田我流 - やべ~勢いですげー盛り上がる feat. stillichimiya @ 〜東日本大震災チャリティライブ〜
tofubeats - LONELY NIGHTS
くるり - 東京
- 作者: ミシェルウエルベック,Michel Houellebecq,中村佳子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/02/03
- メディア: 文庫
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↑書くにあたって参照したやつ。ロンリーナイツがきっかけ。
誤字脱字あるけど許してちょんまげ。
上には上がいるように、きっと好きな人には好きな人がいるのだと持った。唐田さんとは何度もご飯を食べに行ったり、映画に行ったり、ライブにも行ったり、それなりの時間を共有してきたつもりだったけど、彼女にはクリスマスの予定があったのだ。
その時の事を思い出すたびに息が詰まって無意識に変な顔をしてしまう。唐田さんと昼食をしていた時に、それとなくクリスマスイブの予定を聞いてみたところ、伏目で何かを想像しているような顔をしながら「あるよ」と言われたので察した。そして僕は自分の顔を見られなくてよかったと安堵していた。顔が熱くて周りの人に見られたらいやだなぁと思って俯いてしまったけど、耳は真っ赤だったと思う。これほど惨めな男はいないなと自虐する事で現実を受け入れようとして、実際にそれは上手くいった。虚しい限りだが。
同僚の雄介に「唐田さん、クリスマスイブの予定あるんだって」と報告すると「まぁどんまいだ」と言ってくれたが、彼もクリスマスイブの予定がある事を僕は知っていた。つまるところ僕はクリスマスの楽しみがないという事だった。余計に寂しかった。
タイムカードを押してからビルを出た。対面にあるビルはまだ明かりが点いていて少し羨ましかった。きっと彼らは富士通のデスクトップパソコンと格闘し目頭をつねりながら苛立っているだろう。今日は社内で定期的に行われるノー残業デーだったのでお一人様飲み会なる催しに誘われたが、僕はどうしてもそういった気分にはなれず、一人で帰路につくことにしていた。しばらく出口でぼんやりしていると、楽しそうな笑い声が聞こえたので、そそくさと駅へと向かった。
大崎駅まで歩いているとなんとなく消えてしまいたいと思った。フットサルコートでは赤と緑のスポーツウェアでサッカーをしている男女がいて、その笑い声は幸せであることを大きな声で主張しているように思われた。唐田さんのマフラーもクリスマス色だったのを思い返した。街路樹に巻かれたイルミネーションは確かに綺麗だったが、その綺麗さが僕の虚しさを加速させている。コートのポケットに突っ込んだ手は、おそらく冬の間外に出ることはないだろう。白い息は、ため息によって生まれて、すぐ消える事はない。フットサルコートの上らへん、つまり僕から見て左側に液晶モニターがあって、そこからtofubeatsのLONELY NIGHTSが聴こえてきた。今日は一人で炬燵に入りながら、酒を飲んで、小説でも読もうと思った。きっとそれが自分にはお似合いだ。
やってられないと思い、折角二か月も禁煙できていたのに煙草を吸った。それもイルミネーションの中にある喫煙所で。きっと僕は愛の希求の行為をしていたのだと思う。腕を組んだり、手を繋いだりしている男女が嫌に目に入ってきた。そしてみんな笑顔だった。僕は下を向いて生きた方が良いのかもしれないと思った。灰皿に煙草を落とし歩きはじめるとすこしクラクラしたが、それが良かった。なるべく意識がそっちに向かわないほうに誘導できそうな気がした。後ろからカッカッと音がした、かなりテンポが速く、振り返ってどんな靴を履いているのか確かめようと思った。しかし本当は靴の種類なんてのはどうでもよかった。ただ何かに意識を向けていないと、ついクリスマスイブについて考えてしまうからだ。
