遊具のない遊び場

年をとってから見返して笑えるようなに。

なぁなぁな2月24日

今日は文藝サークルの校正会だと思っていたので、好きなアニメのサントラを聴きながら大崎駅に向かっていたわけだが、車中でラインを開いて、どこの教室でやるのかを確認したところ、校正会は明日だったということが判明した。基本的に電車内で音楽やら小説を読んでいるので、その時間が無駄だったと後悔することはあまりない。だから、その時もまあ天気もいいし長い散歩だと思えば悪くはないのかもしれないと思った。それでも駅についてすぐ帰るのはつまらないので、サンマルクでれんげ荘を読み進めていた。初めてサンマルクチョコクロを食べた。あれ、めちゃめちゃ美味しいですね。77ページで止まっていた(ラッキー)時間をもう一回流し始めると、クロワッサンの生地みたいにサクサク進む。気分もアゲアゲ。168ページ目でキリがよく、それと同時に小説内で喫茶店が出てきたのもあり、久しく行ってないコーヒー豆屋に行くことにした。小説内でウェイトレスの所作や言葉遣いが自然だったみたいなことが書かれていたせいかもしれない。

駅の大学側の出口に向かい、一度野ざらしの喫煙所でタバコを吸ったが、サンマルクでたくさん吸っていたから気分が悪くなり、一口だけ吸って灰皿に落とした。

そこから道沿いに歩いて、戸越銀座の方へ出る。少し歩くと赤提灯と接骨院がある。そうすると右手にドルチェバッハがある。

店内は落ち着いていて少し暗い。照明の明るさもあるが、そもそも店内の壁やら床やらも外観と同じく暗めの木の板が張られているのでお昼でも時間の流れがとても静かに感じられる。

ゴールデンマンデリンを頼む。ドルチェバッハはその場で焙煎してくれるので、待つ時間が20分ほどある。その間にれんげ荘を読み終える。解説はまだ読まない。ぼんやり頭の中で読み返して、なんとなく考えながら家に帰って、寝る前に読む。少し時間を置かないと、物語が解説の枠の中に綺麗に落ち着いてしまって、そのうちブックオフに売ることになる。まあ、それをやったからといって売らないとは限らないが。

そもそもドルチェバッハに通うようになったのは大学3年の10月ごろだったように思う。確か後輩と暇つぶしに戸越銀座をぶらぶらしていた時だった。5限に大学が開催している無料SPI講座に参加するまでの暇つぶし。それでコーヒー豆を買ったのが最初だった。久しぶりに人から物を買ったという感覚に新鮮さを覚えた。スーパーとかコンビニだとか、ある程度の規模感をもつ店だとマニュアル通りなんだろうなってなんとなく察するので、そこにいる店員以上でも以下でもない人に「ありがとうございました」とか言われても嬉しくもないし悲しくもならない。けど、ドルチェバッハだと嬉しくなった。個人経営っていうのもあるだろう。それにスーパーやコンビニは明るすぎるから。

店主は口ひげを伸ばしていた。3ヶ月行かなかっただけでも、変化があるもんだな。小説を読み進めていくと、天ぷらを揚げる音みたいな拍手が聴こえて、これは聞き覚えがあるなあと思っていたら、まさに自分がドルチェバッハを気に入った日の再現をされた。キースジャレットのケルンコンサートが流れ始めた。超絶名盤。これを聴いて自分はこの店に愛着を持つようになったのだと思い当たる。店内のBGMが、ぽっと浮かんできて、バックグラウンドが抜けて、ちゃんとした名前の音楽に変わった。その選曲に仲間意識を感じたのも確か。あまりに出来すぎている。徳利というアーティストがサウンドクラウドに上げている「徳利からの手紙」という曲の最後に、「生きていると、これ漫画だなって思う瞬間がある」っていうラインがあるんだけど、思い出して喰らった。1人で何してんだろね。で、焙煎が終わり、豆が渡される。それで「ゆっくりしていってね」的なこと(ニュアンスは覚えているが言葉自体は覚えていない)を言われて(それはいつも通り)、ちょうどあと20ページで終わるまで、サービスで出されるコーヒーを調節しつつ飲みながら、読む。

