に記述するのなら白装束。クーラーも付いていないため、人の息が酷く近くに感じられて僕は顔をしかめた。朝倉はそういう初心者の僕への気遣いとして、一番外気に触れる機会が多くなるように遅れてきたのかもしれない。窓は開いていたが、そもそも外が暑いせいで意味を持っているかどうかも怪しい。部屋の三分の一は空白、残りは人間だらけ、空白にはオルガンがあった。

汗で肌に薄い膜が生まれた時頃に、足を引きずりながら前に向かう女が現れた。その顔には焦燥感から生まれるある種の健全な必死さが刻まれている。左足だけが血の通っていない無機物のように、重電の切れたスマートフォンのように、機能を失い、彼女は自身の中にある他者に見られることによって焚かれる羞恥の炎に身を焼かれつつも、どうにもならないことを理解しており、それでも空虚さを越えるために、こうして僕らの前に姿を現したのだ、と僕は勝手にお似合いな解釈をした。

多分彼女は上手く生きる事の出来ない人、ここに居る人の光のようなものなのだろう。すくなくとも障害を持たない僕にとってはそう思えた。

「私は問いました。なぜ? と」

僕は耳を傾けるかどうか迷った。正直なところ、未だに僕は、この土地、この場、を信頼できていなかった、安全が簡単に崩れてしまうこともあり得る限りは、穏便に済まさなければならい。もし、朝倉が隣に居なかったのならば、話を聞くだけ馬鹿らしいと思ったに違いない。

「なぜ人類は繁栄したのか! それは外部のモノが存在したからであります。つまりは道具、道具なのです。外部のモノを内部のモノによって孵化させるのです。世界は卵です。私たちがそれを暖め、孵化させなければなりません。そこから生まれるのが青い鳥でも、自分の尻尾に噛みついて離さない蛇であっても。義務であり、伝統です。しかし、しかしです、私たちの内部に暖かさが残っていない場合には、それは誕生しません。暖かさが内部に存在している事は誰にも確かめられませんが、勇気をもって信じましょう。誰かが言いました。人間に一番似ているのは人間であると。ですが人類は今それを失いかけています。内部に風が吹きはじめています。そこで、我々、ニイテンゴ教は、このスクラップ&ビルドを繰り返し、全てが代替可能になりえている世界で、個人に帰属する責任に耐えきれない人々が持つ不安などを取り除くべく、共生を創めました。実現するために責任を皆で背負おうというわけです。これまでの営みや経験によって培われた方法を一度捨てて、第三の在り方、それが平面になること、を一つの制約とし幸福を追求するのです。人は制約や限界がなければ生きれません、偏見がない世界や自殺のない社会は異常であります。まさに今、偏見をなくそうと活動している人間が大きな偏見を孕んでいます、しかしそれは正しいのです」

僕は、彼女が唾を飛ばしながら、彼女自身が彼女の発した言葉に鼓舞され興奮し、段々と赤茶色になる顔、こめかみに稲妻のような血管が浮かんでいるのを認めた。しかし、話の内容はさっぱりだった。僕にしてみれば支離滅裂だし、明確な根拠もない。個々人の思想とはそういうものなのだろうか、多分話の内容が世界と結びついているせいだろう、きっと酔っているのだろう。なんにせよ、自殺する前に行われる自身を鼓舞する正当化への手続き・口状みたいなものにすぎない。