「あれ、裕太じゃん?」
聞き覚えのある懐かしい声が聞こえて、顔をあげた。彼女は何故が苦虫を潰したような顔をしていた。きっと僕に声を掛けた事を後悔しているのだろう。知らないふりをすることはもう出来そうもなかった。僕は彼女から目を逸らしながら一番会いたくない人に会ってしまったと思った。
「高校卒業以来ですか? お久しぶりです」
「そうだね」
あまり会話は弾みそうもなかった。彼女のスーツ姿は新鮮だったし、しっかりと化粧をしていたから高校時代のもっさりした印象がかなり薄らいでいた。あまりに久しぶりだったのと申し訳なさが入り混じって、僕は視線をどこに向ければいいのか迷いながら彷徨わせていたらコートのポケットからイヤホンのコードがはみ出ているのに気が付いた。けれど、それを指摘する気にもならなかった。
「裕太はこの近くに職場があるの?」
自然と駅へと向かいながら会話を続けていた。車のテールランプに照らされて緑色のイルミネーションがしばらく赤く染まった。
「うん。就職してからずっとここで働いています」
「じゃあ、庭なんだね」
横断歩道の白線は所々掠れていた。赤茶色の路面にラメが散らばっていて晴れた日の川の水面みたいだった。僕は五年で庭になるなら、十年後には家にでもなっているのかと思ったが、ここは人の出入りが多いのであまり落ち着けなさそうで、改めてこの地に愛着も何も持っていないことに気付かされた。
「庭って……まぁ多少は詳しいぐらいですよ」
「それじゃあさ、ご飯でも食べに行く?」
「あー、いいですね。……なんか食べたいモノとかありますか?」
僕は彼女のノリに合わせることにした。彼女の意図は何処にあるのか探ろうとしても無駄だと思ったし、それだけではなく、自分がワンルームのアパートで一人っきり、丸まりながらご飯を食べている時に何を考えてしまうのかが想像できてしまったことが、一番大きな要因だ。今の僕に自炊するほどの余裕もないし、そもそも一人でいるのが怖かった。
「このシーズンだと色んなお店が混んでるから、空いてるお店がいいけど、うーん、あまり派手じゃなくて美味しいお店とか知らないの?」
組んだ腕と頬に手を当てて言葉を選ぶ癖が彼女にはあった。その仕草は失われていなかった。約九年越しに再会しても彼女はあまり変わっていないのかもしれない。あるいは僕が変わっていないだけかもしれない。
横断歩道に差し掛かり、信号が赤く光っていた。トマレの合図 。
「ラーメンぐらいしか思いつかないや」
「え、いいじゃんラーメン。寒いし」
彼女の背が瞬間的に伸びた。それまで寒さで猫背になっていたのだろう。
「じゃあ、それでもいいですか?」
「てか、なんで敬語なの?」
「いや、それは……」
信号が青に変わり、歩き出した。彼女はコートのポケットから手を出し僕の腕を掴んだ。
「ちょちょちょ。ここ渡ったら駅に入っちゃうじゃん」
「あ、いや、すいません。五反田の方にあるんですよ」
ショートホープが落ちていた 。僕がそれに視線を送っていると、彼女は不思議そうにそれを見て、拾った。僕は彼女がタバコを吸っているのに驚いてしまったが、別に不思議なことはないのかもしれない。僕たちはもう二七歳なのだから、生きていればストレスが溜まってしまうのだから、仕方がないだろう。彼女は僕のほうを見てバツの悪そうな顔をした。が、すぐに気を取り直したようで「タバコ吸ってないとやってらんないよ」と言った。僕は曖昧にうなずいた。握られたままの腕に対してどのように対処すればいいのか考えていたが、解決策は何もなかった。
#
外回りを終えたころには定時を過ぎていた。このまま直帰だ。別に気分は浮かれていない。誠に合うのは明日だし、彼はクリスマスイブである今日、私とは別の女の子と遊んでいるに違いないのだ。友達と遊ぶなんて言っていたが、私は彼のiPhoneを見てLINEのトーク履歴に女の子と遊ぶ約束をしているのを見てしまっていたのだから、すでに証拠は掴んでいた。
