ステラのまほう見ような!約束だぞ!
夏のぬるりとした朝を迎え、一枚の掛け布団を剥ぐと世界が2つになっていた。寝起きの時こそ寝ぼけているのかと説明し理解したふりをしても、いつまでも世界は2つだった。目を閉じれば違う世界、目を開けば今まで見てきた世界というべきか、つまりは目を閉じることを禁止され、どちらも現実だと受け止めざるをえなかった。目を閉じると俺の側にはアニメのキャラクターがいた。保護欲をそそるキャラクターで肩幅が小さく、アホ毛が三本もあり、目が大きいキャラクターだった。
「お目覚めですか?」
今季に放送されているオドオドした様が可愛らしいキャラが発した言葉は、そのまま俺の脳に刺さったかのように頭痛をもたらした。
「ん、まぁね…?」
そして目を開けると誰もいない。その姿を探し、部屋をグルリと見回しても目につくのは机の上に置かれた冷たい食べかけの弁当だ。瞬きをするたびに、愛くるしい女の子がチラつく。
俺はまた目を瞑る。
そうすると、珠輝ちゃんが頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、俺を見ている。頭痛の原因はこれなのか? 手を伸ばし彼女の頭に触れると、そこには滑らかな曲線を描く頭があり、サラサラとした髪の毛があった。手の下から小さく安心しきった吐息が聞こえる。俺は頭を撫でながら、漠然とした不安を形にした。
「君は…たまきちゃん?」
「そうですよ〜双葉さんは変なことを聞くんですね。」
自分が聞きたいことがあるはずなのに、言語化できないむず痒さを覚え、頭から手を引き、瞼を開けると、そこには何もなく、自分が病気なのではないかと疑った。珠輝ちゃんの頭があったはずの場所に手を伸ばしてみても、埃が舞うだけで、何も掴めなかった。ため息をつきながら瞼を閉じると、たまきちゃんが心配そうに声をかけてくれた。
「何かあったんですか?私…力になれるかは知りませんが、なんとかしてあげたいです!」
俺は恐怖した。目を開ければ現実があり、目を閉じれば、そこに存在しないであろう女がいる。珠輝ちゃんには影があるし、言葉も使う、さらに俺が触れることもできる。何者でもない、たまきちゃんが、そこに居るのだ。
「珠輝ちゃん…俺に触れる?」
これで俺に触れることができたなら、彼女は存在しているはずだ。いいや、誤魔化すのはよそう。俺は珠輝ちゃんに触れられたいのだ。
彼女の手が俺の頬に触れた瞬間、自分の頬が熱くなっていることを自覚した。それに気づいたら、なおいっそう顔が熱くなり、耳まで真っ赤にしている自分が目に浮かんだ。
「これで、いいんですか?」
「ああ…いいんだよ…」
鼻の横を冷や汗が通った。涙かもしれない。
どうやら俺が目をつぶっていても、瞼の裏の世界と表の世界は寸分変わらず、同じという現象であることが分かった。違うところがあるといえば、珠輝ちゃんがいるかいないかだけ。存在の完璧な証明がないのに存在を信じるように、珠輝ちゃんのような顔色も背も目の大きさも、存在すると信じれば、そこに存在する。
また本来であるなら、表の世界を見ることなどしたくはないが、目をつぶりながらも、階段を上ったり、自転車をこいだり、歩道を真っ直ぐに歩けたりする事は一般人には逸脱とみられるので、一応は目を開けていた。
大学の校門をくぐると日向に置かれた銀色のテーブルに茶髪の女達が3人ほどで駄弁っていた。普段ならば、大学生らしさにもたれ切ったクソアマ共が、などと思うところだが、俺には珠輝ちゃんが隣にいてくれる余裕からか、彼女達の中にある人生を肯定するほどの寛容さを持ち始めている。
俺は急ぎ足で喫煙所へ向かい、1番奥まった場所にある陽の当たらないベンチに腰掛け、たばこに火を付けた。
「タバコは体に悪いですよ?私、心配です。」
「タバコは基本的には身体に悪いけど、俺にとっては良いものになるんだよ」
自分でも頬が緩むのをハッキリと認識しながらも、緊張感を保ち続けている。
「そうなんですか〜」
「いや、嘘さ」
「嘘なんですか!?」
急に大きな声を出されたせいで俺の耳が遠くなる
「うん」
どれくらいの声の大きさの返答か自分では分からなかったが、声になったのであるなら伝わるだろう。珠輝ちゃんは太陽なんかなぁ~。
背もたれに寄りかかりながら、今後のことを考えると、何もかもが素晴らしい日々へと変貌を遂げる。今いる時間は、大人になりきれていない俺にとって、風邪薬のように苦く、違和感が強いものであったし、何のための時間か決めきれずに、やたらに時間が自分の手から、すり抜けてしまうような感覚があった。しかし、珠輝ちゃんがいるだけで、すんなりと飲み込めてしまえる。
珠輝ちゃんが居るはずなのに、わざわざ瞼を開けていることは、停滞の大学生活よりも強いストレスを感じた。錆びた階段を登り年季の入ったドアを開けると、逢魔時のような不気味な暗さの部屋が迎えてくれた。そんな学生用のアパートが俺の家だ。
瞼を閉じ、珠輝ちゃんと一緒にテレビを見たり、ご飯を食べたりした。今までのような暴力的な静寂はなく、部屋が狭くなったかのように感じられた。ストレスフリーの世界にやっと戻れたのだと熱い実感が俺を包み、幸福の波が胸に押し寄せた。
