ふたにょうの遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに。

年明け数日のこと(雑記です)

校正はしてません。おやすみなさい。

 

年が明けてからすぐにメンタルがダメになりかけた。それは酒と年が明けてしまった事によって生まれたわけだが、就職やずっと続いてしまいそうな退屈というトラウマに負けてしまいそうな予感がやはりあって、ん〜これがモラトリアムの地獄絵図かぁなんて思ったりして。

けど、バイトを始めたり、オタクと創作しようぜっていう何かが始まった感じがあるのです。僕は文芸サークルなんてものに入ってはいるものの誰かに伝えたいメッセージなんてものは特にないから、文章を書く時には中身がスッカスカだったり解像度が低い場合が多いのですよね(これは決して抽象度が高いというわけではない)。やっぱり物語を書く時に自己表現だけじゃつまらないでしょ。だから感覚的で尚且つ伝えることができる音楽っていうのは、とても刺激的だと思うんだよね(どれも遊び程度だけどね)。

話を戻すと、新年明けて、3日に聖地巡礼に行きました。場所は江東区にある住吉から大島まで。これは僕が高校生になっから今までの間に続いてきた行事の1で、友達とだらだら喋りながら埋立地をカッポカッポするのよ。住吉で降りて木場公園へ、後にクローバー橋、そして荒川ロックゲート、最後にまた公園、今年も始まったということで大島神社に参拝とおみくじを、というパターン。最初は聖地巡礼が目的だったけど、回を重ねるごとにそれは薄れていって作品に対する情熱よりも懐かしさを持つようになっている。大学に入ってから2回目という事で、木場公園からクローバー橋までの間にあったコクトーの詩を見て気分が浮ついたり、高見順の「この埋立地」なんかを心の中で声に出してみたり、初めて人とインカメで写真を撮ったりする事をして、おぉ曲がりなりにも成長してるのでは?と思うのです。まぁ自分のルーツを確かめるための習慣なんて言えば聞こえはいいのかしら。僕はほんのたまに自分がかつて通っていた場所を通る時に、昔の自分の姿が見える(ような気がするような気がする)事があって、僕はそのうちに聖地巡礼をしてる時に自分と友達が目の前に現れた時に、この習慣こそが僕のルーツだと認識できるのかもしれない。僕が秋が好きなのは、恋チョコにハマっていたのが、まさにその時期だったことと、高い空と落ち葉の音がとても魅力的だからなんだよな。自分が好きな女の子の年を超えてしまった時の虚しさったらないよ。年上から同級生、そして年下になった彼女は、それでもしゅきなのです。

なんで、こんな事を長ったらしく書いたのかというと成人式の日に友達の家に行ったたからなんですよね。その友達は僕を二次元の女の子にガチ恋をさせたキッカケを作った友達なんですよ。僕を決定的に二次元に目覚めさせた友達。懐かしいなぁ…彼は簡易的な枕にもなるほどの分厚さを誇るホライゾンを読んで自慢してたっけなぁ。まぁ、それはとにかく、その友達の家に行ったんですよ。彼が死んでしまったのは僕が高校一年生の時でサッカー部の合宿があと数日でやってくると少し怯えていた時に誰かから聞いた(確かtwitterで、そこはかとなく呟かれているただならぬツイートを、見て誰かにラインしたと思う)んだけど、僕は彼とクラスが違ったし彼の両親ともあった事がないので葬式には呼ばれなかった(仕方ない)から、成人式の日に彼にスーツを見せに行ったわけよ。やっぱり彼が死んでから一回も線香あげてないし、会いたかったから。彼が死んだって知った時に涙が流れなくて自分は薄情なんだなと思ったし、あまりにも突飛な事だったから、現実感が無かったのかもしれない。よく分からないけどさ。まぁなんというか彼の顔は俺の頭の中でまざまざと思い浮かぶし、多分一生忘れないと思う。魂は生き続けるというのは本当なのかもしれないなと思うわけですよ。

ところで僕はレポートに追われているしテストも迫ってきている。ひえ〜という感じです。

やっぱり俺は時間を生きているし、俺の中で友達は変わらずに居るのです。

まずはテスト乗り越えて行くぞ、レポート重ねて行くぞ!

春休みには本読んで、音楽きいてつくってみたり、文章書いてみたり、人と会ってみたり、バイトしたり、いろーんなことをやったるで!