十五メートルぐらい先の信号は青だった。横断歩道を渡って早く家に帰りたかった。彼が知らない女を連れ込んでいたらトッチメテやろうと意気込んでいた。誠は優しくて言い寄って来る女を邪険にできないから、私が代わりにしっかりと言ってあげようと妄想しながら歩く速度を上げた。
私が急いでいるとふらふらしているサラリーマンが前方にいた。猫背で覇気が全く感じられないから四十歳ぐらいに見えた。その男は急に振り返った。
「あれ? 裕太じゃん」
驚いて話しかけてしまったことを後悔した。けど、裕太に久しぶりに会えたのがうれしかったのも確かだった。私が高校生の頃に一番好きだった裕太、今では少し嫌いな裕太、けどやっぱり嫌いになれない裕太。会いたくない人と再会してしまったと思った。奇跡というのは悪い出来事にも使える言葉なのか考えてしまった。
「……高校卒業以来ですか? お久しぶりです」
久しぶりに会った彼は少し他人行儀だった。彼なりにあの別れ方に罪悪感を抱いているのかもしれないな。
「そうだね」
それきり彼は黙ってしまった。なんとなく彼が一人なのが凄く可哀想に思えた。あんなに大人の事をインチキだって言っていたのに、やっぱり就職していて彼も平凡なのだと思った。 いや、あの頃は危険な年齢だったのだ。
「裕太はこの近くに職場があるの?」
「うん。就職してからずっとここで働いています」
こうしてみると、彼とはあまり接点がなくて、付き合っていたのがもの凄い昔のように感じた。そして凄く安心した 。
「じゃあ、庭なんだね」
「庭って……まぁ多少は詳しいぐらいですよ」
彼は私の冗談を真面目に受け取った。昔から思っていたけど裕太はもっと笑えばいいのに。というよりかは笑っていてほしい。
「それじゃさ、ご飯でも行く?」
「あー、いいですね。……なんか食べたいモノとかありますか?」
今度の冗談も真面目に受け取られてしまった。小腹が空いてるからいいけど。
「このシーズンだと色んなお店が混んじゃっているから、空いているお店がいいけど、う~ん、あまり派手じゃなくて美味しいお店知らない?」
「ラーメンぐらいしか思いつかないですね」
彼がピタッと足を止めたので、私も足を止める。
「え、いいじゃんラーメン。寒いし」
ラーメンを食べるのは大学生以来だ。彼は胃が強い方ではなかったし、あっさりめのラーメンだろう。もしニンニクが売りのラーメン屋だったら用事を思い出したと言って抜け出そう。匂いが残るのは嫌だし。
「じゃあ、それでいいですか?」
「てか、なんで敬語なの?」
本当は、「てかなんで私と一度も目が合わないの?」と言って困らせたかったけれど、手加減してあげた。
「いや、それは……」
隣を歩きたくないぐらいに落ち着きがなくなった彼は、それを誤魔化すように信号を渡った。私も誤魔化 しているから似た者同士なのかもしれない。あれ? ラーメン食べに行くんだよね。
「ちょちょちょ。ここ渡ったら駅に入っちゃうじゃん」
「あ、いえ、五反田の方にあるんですよ」
五反田は遠いのか近いのか土地勘の無い私には分らなかったけど、まぁ暇だし行ってみようと思った 。しばらく彼が黙って私の足元を見ていたので、つい足元を見ると、煙草が落ちていた。しかも私のだ。別に彼に知られても何にもならないけど、なんとなく「タバコ吸ってないとやってらんないよ」と言い訳をした。
#
店内のBGMが露骨にクリスマスという音楽ではなく、シャンシャンシャンという鈴の音がする絶妙にクリスマスを感じさせる音楽だった。ここのラーメンは味が濃いけどゆずが入っていて食べるのが楽しい。特性ラーメンの食券を買い、彼女を待っていると「先に座っていて」と言われたので奥のテーブル席に座った。僕と彼女以外の客は家族連れが一組とお一人様のサラリーマンがいた。僕の将来はどっちだろう……このままだときっとサラリーマンだろうな、と少しネガティブになりかけていたら彼女が僕の右前に座った。
店内は暖かくて、少し眠くなってきた。それでさっきまで肩の力が入っていたのを自覚する。ここ最近で疲れがたまっていたのかもしれない。唐田さんは今、どうしているだろうか。きっと楽しく過ごしているだろう。別にそれで僕は満足だ。