読み終わって、バッグに豆を入れて、上着を着て、会計する。スタンプカードと現金を出す。店主に「久しぶりだったんですね」と言われ、暗にこれから来れないかもということを伝えるために「今年で大学卒業なんですよね」と返す。勤め先を聞かれたので、目黒の方と答える。近いんですねと言われる。そこでつい、そうですね戸越銀座に美味しいパン屋もあることですし(マジで美味しいパン屋がある。一回買ってみたら、めちゃめちゃ美味しかった)、とまた来るみたいなことが口から出る。レシートを渡される時、「頑張ってくださいね」と言われて、なぜか嬉しくなる。見ず知らずのおっさんのエールがちゃんと、届く。不思議だ。なんにせよ、またドルチェバッハに行くだろうなと思う。そして行くたびに大学生の頃を思い出すのだろう。まぁ店が潰れてない限りは。

駅に戻る。タバコを吸う。電車に乗る。大宮の未来屋書店で本を買おうと思った。バイトを辞めた時に何故かギフト券を五千円分もらったからだ。これも不思議。それを使って「ヒトの目、驚異の進化」という本を買おうと思った。大宮について、未来屋書店がどこにあるのか検索すると割と離れていたので、ジュンク堂に行くことにした。歩くのは嫌いではないが、イオンの中にあるタイプだったので品揃えが悪いだろうなと思いジュンク堂にした。でも、そもそも文庫版の発売はまだだったらしく、目的を失った。それでも前までジュンク堂大宮店には面白いところがあったので、まだそのままかどうかを確認しに村上春樹の棚に行く。残念、面白さはなくなった。前までは、村上春樹のハードカバー本の間にこっそりOSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の本があったんだけど、なくなっちゃった。けど、好きな作家の最新作とハヤカワNFの本を買った。ビジネス書とか自己啓発本の題名を見るたびにげんなりする。強い言葉ばっかり目につく。ただ強い言葉を使った本でも内容があるはずだと最近考え直した。けど、やっぱり抵抗がある。レジの近くの棚に芥川賞受賞作があった。結構売れていた。社会人になって趣味を読書だと言うようになると、会話のネタのために本を読む機会が増えるのだろうかと不安に思ったが、そもそもそれでもいいかと投げやりに肯定しておく。最近受賞した古川真人は自分が一時期、気が狂って応募したことのある新人賞を取っている人だったので名前は知っていた。地が硬い人そうなだと思っていた。まだ古川の著作は一度も読んだことがないので、これを機に読んでみるのもいいかもしれない。そのうち大学に行って文芸誌を読もうと思った。車窓から見える梅の花が綺麗だった。

家の最寄駅に着く。退屈さや予定が崩れた時、その徒労感から自分の行動が無駄だったかもしれないと、かたくなになってしまうことがあるが、やっぱり、視点が変われば、無駄な時間はないのかもしれないと思う(ただし金がある場合に限る)。心が貧乏なんや〜

クリスマス

 クリスマスイブもクリスマスも特に変わったことはない。だからといって不満があるわけではないんだけど、やっぱり恋愛ムードに絡めとられて、苦しくなる。ぶっちゃけ好きな人もいないので、関係ないと言えば関係ないんだけど、このビックウェーブに乗れていないと感じてしまうので、とりあえずリア充爆発しろ、みたいなスタンスを取りがち。本心では特に興味がなくとも、孤独をどうしようもなく感じてしまいそうなんだよね。恋愛をしたいんだけど、やっぱりそんな気にはなれない。徐々に距離を近づけていって好きになるってことはほとんどないんじゃないかなとか思う。いい人やなって思う女性がいても、まったく恋愛対象として見ることを拒否してしまう節がある。それは相手を自分との関係で見ようとすることで、それは他人に形容詞を付けるのと同じように思う。可愛い○○とかカッコいい○○とか優しい○○とか、そういう先入観があまり好きではないのかもしれない。なぜかは分からないけれど。もしかしたら他人に期待したくないのかもしれない。別に裏切られたことはないんだけども、そういう役割を相手に期待しているようで、自覚したときに苦しくなる。けど、そういう形容詞は実利的だから、無自覚にやっているかもしれない。それに、そういう形容詞がなければ、自分と似てない人と付き合う時、居心地が悪そうに思う。

 