「皆不安で、不安に対して頭で考えているのです。皆さんも自身の頭と身体が分離してしまったと感じる瞬間があったでしょう? 私たちは、それを受け入れ、それでも前進したいという人々の助けとなるような教えを説かれたニイテンゴジ様を信じています。自分をコントロールできる人間もおりますが、それが出来ない人もいます、あるいは中途半端な者も。人はそれぞれであります。十人十色なのです、現在においては一人十色になりつつあり、その分裂は避けられません。それでもニイテンゴジ様は傾聴してくださいます。自身の不甲斐なさを認め、私たちに助けを与えてくれます。苦しくはなく、ただ耐え難いと感じている我々を見守っていらっしゃいます。間違いを犯したのなら声を掛け、正しい行いをしたら微笑み頷いてくださいます。(失敗を失敗として意識させないことが挙げられる)信じたいことを信じる事は可能ですが、信じたいことを信じる怖さを私たちは知っています。では、人が信じているモノを信じれますか? ええ信じられますとも。もし裏切られたとしても原因はあなたにはなく、相手が信じていたせいです。不安という濁流に流され、しかし、その中でも希望や夢、そういったモノを見出すことができるのです。他人から見られる事、恐れてはいけません。それはあなたが背景から他人にレベルアップしたからです。次に、あなたたちは名の付いたモノとして認知され、名前のある他人として認められるのです。そのステップを踏まずに生きる事が出来るのが新しい人間であり、それを踏んで生きる事しかできないのは古い人間です。では私たちは? 私たちは中途半端です、どちらに対してもある程度の理解を示します。これが私たちを苦しめる気怠さの正体であり、受け止めなければならないことです。皆で受け止めましょう、受け入れましょう。各々が背負いきれないならば集団で背負いましょう。そして共に歩みましょう!」

僕は昨日の夜、安心して就寝し、深い眠りを堪能したと思っていたのだが、どうやらまだ物足りなかったみたいだ。目を瞑り深く胸に刻んでいるかのように眉間にしわを寄せ(眠らないようにするには、どこかに力を入れるのが有効的だと思う)耐え抜いた。欠伸を噛み殺し(一応)耳に音は入ってきたけど、結局何が言いたいのか分からず、あとで朝倉に聞こうと思った。

朝倉は意味不明な言葉に対して涙を浮かべ、僕を戸惑わせた。僕は眠たすぎて涙を浮かべたのだが、どうやら朝倉は違う経路から涙を手に入れたらしい。妹は寝ていた、女の人は微笑んでいた、ところで、これが朝倉の伝えたかったモノなのだろうか?

一通り奇妙な演説が終わると、朝倉が前に出ていき、オルガンの前に座る。そして、昨日聞かせてくれたような繊細で硬質な音楽ではなく、強弱のない連続する音を始めた。それに合わせて周りの人間が合掌しながら合唱し始める。僕はいよいよ、吐き気を催すほどに蒸しかえった部屋で、から寒さを感じた。良かったところは、あまりにも奇妙すぎて、僕の常識の残滓が疎外感ではなく、優越感をもたらしたところだろう。ここでの常識と、僕の四半世紀ほどの人生の中で知らぬ間に積み上げてきた、かろうじて他人と共有されている偏見が、互いに浸透し合う事はなく、僕に優越感をもたらしたに過ぎない。

僕も一応メロディーをそれっぽく口ずさんでみたが、上手く合わせる事が出来なかった。そうしてから気づく。朝倉との関係をこれからも続けていきたいと願っている僕にとっては、ここでの常識を偏見にさらさずにフラットな視点で見なければならないのでは、ここでの常識を理解することが大切なのではないかと。そして、僕は出来る限りメロディーを合わせる努力をしつつ、その歌詞も同時に理解しようとした。が、統一(共有)された歌詞なんてものは無く、それぞれが言葉と音の間のメロディーを繰り広げていた。しかも、そのメロディーは歌うために調整された音程ではなく、独り言のような音程であり、静かな笑い声よりもずっと低く呻きのよう……読経のようだと言ったら敬意が足りないかな? まぁとにかく、なにもかもが追求されている訳ではなかったという事だ。

その後、朝倉は不具(差別用語になっているらしい)の女と二言交わして僕らの下に戻って来、妹と女の人に家に帰るよう伝えた。その後、僕に着いて来るようにと、眠たそうに言った。合唱が終わった部屋でも呻き声は健在だ、むしろ金属ドリルが歯を削る時に発する音に似た蝉の声と混ざり合い不快だった。僕は朝倉にお粗末な演奏の原因を期待して「寝れなかったの?」と聞いた、「妹が中々寝ようとしなかったから、少しだけ寝不足」と答えてから、彼女は欠伸をした(彼女は僕と同じく退屈さから涙を輸入したのだろうか?)。