店員が水を持ってやってきた、食券を渡して「中盛で」と頼むと彼女は目をぱちくりさせた。そして「私は並盛で」といった。
「並も中も同じ値段なんだね」
「そうなんだよね。だからいつも中盛りを頼むんですよね」
「ここにはよく来るの?」
「月に二回くればいい方かもしれません」
「ふーん。意外と歩いたもんね」
そこで会話が止まった。僕は何を話したらいいんだろう。最近起こった事? 告白する前に振られたこと以外に目立ったことはなかった。じゃあ、互いに何の仕事をしているか? 今の僕には楽しい話ができなさそうだ。
「最近、寒いですね」
出てきた言葉がそれで、僕は自分に失望した。一体どこで間違えたんだろう。いや、間違えていないだけで正解もしてなかったのかもしれない。けど、今は最初に謝るべきだった。
「うん、寒いね。最近どう?」
世界中どこを探しても、こんなに気が利かない会話は見つからないだろうと思った。店内のBGMが切り替わって有名なバンドの曲が流れた。僕は何故! と驚いた。止めて欲しい、この曲は初めてコピーした曲だから止めてくれ、思い出させないでくれ! という気分になった。僕にも黒歴史があるのだ。
「あまり変わらないです。最初に一年は頑張ったけど、だんだん慣れてきたので。これからもきっとそうなんだろうなぁ。変化のない、平凡な日々が続いていくんだ」
「え、どうしたの?」
彼女は笑っていた。僕があんまりにもネガティブだからだろうか?
「あっ、ごめん、全然なんでもないよ」
「あんまり変わっていないよね」
ラーメンが運ばれてきて僕は救われた。凄くお腹が空いた体で僕は急いで食べた。そうすれば会話しなくても良いからだ。あまり良い方法ではないと分かっているが……。食べ終わってから僕は店内を見回して、後悔した。 別に急いで食べなくても食事中には喋りたくない人間を装えばよかったと思った。
食べている途中に話しかけるのは躊躇われたが、元々、彼女とは気を使い合わなくても良かったじゃないか、と思い当たった。ご飯を食べて気が大きくなっているのかもしれない。
「そっちはどう? 最近なんかあった?」
「彼氏が浮気しててさ、別に他意はないけど男って本当に糞だなぁって思っちゃうんだよね。まぁ、それを本人に言えない私も駄目だけど。というか、この話を聞いてほしかったみたいなところはあるんだよね。だって裕太も一人だし、ちょうどいいかなって。裕太もそういうところあるんでしょ、敬語が取れているし」
確かにその通りだが、別に愚痴を言い合いたいわけではなかった。
彼女は彼氏をけなすために男という単語を使ったわけで、というよりか彼氏と限定して否定したくないのかもしれない。そこは僕には分らないが。
「元々そういう関係じゃなかったし」
彼女は麺を啜ってから「今もそうでしょ」と言った。
何かを確かめ合ったという感触が湧き出た。
「それでさ、彼って元々そういう節があって、要するに女の友達がたくさんいるんだよね。謎じゃない? 都市伝説レベルだよ。 ……たまに思っちゃうよ、なんでこんな男好きになってしまったんだろうって。もう二十七歳なんだから不安にさせないでほしいよ。正月に実家に帰りたくないなぁ。一応聞くけど、裕太って付き合ってる人いる?」
「……いない」
「あははっ。何その顔」
変な顔をしてしまった のかもしれない。けど、そうやってして笑ってくれるのは悪くなかった。
「そういえば、桜井はどうして大崎にいたの?」
もうすぐラーメンを食べ終わりそうな彼女が僕を見た。上目遣いで三白眼になっていた。これが高校生の頃だったら蛇に睨まれた蛙のように緊張していたのだろうなと思った。今はもう味わえないが、二七歳になった今は、むしろそれが居心地の良さに繋がるのかもしれない。
「ん、……営業で来たの」
「そっか、イブなのに大変だね」