 去年は二人でもロンリーナイツっていう小話を書いていたので、クリスマスに間接的に参加している感覚があったけれど、今回はそれどころじゃないので、余計に寂しくなるね。ある意味で社会参加なのかもしれん。でも最近、クリぼっちでも誰かと一緒にいることは可能になっているなとすごい思う。Vtuberの配信もクリスマスムードで、クリぼっちの人間たちがごまんといる中で、リアルタイムで同じものを見ていていると思うと孤独も薄れるのかも。けど、ガス抜きみたいなもので、配信が終わると、誰もいなくなる。孤独を薄れさせるためにリアルタイム放送を見に行くことは、結局現実世界の孤独を癒すことにはならないと思う。慰めに過ぎない。そう思ってしまうのは、あまりよくないと思うが、根が暗いからそう思ってしまう。

 

 四年生になって最後のサークル参加として、仲のいい三人で共作をしようと思ってる。最初はやる気があったが、着地点がないので、ばらばらになりつつある。それと同時に、書いてみたいなっていうテーマと文体を構想することの困難を感じる。そもそも5作ぐらいしか書いてない時点でお門違いなところもあるが。身の丈に合った小説を書くべきだと思うが、変にうじうじ虫みたいな小説を書きたくないし、興味がなくても読み進められる小説が書きたいが、いまいち掴み切れない。一人称であり三人称である語りをしてみたいなと考えているが、それを過去の語り直しという形ではやりたくない。過去の自分を「彼」と呼ぶこと自体、私小説的でちょっと反発心がある。実際、私小説をやることよりも、ニムロッドとかコンビニ人間とか、そういう新しい社会の見方みたいなのを提示する小説の方が必要だと思う。まあけど、文章がうまければ読めるねんな。けれど、現在軸で自分のことを彼と呼ぶことを文章に落とし込む際に、二重人格とかにはしたくないので、そのバランスが全くつかめへんねんな。自己責任を回避するための、自己嫌悪を回避するための、劣等感を回避するための手段として、自分のことを彼と呼ぶ。それがやりたいこと。前のごみみたいな小話も、それを試みたけど、うまくいかなくて、締め切り過ぎてからなんとか誤魔化そうとして、マジもんのごみになってしまった。まあ語り方もよくなかったかもしれない。焦点化がうまくいかなかったし、社会の視点が欠落している。家族の中しか書かなかったので、その分うごきも弱く、文章もうまくいかなかった。だから、まあやりたいことだけれど、まったく文章力というか小説の構想の能力が全く足りていないんだなあと思うので、そもそも大学生活中に焦ってやろうとするのもよくないのかもしれないなって思うので、共作する時に、このアイデアは没にしようと思っている。ちょっと我が出すぎていたかもしれないなと反省。だから共作するけれど、ちゃんと話し合いをしなきゃいけないなあ。

 

 そもそも、この自分のことを彼と呼ぶ、というアイデアには元ネタがある。ギュンター・グラスの「玉ねぎの皮をむきながら」をブックオフで見かけ、最初の一行を読んだとき、電流が流れたともいうべき衝撃があった。なぜなら僕が考えていた一人称・三人称についての始まり方をしていたからだ。ここに引用しよう「今日、自分のことを三人称の【彼】と見なしたいという誘惑は、これまでそうであったように、魅力的なものだ」。さて衝撃的な書き始めにより、1500円という恒常的に貧困状況にある僕にとっての高級品、普段なら絶対に手を出さないはずの価格にも関わらずハードカバーの本を片手にレジへと向かった。それは子供のころにDSを母親に買ってもらった時のように意気揚々としていた。そして家に帰るまでの間に読み進めると、それが自伝作品であることに気が付き、落胆したのだが……。まあ、自分のことを彼と見なすこと、それはグラスがナチスの秘密組織に属していたことに対する罪悪を自身のものとして引き受ける決意の表れとだとは思うが、僕はこれを現代における自己責任を(自分を彼という存在に置換し、相対化し)アイロニカルに回避する方法として捉え、そこから始まる匿名性の中で生まれる新しい人と人のつながり方として再構成したいと考えている。

