遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに。

12月14日深夜0:00過ぎだらだらと

3年生になってからゼミが始まるのですが、当たり前のことながら何処のゼミに入るのかの志望理由を書かなきゃいけないんですよ。自分の卒論テーマと絡めてレポートにしなきゃいけないので(締め切りが、すぐそこまで迫ってきている)書こうと思うのですが、自分が一体何をテーマにしたいのかがわかりません。自分が興味を持っているテーマはあると言えばあるのですが、実際それは僕自身の悩みと結びついていて、とても自分が専攻している分野と被らない気がして、書くのを迷ってしまうのです。それに、個人的な悩みである事が、大きな課題でして、それはただ僕だけの悩みである場合もあるし、同じことを悩んでいる他人もいるはずなんですが、とてもそれを確かめる術がないという状態で、どうも難航しています。

僕は自分のことを他人を基準にして行動するタイプの人間だと思っていて、他人の考えや方法を少しでも聞いておかないと、行動ができないのです。

実際に研究テーマとして事例を上げようとしてみても、論理性がなくて、まるで寝る前に考えるどうでもいい何かの連続のようなまとまりのなさが浮き彫りになるのです。左手の形状が右手に移ったなら、それは左手として判断していいのかや、指が6本あればピアニストを目指そうなぁなんて軽い考えが、僕の文から出てきて、なんだかなぁと思う次第です。

過激なゴシップが、より過激なゴシップによってかき消されるスピード感が怖い時がある。自己表現としての消費をする僕がいるように感じる。もっと素直に楽しいって気持ちだけで過ごしていたい。消費が消費を繋ぐ職業のアイデアマン達は、素直に凄いなぁと思うけど、とてつもない違和感を抱く時がある。肉体を持たない自分が、同じく肉体を持たない他人の目を気にしているのを、僕は弱い人間なんだろうと半ば諦めの気持ちでいる自分に腹がたつ。Do not go gentle into that night 僕は老人でもないけど。僕たちが危機に瀕している事は一体なんなんだろう。愛が失われた?ねぇそれは僕の問題なんじゃないか?それに愛の定義もままならないのに、そんな事言うべきじゃないだろう。僕たちの生活世界にやってきた身体を持たない世界が下手くそな厨二病のようにもう1人の僕なんてものを作り出したなんて、一体誰が証明できるんだろう。ああ、これは違う。判断基準が科学なんだろう。確率を上げるのは文系の仕事じゃぁないんだ。僕は知っていたい。けど、僕には気力が足りないよ、。ダメダメダメダメダメダメ!、!!!!アンドロメダを西南に!!人生やめ太郎が顔を出す瞬間が恒常的にあるのもダメ!!!!