それ以上何も言えなかった。やっぱり、と僕は思った。やっぱり九年前も今も変わらなかった。九年経っても、環境が変わっても、会話が上手になるわけでもないし、気の効いたことが言えるわけでもなかったのだ。そうしたことができるなら、こうしてラーメンなんて食べていない。グラスを手に取ったが、空だった 。もう水に流せないし、飲み込めるわけもないのを理解した。
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「ごちそうさまでした」
本当にごちそうだったかは疑問に思うけど、死ぬほどつまらない映画でもエンドロールまで見てしまうように、そう言わなければ食事が終わった気がしない。そもそもクリスマスイブにラーメンを選ぶ感性を疑う。神社でお祈りを終えた後に、何を願ったの? と聞くのと同じくらい野暮ったい。
裕太は私が食べ終わったのを確認すると「ちょっと煙草吸わない?」と私の手を見つめながら声を掛けてきた。「イルミネーションでも見ながらさ」
脂っこいものを食べると煙草を吸いたくなるから、私も頷いて外に出た。冬が近くなると温度のない光が街を埋め尽くし始めて、クリスマスにはその気分に浮かれた人間たちが蟻みたいに愛の巣から出てくる。私もそのうちの一人だけども。
時間差で色が変わるイルミネーションを開発した人は称えられるべきなのかもしれないと、子供の歓喜の叫びを聞いて思った。今日は少しどころか、低気圧と高気圧がやべー勢いですげー盛り上がっているらしく、大寒波を耐えしのぐために裕太に身体を寄せたかったけど、彼は私の彼氏でもないので、それはそれで残酷なのかもしれないと思ったものの、残酷になるのも悪くないのかもとか頭をよぎったりもする。
「ねぇ、明日は何をするの? 仕事?」
「うん」
「そしたらさ、また会わない?」
それは嘘だった。明日は誠と過ごすから。
「……分からない」
「分からないって何? YESかNOしかないじゃん」と言いながら心のどこかで良かったと思っている自分がいた。
「いや、YESもNOも時代遅れなんだよ。そんな二項対立。……モノクロの世界だったらどれだけ楽だったろうね、勝手に戦う相手を用意してくれるんだから。自分の中で敵を作れない善人は不安だろうね、きっと。僕はそう思ってしまうんだよね」
「裕太の話は難しいね」
誠だったら、もっと明るい話とか具体的な話をするのに、と思った。裕太はいつまで経っても抽象的な、つまり彼の中でしか重要な意味を持たない語彙によって会話をしようとする癖があって、まぁ彼自身はそれに気づいていないのだけれど、それに自分がちゃんと対応できていないあたり、時は色々と流してしまうんだなぁと年寄り臭い事を考えていた。けど、それは自分が昔とは違っているからだろう。
喫煙所が見えてきたら、彼が「ア!」とスタッカートの効いた声を上げたので不審に思い彼の顏を覗き込んだが、彼は生まれたばかりの赤ちゃんのようにキツク目を瞑っていて、顔がしわくちゃだった。
「ごめん、やっぱ大崎まで歩かない?」
両親がネグレクトで死んでしまった赤ちゃんのニュースを思い出した。うちのお母さんも言っていたけど、赤ちゃんは一人では生きていけないから周りの人がちゃんと面倒見ないといけないよなぁと思ったのを思い出した。
「いいけど。なんで?」電車でもいいじゃん。
「あ、別に理由はないです」
彼がくるり と喫煙所に背を向け目黒川沿いを歩き出したのを後ろから追う。喫煙所からは酒に酔った人たちが大きな笑い声を上げていた。おそらく、裕太の知り合いが煙草を吸っていたのかもしれない。きっと、まだ彼は現実と折り合いがついていないんだろうな。その点では赤ちゃんだけど、彼の歩く姿はむしろ老人のようなんだけど、まぁ古い価値観の持ち主も現実には対応できないだろうし、むしろ、あの皺だらけの顔は老人のものだったのかもしれない。
目黒川沿いは情けないイルミネーション があった。ただ光っているだけの、気持ちを盛り上げない情けないイルミネーション。しかしまぁ、歯の無い木は上手く喋れないし、それを隠すためにイルミネーションを巻きつけているのかもしれない。