彼という存在が名前がない状態であるということ。あくまで指示対象でしかないこと。それと手の震えや風邪など、身体にはすでに予測したとしても完全に制御できるわけではない他者にも似た兆候がうかがえる時があること。それら。だから対面する他者を恐れるわけでなく、自らのうちに他者を認めれば、いいんじゃない?みたいな(ふわっとしてるけど)考えが言いてぇ~。どのように他者と向き合うかと考えるときに、むしろ自分の中に他者がいることを自覚することで、他者にとってはまた自分も他者になると言う論理を拾い上げてぇ。そうすれば、感動ポルノも起きないだろうし、ネットリンチを乗り越えられる気がする。ああいうのって許せない他者を裁いているというか、異質な他者に対する反応だと思うから…。そもそも他者は異質なもんだけど、ここでは自分とは違う人みたいなイメージで使っている、同じ趣味とか同じ価値観とかをもつ他者も異質さはあるんだけど、同質的でかえって村社会を形成して、結局、違うコミュニティと対立しがちだし。性的イメージを喚起するみたいな炎上も、ぶっちゃけそれに似た何かを感じる。性的なイメージを喚起させると言われてみればそうかもなとか思う時は確かにある。漫画とか表現物について触れているいるっていう前提から、だから性的なものは良くないっていうのと、だから性的なものも可能性があるっていう二つの論理はどちらも導き出せるだろう。でもそれは、正誤の判断をする基準がなくなったことと繋がると、平行線な気がする。まあだから対話しようと思っても、そもそもの語彙の種類が違いすぎる気もするが。

まあ~何が言いたいのか分からんくなって来たけど、自分の中に他者を認めることで、そういう異質さに対して寛容になっていきたいよねって話だっけ?

わからん。

ネタバレ有り【感想】抜きゲーみたいな島に住んでいる貧乳(わたし)はどうすりゃいいですか?

柏レイソルがJ2優勝した。優勝、良い響きや・・・。

 いやはや、久しぶりにエロゲをやりましたよ。そもそものきっかけは部室で後輩におすすめの作品について話していた時、小説と音楽の話から派生してエロゲのほうにも飛び火した。そして後輩は兼部しているので、キャンプのサークルの人が来て、その人もエロゲをやっているとのことで、未来ノスタルジアとアマツツミをお勧めされたんだよね。それで、なんとなくDMM見てたら、そいや高校の時の友達の友達が「ぬきたし」を面白いって言っていたっていうのを思い出して、検索してみたらシナリオゲーですみたいな口コミを見て、興味がそそられた。それで、なんというか未知の設定だったので(それこそ記憶がなくなっちゃうとか、割合にありきたりなじゃない感じだったので)面白そうだなあと。それで購入したと。深夜アニメを見ていた時に、ぬきたしのCMが流れてちょっと不快に思ったんだけど、それこそ抜きゲーであることを堂々とテレビで放送することに対するジェンダー的な意識の低さみたいなを感じ取ってさ、まあタイトルだけ見ると本当にそうだし、あんまり好きにはなれないんだけど、シナリオゲーと呼ばれている理由も、一通りプレイして分かったし、実際に王道展開で面白かった。

 

・世界観とテーマ(多少のネタバレあり、加えてネタバレによる結末の類推も可能)

 

 ドスケベ条例という性行為をすることが望ましいという規範が浸透した島での話なのだが、もちろんそこには性行為=善である的な価値観があるため、性行為をしないことは不真面目であり、懲罰の対象となりえる世界で、そのドスケベ条約をぶっ壊すという筋の物語。主人公には沈子がでかくていじめられた経験と、そんなときに心をほぐしてくれていた恩人が、島のグレーゾーンの通称:裏風俗で働いており、過度な労働により死んでしまったこと、それに付随して島民の恩人への偏見が存在していたことから、主人公は島に対して良いイメージを持てない。しかしテーマは、共生だと思われる。なぜなら自分でプレイしてくれという感じ。ただ主人公と周りの関係で考えた場合は共生だが、作品のテーマで考えると共存だろう。共生は互いに関係を持ちながらであり、これは「ぬきたし2」の方が要素として強い。「ぬきたし1」はむしろ共存の色が強いような気もする。

 

・それぞれのヒロインの√についての感想(攻略順序通りに、ななせ→ひなみ→みさき→ふみの)

 