朝倉と僕は他の人間と一緒に他人の家(教会)から三件隣の建造物に向かった。呻き声が耳にまとわりついて来、その建造物に近づけば近づくほど、呻き声は僕の身体を膜のように覆いかぶさる。自分が把握する輪郭をぼやけさせる呻き声による薄い膜は、僕がいくら肌を擦って亀裂を生じさせようとしても、僕の内部がその膜を分泌しているかのように自己治癒する。おそらく唇を開き言葉を発すれば、シャボン玉のように宙に浮き、音もなく破裂するのだろう。僕は、その建造物がアパートと同じ様式であることを認め、やがて自分の住んでいる家も同じような構造をしている事に気付いた。少し錆びた階段と、焦げ茶色の外壁、確かにこんな家には泥棒なんかは侵入してこない。もっと言うなら、こんな家に住む人間は家に盗まれてもいいもの(金だとか、他人が盗もうと思えるほど生活水準が高いもの)は置くことは本来的に不可能と言っても過言ではないだろう。道中というほどの長さを持たない建造物までの舗装されていない道、人間が通る事で生まれる轍に近い道、の途中で朝倉が思い出したように「これから伝えたいモノがあるところに行くんだよ……逃げないよね?」と消え入りそうな声で問いかけた、言葉は、いくら嫌悪しかけてしまうほどの自己憐憫に彩られていたとしても、僕に大きな拘束を与えた。期待が表層に建造されるほど大きいならば、それを裏切る喜びは快楽に似ているが、表層に浮かばずに水面に隠された期待には、不干渉に向かうエネルギーを内包している。

アパートに似た建造物の前で信者同士が集まり、チリジリに部屋に向かった。朝倉を追い一室に入った。部屋の中央で呻き声が背中を丸め座っている。僕は現実味のない体験したことのない景色を見、目を疑い、一度落ち着くために処理しきれない視界から逃げるように、くるりと背を向け屈んで靴を揃えながら大きく息を吐いた。だが、僕は納得してもいたのだ。部屋は六畳ほどで、呻き声の匂い、汗でも不潔だからというものではなく本来の体臭を消すわけではなくより強い匂いで蓋をしてしまうような人工的な甘ったるい匂い、鼻から侵入して目頭あたりに痛みをもたらす匂い、カーテンが閉められ窓の存在が隠された部屋が納得させた。

「お兄ちゃん、鉄くんだよっ。覚えてる?」「おぉおぃぼえてぃる」そうだ、この声がそうなのだ。舌がまったく動かない喋り方と低くくぐもった声……。「鉄くんっ、私のお兄ちゃんだよ」僕は確かに朝倉の兄とは面識があったのだが、本当に彼が兄なのか判断できない。僕はまだ彼に接近していないからという理由が通じないほどに、明確に判断できない。   

朝倉の兄は僕と朝倉が小学生の時には大学生だった。直接的にかかわる機会は少なかったが、顔を合わせるたびに気さくに声を掛けてくれたのを覚えている。僕は小学生になってから母親に虐待とまではいかない暴力(僕はそれを愛情の鞭として解釈していないし、変える事の出来ない母からの暴力という事実にしている)を受けていたし、そのせいもあってか朝倉家への痛みを伴う羨望を抱いていた。血に対しての伝統的な考え方を醸成しはじめる年齢で、既にいっそのこと血を入れ替えてしまいたいと願っていたといってもいいだろう。それとも身内の中に朝倉の兄のように気にかけてくれる存在を欲していたのだろうか?

僕は絵画でも見たことのない顔、子供でも描けない顔、どれだけ面白い顔に出来るかを目的とした福笑いのような顔、に変わってしまった朝倉の兄に憐憫や同情が湧くよりも早く、嫌悪や恐怖を感じ、自分自身を侮蔑した。僕は自分の顏を仮面であるかのように強く意識しながら「覚えているよ、お兄さんは元気そうだね」と下手に気を遣い、皮肉にも受け取られそうな言葉を朝倉に発したのだが、彼女の兄が「そぉでもなぃいよ」と内側に丸まった手を畳に叩きつけながら言い、僕を敬語が使えない人間へと追いやった。

朝倉は、自身の内面を他人へと切り替えるためにか強く短く息をフッと吐き、「じゃあ始めるね」と言った。

「ぁああぁ」

僕は昨日と同じように手持ち無沙汰になったが、ここに居る意味という点では明確に、ここに朝倉の伝えたいモノがあると理解していたため、ただそれに耳を傾ければ良いのである。自らの不安定さを露呈しなくて済む、と少しばかり安心した。