「じゃあ風呂入ってくるから」
「そうですか」
頬の横でまとめられた尻尾のような髪の毛が揺れ、珠輝ちゃんの新しい可愛らしさを見出した。
ラノベにおいて女の子と同棲生活をする際には必ずと言って一緒にお風呂に入る様式美があり、現実において、そんなのありえないと思ってきたが、どうやら本当らしい。それに、その様式美の洗礼を浴びた男は大抵いつも顔を真っ赤にし、手で目を覆うもので、俺は、何故襲わないのかが不思議だったし、俺ならば……と妄想を良くしていた。しかし、本当に自分が、その場面に出くわした時に相手を襲うわけでもなく、経験のなさからラノベ主人公と同じような行動をしてしまったわけだ。そうして湯船に浸かりながら指の隙間に彼女の裸体に目を光らせている。瞼は閉じているが。
珠輝ちゃんの背は白くしなやかな曲線が肩から腰まで伸び、成長しきっていない小さな肩甲骨の出っ張りが、女として羽ばたくための翼を生やすための下地のようだった。至る所にある白い泡が…。背骨が何処にあるか分からない。筋肉がついているかも分からない。ただ柔らかそうな、抱き心地の良さそうな背だった。
俺はerectionした。中学生といえば俺から見たら全然子供で、まったく興奮しないものだと思っていたが、事実はまったく違い、手を伸ばせば触れる所に裸の子供がいるのだ。興奮しないわけがないだろう。自制のために風呂場から出ようとしても、俺の小さいながらも直立したペニを見られる事になるため動けなかった。「リーチ!一発!」をかましたいところだが、この後に、珠輝ちゃんが見えなくなる保証もないし、見え続ける保証もない。だが見せる事は何かいけないもののように思えた。その背徳感がなお一層!
「よし!」
珠輝ちゃんは、風呂場から出て行った。俺がペニッペニの事を考えている内に髪の毛まで洗ってしまったようだ。
ここまで来て……それはないだろう。それなら何故!俺に裸体を見せた!生き地獄じゃないか!
激しい怒りを抱いてもペニは収まらず、4回だけ……致した。
だるい身体に鞭打って部屋に戻ると、珠輝ちゃんが俺のベッドで眠っていた。饅頭のように丸くモチモチとした頬に、月明かりによって照らされ煌めく涎が垂れている。小さい鼻の横に影が出来ていた。
俺は賢者タイムに入っていて、この女の子と一緒に生きるのが不安になって来ていた。俺にしか見えない女の子が消える日は来るのだろうか……。それは12月上旬に黄色や朱色の落ち葉を落とす木を眺めるように、いつかは終わりが来るだろうというと思っていても、見ている時には果てしなく続くような、そんな気がするのだ。
髪の毛を乾かし、珠輝ちゃんの隣に潜り込むと涙が溢れた。
幸福だと思われた物は既に日常になってしまった事への失望、または、そうさせた自己への嫌悪。ひどく寂しい。元々過ごしていた日常は幸福であったのだろうか。この部屋も、大学も、タバコも、肉体も、精神も、親も、金も、すべて幸福だったのか?
「どうして泣くんですか?」
珠輝ちゃんが俺を心配そうに覗き込む。何故か彼女も泣き出しそうな表情だった。
「なんでだろうね……」
彼女が俺の涙を拭いてくれる。俺は居心地が悪く目を閉じた。しかし閉じることができない。今も世界が見えているし、珠輝ちゃんもいる。そうして目を開ける。たまきちゃんが外を見ている。
「月が綺麗ですよ」
「ああ」
「双葉さん、外に出ましょう。夜風に当たれば少しは落ち着くと思います。」
「いやだ、いやだ」
そうだ。俺は大人じゃないんだ。だから仕方のないことなんだ。
珠輝ちゃんの小さな手が、俺のつむじあたりから首までを優しく撫でる。俺はもっと泣いた。
「双葉さんの席からじゃ見づらい景色を、私の方へ来て一緒に見ましょう。」
誘いの言葉は、語尾が高く上擦り、幼さが滲み出ている。
変な話だが、この一言が、暴力的なほどの優しさが、俺を目覚めさせた。珠輝ちゃんは母のような素振りで背中をさすって、言葉を続けた。
「あなたは、あなたでしかないんです!」
根拠も何もない稚拙な言葉だった。ただそれでも、善意だけの言葉は俺を励ますには十分すぎた。
俺は珠輝ちゃんに抱きついた。暖かい。
「外に、出ようか」
外に出ると、思いのほか明るかった。たまきちゃんが隣に居るせいだろうか。彼女は安心を選んで口に運んでくれる、俺にとっての天使だ。生きる辛さを和らげてくれる。
星空は、お世辞にも綺麗とは言い難く、家々の灯りが星の邪魔をしている。それを責める気にはなれないが、綺麗な家庭の暖かい灯りが、怖かった。足音、風の音、遠くを走る車の音、呼吸音、心音。
電灯が足跡のように続いている道を抜け、交差点に差し掛かると、たまきちゃんは赤信号にもかかわらず歩道へと軽い足取りで飛び出した。
「危ないよ!」
「大丈夫だよ〜車なんて全然通ってないもん〜それよりも、一緒に見ようよ!」
白線の前で立ち止まっている俺の手を引き、道の真ん中へと連れ去ってくれた。
俺の身体が宙に浮いた。
遠くにサイレンの音。