「ねぇ、どうしてこの道を選んだの?」
そう尋ねると彼は急に立ち止まって「ちょっと待って」と言った。「いや、イルミネーションが見たかったんだ。ただそれだけ。本当だよ」
私は安心して彼に身を寄せた。彼は嘘をつくことが嫌いなので、私はその言葉を額縁通り受け取った 。前をクリスマス色のマフラーを二人で巻いているカップルが歩いていたけど、彼が立ち止まったからどんどん離れていった。 腕を組んだら、彼はビクッと身体を躍らせたが、前のカップルのことを穴が開くほど見つめていて私の方には目を向けなかった。誠だったら、話をする時には目を見てくれるし、腕を組んでも私を見てくれるから、まだ一度も、私の顔を見ない裕太の態度が新鮮だった。周回遅れの友達と肩を並べるみたいに新鮮だった。晴れた日の昼下がりに洗濯物が揺れているのを見ている気分、あるいは楽しくお酒を飲んだ後みたいに、なんとなく幸せだった。
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喫煙所に着いて唐田さんの後姿を今まで一度も見たことがないのに気が付いた 。気付くのが遅すぎたかもしれない。どこかに遊びに行っても僕が送られてばっかりだった。ポッケからPSGを取りだして火を点ける。僕は嫌になってきて煙草を強く吸い込んだ 。胸に違和感があったし喉は痛んだけれど、それで良かった。これまで避けてきたことだったが、それは間違いではないし、僕はそれを正しいことなのだと思った。
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ショートホープに火を点けようとしたけど、ライターのガスが切れていた。裕太は気が狂ったように煙草を吸っていた。ちょっと引いた 。
「ねぇ、ちょっと」
彼は振り返らなかった。「ねぇ、裕太!」
彼が振り返った。その時初めて目があった。裕太は私の顔をまじまじと見つめた。まるで私の顔を初めて見るみたいに。「ちょっとライター貸してよ」
手が触れた。冷たかった。彼の耳が赤くなっていた。耳当て でも買えばいいのにと思った。多分、私の耳も赤くなっているだろうけど。
煙草に火を点けてライターを返すと、裕太は寂しそうに笑った。つられて私も笑った。確かめ合ったという気がした。
「ねぇ、やっと私のことをちゃんと見たね」
「うん。見れた」
「耳、赤いよ」
「いや有希子も耳が赤いよ」
鼻を赤くした中年がおぼつかない足取りで私たちの間を横切った。耳も真っ赤だった。他の喫煙者も耳が赤かった。ただそれだけだった。
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雪が降り始めて、煙草を灰皿に落とした。今日は案外充実していたように思えた。腕時計を見やると八時を指していた。もう少し一緒に居たかったが、明日も仕事だし帰ろう。あまり遅くなると同僚たちに会いそうだから。
「ねぇライン交換しない?」
「あ、そうだね。今どのへんに住んでいるの?」
「高円寺。同棲してるの」
「あ、じゃあ、ケーキでも買っていかない? まだやっているはずだから」甘いものは好きじゃなかったが、今日は食べたかった。
駅の改札前でラインを交換してゲートシティにあるケーキ屋に行った。ラインについては断るべきだったかもしれないが、やっぱり交換したかった。別に過去にこだわっている訳ではなくて、単に忘れたくない記憶がありすぎるだけだ。
吹き抜けに面している店はカップルの姿が見えた。僕は、いちごのタルトを買った。タルトってこんなに高いのかと驚いたが、逆にそれが特別感を生んでいた。これで早く帰る口実が見つかったと安心した 。彼女も同じものを3つ買っていた。
改札を抜けて別れた。電車に乗りながらぼんやりと考えていた。唐田さんは明日出社するのかな、唐田さんと会った時には上手く話せるかな、まぁいいか。でも凄く辛くなるんだろうな 、と。