遠くから救急車の音がする。一度も乗ったことがないのに存在を信頼している救急車のサイレンが聞こえるのは、窓が開いているからなのだろうか。風が吹けば人の声は聞き取りづらくなるが、この部屋が陽の光を浴びることは確かだ。

僕の手に風呂桶とタオルが手渡され、お湯を汲むことと蒸しタオルを作るように頼まれた。僕はつばの浅いカンカン帽のような桶でお湯を汲んだ。のちに薄手のタオルを濡らして電子レンジで二分ほど暖めた。

それらを兄の隣で膝を揃え座り、普段よりも声を高くして雑談をしている朝倉の隣に置いた。朝倉はそれに気づくと、微かに鼻で笑ってから、兄のズボンを下ろした。

僕は目の前で行われる極めて親密であることを確かめ合う行為(肉親で行われるべきではないこと)から遠ざかるために、空想をした。そう気を紛らわせなければ耐えることのできない安心の攻撃がやってくるためであり(安心の攻撃とは、その状況において疎外されていない状態が心的に苦痛に感じることである。僕には安心が信頼の土台の上に成り立つものではなく、疎外されていないことを確信することによって起こる自己治癒の一つのように思えてならない)、その行為に対して積極的な意味づけを行うことが不可能であるのを認めているからだった。空想と想像は違う、空想において論理や根拠や推測や予測は必要がない。僕の空想は右腕の手が左手の形状を持ちはじめるところから始まり、友達という概念によって歪められた交友関係に苦しむ(友達であるなら好きであるべきだという固定化された考えを変えられずにいる愛しき)高校生に、僕の右腕にある(左手の形状をした)右手と、左腕にある(右手の形状をした)左手を見せて反応を楽しむことを通じて、最終的にはその高校生たちに殴り殺されるといったものだった。空想の結末がそうなってしまったのは、呻き声が聞こえるからだと思える。ただ事実にすることはできない。信じることも。

やはり僕には空想の才能はなく、いくら気にしないようにしても、それを意識してしまい、つまるところ完璧な空想とはいかないようだ。僕は朝倉が手袋というファクターなしに隆起した兄のアレを上下に動かし時折左右のうねりを加える動作そのものに嫌悪感を抱く。この行為に意味があるのだろうか。僕は思う、もしアパートに似た建築物の前に集まっていた女たちが等しくに手淫を行っていたとしたら彼女は共同の鎖によって、幾分かの酸素のみを分け与えられた宇宙飛行士のように、自然と孤独のうちへと追いやられ、それに対抗する手段として自ら使命を背負おうとしているのではないだろうかと。(現段階ではディスコミュニケーションを引き起こすために鉄にこう思わせているが、かれの推測は微かに外れている。実際は朝倉にとって、兄の生/性処理は贖罪の意味が強く、最終的には自己処罰へと収束する)

朝倉の兄の呻きが地響きのように僕の土台を揺らがせる。脳内で発生しているかのような呻き、逃避の空想さえも上手くできない僕、こびりついた笑顔と曖昧な意思を持っている朝倉がある、にべもない部屋でカーテンが大きく膨らんだ。昼のギラギラと照り付ける陽が呻き声の顔を照らし、彼のだらしなく喘ぎを上げる口から垂れている唾液がそれを反射している。他人のため息のように湿った気怠い熱気を含んだ風が僕の顔を撫でた。「お兄ちゃん、そろそろ出そう?」「あぁぁぁん」朝倉は絞り出すような声で細く「分からないよ」と言ったが、快楽の落とし穴に自ら入り込み脱出しようとしない彼の耳には届かないようだった。部屋にもたらされる陽の揺らめきが彼の目を細めさせ、やがて抵抗することが面倒になり、彼は目を瞑る。朝倉の腕にある切り傷のような彼の目から輪郭を持つ透明な液体が流れ耳の穴へと入り込んだ。朝倉の兄は足の指を強く握りしめ、全身の筋肉がつったかのように一本の線へと変貌し、腹の底から快楽の混じった叫びを発した。