①ななせ

ド定番の幼馴染ポジ。もちろん、プレイしている最中、必ずと言って最初に好きになるのはななせだろう。キャラが好みのヒロインがいる場合は違うかもしれないが。ただ見た目ギャルで実は処女みたいなオタクくんこういうの好きでしょ・・・?といわんばかりのギャップ、加えてオカン属性持ち(料理できる、面倒見がいい、相手を大切にする)。また自立してる人間なので、頼りになりそう。
 √の流れ。ドスケベ条例をぶっこわす。ふみのを救出、さよなら(@^^)/~~~イチャイチャ。おしまい。最初にプレイするならこのルート以外にない。ほかの結末を知っている分に、こうして思い返すとビターエンドだろう。当初の計画を、つまりは予定調和な感じはある。
 大体さ幼馴染という関係はずるいんだよな。よくよく考えてみろよ、中学生とか高校とかの友達と遊ぶときってさ、その時の関係性がやっぱり残っているじゃん、それってつまり既に信頼関係をもっているということに他ならなくてさ、ずるいじゃん。
 ただまあ、幼馴染であることを主人公に伝えるのはだいぶクライマックスではあるのだけれど……。プレイしている人間としては匂わせてくるし、なんとなく気付いてしまうんだよな。
 ちなみにこのルートのサブヒロインはとーかちゃんだったので「ふぅ~w ゴリシコレタなぁw」という感じ。正直、クソヤリマンビッチに擬態する処女というキャラのパンチ力がオカン属性によってかえって薄まっている気がしないでもないが、それはそれで最高だった。

②ひなみ√

 なあ、ひと昔の漏れだったならひなみに首ったけだったはずなんだが、そうでもないんだ。僕たちは普段暮らしていて、ろり先輩属性を持つ女性と関わることはできないが、こうしてゲームのうちで触れ合う事が可能である。しかし、忘れてはいけない。ロリ先輩という属性はなかなかお目にかかる機会が少ない、なぜだろう、これは全人類が自身に問い続けなければならない至上命題の一つである。
 だが、ロリと先輩の良いとこどり、可愛くて包容力のあるキャラは今、とてつもなく求められているのではないだろうか? 周りを見渡してみよ。立派な成人男性が「ばぶwばぶwばぶw」と「あぅ~wwwww」などと口走っていないか?「マンマ~wwオギャーww」と没入している姿を確認できてしまうだろう。そういった存在を確認できていない人間は漏れが仙狐さんについて言及しているツイートを確認してみてほしい。

「仙狐さんとゴーゴーカレーがコラボしても、結局仙狐さんが作ったカレーにはならないし…と諦観している僕を仙狐さんが見て、世話を焼きにきてくれるかもしれないという希望を捨てきれないのは漏れが童貞という、一種のロマンチスト的な面があるということでおk? 返信がないなら論破だが…?w」

大江健三郎並みの怪文書を生まれさせたわけだが、僕はだれかに甘えたい。しかしロリに限る。この現実での実現可能性のNASAが僕を苦しめるわけだがそれは今、関係なかったね。
 端的に言うと、ひなみ先輩は、ぬけないのだ。完璧すぎて……。そして完璧すぎるがゆえに、キャラに対する面白みを得る事が出来にないという、矛盾が起こる。あるいはこう言えるかもしれない ─── かの哲学、そう二律パイパンである(実際にパイパン)。
 そう、それにしてもである。ひなみ先輩ルートであるのにもかかわらず、礼先輩がほぼメイン的な(物語のキーマン、ひいては世界の中での端的な例)立ち位置に居る。それはやっぱり仕方のない事だろう。礼先輩はSSという治安を守る(常にドスケベであれと哲学者は言った)組織に属しており、その点では主人公と対立するわけだが、むろん、彼女は身寄りがなく弟や妹、家族のために奨学金補助金が出るために──ほかの選択肢はない──SSに属しているのである。実際に礼先輩以外にも親の借金や身寄りのない人間はSSには数多く存在する。
 結末としては、ドスケベ条例をぶっ壊し、なおかつ学生の金銭的な補助の制度は残すという納得のハッピーエンドになる。

 