それは虹のような柔らかな曲線を描き畳の上に舞い降りた。鞭のように、あるいは蛇のようにうねった白濁液は次第に畳の中へ浸透していくだろう。精液だけを見ていると、それが一体誰のものなのかが分からなかった。僕は朝倉の行為に対しては嫌悪感を抱くが、彼女の兄に対して嫌悪感を抱いていない。ただ彼の発する呻き声が僕を激しくゆすぶるのだ。言葉にすることができない中途半端な音は僕に応対の要求をしてくることはない。

もしかして僕は、朝倉の兄になりたいのだろうか。自分自身に対する疑いを抱けば抱くほどに僕は興奮した。なぜか興奮した。

「おわったね」

朝倉が精液を拭き取りながら僕にそう言った。その言葉は僕ではなく彼女の兄に向けられるべきものだろう。僕は彼女がこの行動に僕を組み込もうとし始めていると感じた。今のうちにこの集団に属するかどうかの判断をしなければ知らず知らずのうちにそれに組み込まれてしまうだろう。それはだきるだけ早い方が良い。だが、僕には判断できない。ジレンマがあるのだ。朝倉に接近することを目的にニイテンゴジ教を信じることに対して自らに疑念を感じている。態度の問題であり、それが物事の成功に大きくかかわっているのだ。信頼を得る事は出来ても、必ず何処かでエゴが生まれ朝倉以外の信者への裏切りが成されるだろう。しかし、僕は何かをする時に、終わりを意識せずにはいられない。それがこの宗教に組み込まれた後に続くと思われる不思議な思い入れが何か特別なものになるのかもしれないと思うのだ。それが終わりを意識する人格を改造して、新しい人間として生まれ変わる事ができる気がする。朝倉の兄は終わりを意識しているのだろうか。朝倉は終わりを意識しているのだろうか。全くそのようには思われなかったせいもあるだろう。

ここには未来はなくて希望だけがあって、僕は死にたいという感情に別れを告げる事ができるだろうか。分からないが、体験入学をしてみようと思った。

 

駅前にある煙草屋、コンビニ、パン屋、ケンタッキー、とんかつさぼてん、コージコーナー、その前を通ると冷風が足首をなぞる。日曜日の真昼間、サッカーボールを持った子供たちがバスに乗り、ジジババは広がって杖を突きながら熱さを跳ね返すように大きな声で喋る。クールZを背負った女子高校生がイヤフォンを付けて歩いている。アシックスタイガーを履きアメリカンイーグルのシャツを着た父親と花柄のワンピースを着て白い麦わら帽子を被った母親の間に蛍光色で胸に仮面ライダーがプリントされたシャツを着た子供が二人を繋ぎ止めている。コンビニのビニール袋を持ったチェックシャツの男がスマホと睨めっこしている。快活な笑い声を立てていそうな老人がサニー・デイサービスの車内にいる。車内なのに帽子を付けている。駅に近くで張り付いた笑顔を持ち、汗をワイシャツににじませた化粧の濃くハキハキ喋る女の人が話しかけてきた(確か、この駅は豆腐大学の最寄り駅だったから、そのせいだ)。彼女は僕を見るなり、脇に抱えたトートバッグを胸の前に持って来、僕に職業を聞いた、なんとなく大学生と嘘をついた(答えなくても良かったが目を合わせてしまったから、なぜが無視できなかった。ポケモンとかでも目があったらバトルするし、きっとそういうもんなんだろう)。学年は? と聞かれて二年生だと嘘をついた。ちょっとしたアンケートを求められた。僕が書いている間、彼女は自分が何を意図して声を掛けたかを聞いてもいないのに口にしていた。僕はアンケートに朝倉若人と書き、東京大学と書き、経済学部と書き、二年と書く。すると嘘だったものの解像度が上がり、自分がそういう人間のような気がして来た。僕は東京大学経済学部二年の朝倉若人なのだろう、きっと。将来どうなりたいのかの項目は、もっと熱くなりたいとか自信を持ちたいとか曖昧なものばっかりで現状維持という選択肢はなく、僕はなんとなく熱くなりたいに丸を付ける。すると、僕は熱くなりたいのだと思った、今何をしているかの項目には就活の準備だとかインターンに参加するだとか自分磨きだとか選択肢があって、自分磨きに丸を付ける。僕は今、自分を磨いているのだと思った、この無駄に過ごしてきたと思っていた時間が全部自分磨きの一環のように思えた。最後にラーメン店の割引クーポンの点いたチラシをもらった、食べる事はないのに受け取った、受け取らなきゃいけないような気がした。ちなみに連絡先のところはドミノピザの電話窓口を書いておいた、ばれないように手を番号の上に置いて彼女に手渡し、急いでいるのでと嘘をついて、改札へと向かった。

駅の改札口に枯れ始めている笹がある。色とりどりの願いが結んである。二、三個の願いは灰色のタイルの上に落ちている。短冊の多さにぎょっとした、こんなにも何かを願っている人が多いのかと置いて行かれた気がした、きっと誰も笹が枯れ始めている事を気にしていない、自分の願いを結ぶモノとしか見ていない、なんだか悲しい。葉がくすんだレモン色。幹は墨色で、朝倉の髪と同じ色だった。髪の毛が風になびかれて一本一本が光り輝いている学校指定のジャージを着た女子高校生が駅のホームでうんこ座りをしながらたべっている。電車を待っていると修学旅行生を乗せた特急電車が通り過ぎた。僕は窓から手を振るお調子者に手を振り返すと、べたつかない暖かさを取り戻した。近くで親子が電車の写真を撮っていた。車内は冷房が入っていて心地よくまどろんだ。

僕が再び、この地にやってきて朝倉にハッキリと、ここに住みたいと言った時、彼女は明らかな動揺を見せた。あからさまに、それが全て僕の意思だと僕に思い込ませるような、芝居にしては下手糞すぎるリアルさから彼女が本気で僕を心配してくれていると感じた。彼女はきっと僕の言葉が「助けてください」と似た響きを得ている事を知っていたのだ。何度も「本当にいいの?」と僕に聞き返す姿を見て、僕は彼女を抱きしめたい想いに駆られた。彼女は苦笑いをしてから、僕の手を引いた。もう僕には他に行きたいと思える場所はないのだ。意思は数多くの選択肢の前では生まれることはできない。決めたとしても相当な覚悟がないと、意思は引き裂かれてしまうのだ。

 また教会に戻った。そこで演説をしていた女の人に朝倉が僕を紹介してくれた。女の人は僕を一瞥し奥へと引っ込み、杖を持って戻ってきた。満面の笑みで僕にこう言った。「ニイテンゴジ様は貴方を認めるとおっしゃいました。あなたには覚悟がありますか?」僕は陽の光に照らされた銀色の杖に対して意図が見えなかった。「覚悟? わかりません。あるかないかなんて」「それでは駄目です。分からないは悪です。良いですか? 現代社会では分からないは無用なのです、意味が分からなくても分からなければならないのです。無用は悪です。しかし、貴方はニイテンゴジ様に認められました。ですので、これもまた茶番ではありますが、儀式的要素を排することはできません。期待してますよ」そう言って、女の人は笑いながら持っていた杖を持ち上げて僕の頭を狙った。僕はアルミで出来た杖を抵抗することなく頭で受け止めた。女の人の前でうずくまり両手で頭を覆い、呻き声をあげた。次に肩甲骨の間に打撃の感触が起こった。僕は咳き込んで呼吸が上手く出来なくなった。脇腹も同じく叩かれた。だがそれは僕が幼少期に受けた親からの暴力に比べれば、ただ痛いだけだった。頭部にまた一撃が加えられると、僕の手に暖かい血が流れてきた。しかし、変な話だが僕は落ち着いたのだ。この意味の分からない行為によってより強く印象付けられる非現実な集団の姿が、次第に明確に現実だと理解されてきたのだ。朝倉は今の僕を見てどんな顔をしているだろうか。気になって首をひねり彼女の居た場所を見ると、彼女は微笑んでいた。僕はその顔を見た瞬間に叫びをあげた。喜びの雄たけびを。そして後頭部を凹凸のできた杖で叩かれても、僕は笑みを崩すことはなかった。僕は生まれ直したのだ。「笑いながら泣くことができますか?」「できます」「絶望しても諦める事をしませんか?」「大丈夫です」おそらく最も力を籠めた一撃が腰に降りてきた。「大丈夫じゃなくて、なんて言えばいいんですか!」「諦めません!」僕への打撃は止んだ。夢を見ているようにうっとりとした瞳と薄い笑顔で僕を見た女の人は涙を流し、ぐずついた声で「共に生きましょう。貴方は背負ってくれますか? 貴方は背負われることを恥じませんか?」「きっと……」僕は殴られた。「大丈夫です」僕はまた殴られた。「なんて言えば殴られませんか?」僕は目に血が入った痛みに耐えながら尋ねた。「悠貴ちゃん。辛いと思うけど我慢してね」と女の人は、抵抗できないほどに弱まった僕を仰向けに転がし、腹に乗った。「オリジナリティ、オリジナリティ、マジョリティ、マイノリティ、アイデンティティダイバーシティ、二項対立から相対主義、争いから不干渉へ、記憶の喪失、本音の消失、建前の建設現場、多文化共生」杖を三角形の頂点にして、リズムに合わせて僕の腹の上でぴょこぴょこ足踏みする女の人。僕は耐える事の出来なくなりつつある痛みから器官が機能を持たなくなる恐怖を覚えた。朝倉はひきつった笑いを耐えていた……。「僕はここで生きていくためにすべてを犠牲にしました!」痛みが僕に告白を求めた。「これまでの人生、やりたいことが一つもなく、目的意識がありまっせんでした」女の人の足踏みが止まった。それでも腹は酷く重たい。「仲の良かった友達も、今じゃ疎遠です。誰も僕を引き留めようとしません。捕まえてくれませんでした。僕はここに居たいです!」「ならばよし!」朝倉が女の人を介助して、畳の上に立たせた。「悠貴ちゃん、彼のこと頼んでいいかしら?」「もちろん!」朝倉の声が僕の傷口に染み込み治癒するように感じられた。僕は仰向けになり天井を走るネズミの音に耳を澄ませた。ネズミは罠を仕掛けられ殺されるが、僕は生き延びた。姿を見せないネズミについて、女の人は全くと言っていいほど関心を寄せていない。

「テツくん、おめでとう。早く手当てしないとね!」

 彼女の家に着くと僕は家族の一員に慣れたような気がした。明らかに男性が居ない平屋でおそらく僕は父親という役割を演技することになるが、その特権的な役割は権力を持たないことも明らかだった。彼女の母親らしき女の人は僕を抱きしめてくれた。彼女の妹は僕の太ももに非力なパンチを繰り出してくれた。彼女は少し離れた所から心底安心したように微笑みかけてくれていた。これで食卓の空いた二脚の椅子のうちの一つは僕の席になるように思われた。茜色の家族の中に僕は居た。記憶にある限り今まで体験してない家族だった。僕は熱い涙をこらえながら、精一杯の笑顔で彼女に答えた。視線がぶつかり合い、確かに繋がることができたと感じた。根拠はないが。

「それじゃ、自己紹介したほうがいいですか?」と僕は新参者としての体を取り続けながらも、自らが家族になったという確信によって馴れ馴れしすぎる確認を取った。彼女の母親らしき女の人が「そんなのいらないわ。だって、私たちはもっと深い所でつながっているのだから。木の根っこが土の中で絡み合いながら、崩れない土壌を作るように、すでに私たちは繋がっていたのよ。けど私の名前は…………」「お母さん!」彼女の妹が溌溂とした声を上げた。まるで裁判での主張のように張り上げて。「そうだよ、お母さんはお母さんだよ」「そうね、私はお母さんなんだから」僕はお母さんを呼ぶときには発生し慣れない言葉の瑞々しさを感じざるを得ないだろう。「お母さん、僕が鉄です。これからお世話になります」「よろしくね、くろがね君」

 僕を迎える夕食は昨日食べた献立と同じだった。そして僕は朝倉と一緒に料理を作った。僕は朝倉に包丁の手ほどきを受けながら、これが一年後、三年後と年を重ねるごとに熟練されていくのだとまだ来てもいない感慨にふけった。僕の手の皮が厚くなれば彼女の手の美しさの性質を変えるだろうか。僕は彼女のためならなんでもしたいと思った。そこにニイテンゴジというなんだか分からないモノは不要で全く関係がなかった。