③みさき√

 あたまおかしなるで。

④ふみの

 もしも、僕が中学生、高校生、ひいてはオタク慣れしていない、あるいはオタク全盛期であったのならば、僕は彼女のグッズを追い求め、秋空の下、彼女のいない世界なんて滅びてしまえばいいとさえ願ったであろうヒロイン。僕の言いたいことがわかるかな? めっちゃ好みのヒロインなのだわ。いくわよ!
 無口であること、年下であること、影で主人公であること、わたしたちはそれを愛さなければならない。なぜなら、これらが組み合わさったキャラは道徳をもちえた主体であり、私と相対するという客体であるという点において美になりえるのだ。それはまるで人ごみの中、なぜか目を引く存在であり、道端で普段ならば決してその存在に目を向けない花を見つめることに似ている。それを見ることによって、わたしたちの心の中に心地の良い風が通り抜ける。いや、なんかキモくなってきた・・・。

 グランドルートなのでこのルートによって「ぬきたし」という作品がどういった意味をもつのかが提示される。たしかに読ませる。良く言うと、自分と異なった存在に対して寛容さをもちましょうという現代的なメッセージ。悪くいうとそれ以上の何者でもなく、エロゲの中でそれをやった感、他の領域に侵食することはなさそうなんだよなぁ残念。

 

ぬきたし2

 

ファンディスクだったが文量が多くなったためにナンバリングにしたものらしい。正直、SSのメンバーが好きだからそんなし。

 

なんか飽きたからもういいかな?

 

女部田郁子のルートでは、あまりにすこすこざむらいで脳内がぶっ壊れるかと思った。射精で隕石を壊すとか…!だけど射精がロケットのメタファーであるのはトマスピンチョン  がやってるから、存外バカにできないかも(なんてね!)、けど女部田…お前はなんで実在しないんだ?いや、でも流行りの実在論だと、女部田は実在するんだよな。けど、やっぱり虚しいよ。触れられないっていうのはさ…。
 

 

夏のゴミ(二万字ぐらいの)

 1

 

 実家の最寄り駅に着き、改札を抜けると雪が降っていた。傘のない晴斗は親に連絡して迎えに来てもらうか、それともバスに乗って家の近くまで行きそこから歩いて帰るか、迷っていた。エレベーターの音がごうんごうんと聞こえる。そこに誰かの「さぶっ」というひとりごとが混ざる。ロータリーには色とりどりの自動車が停車したまま誰かを待っている。

 そしてドアが閉められると目を輝かせて走り出す。

 寒さの中で待機し続けれないと思った晴斗は、ちょうど今やって来た、イオンが終点のバスに飛び乗った。

 ドアの入ってすぐのところにある電子機器にパスモをかざし、窓際の席に座った晴斗はスマホを開いた。そして、母親である里子にバスで帰りますと連絡を入れると、一息ついて肩の力を抜いた。

 冷風と共に学生がバスに乗り込んで来た。粉雪が暖色の照明に反射し、学ランの肩口で輝いている。短く刈り揃えられた黒髪の上にも雪があった。晴斗は窓を鏡の代わりにして頭に雪が残っていないかを確かめようとしたが、口がだらしなく開かれていることに気が付き、自分の顏から目を背けた。雪はまだかすかに頭に残っていたが、晴斗はここで自分の頭を叩いて振り払おうとは思わなかった。炭酸が抜けるような音がしてドアが閉まるとバスはのっそりと動き出した。

 停留所を二つ過ぎたころには車内の暖かさに慣れて、うとうとと眠くなり始めた晴斗はぼんやりした頭でここ最近、居眠りしてなかったなと思い、これがきっと安心感というものなのだろうと考えた。晴斗は大学に進学してから二度目の冬を迎えているが、まだ学内での友だちは誰一人としていなかった。加えてバイト先でも同様に一緒にご飯に行くような関係の人間もいなかった。そんな晴斗の孤独はバスが進むにつれて、実家に近付くにつれて溶けていった。

 晴斗が肩を揺さぶられて目を覚ますと終点のイオンに着いていた。晴斗は滅多に口に出す機会のない言葉「ありがとうございます」を言って地面に足を付けた。バスは低い唸り声をあげながらまた走り出した。晴斗はイオンに向かい入り口の自販機でホットココアを買った。

 寒さで眠気が吹っ飛んだ晴斗は家まで歩いた。トヨタカローラのディーラー、組合の集会所、元日しか賑わわない神社、小学生のころは仲の良かった友人の家、それらを通り過ぎて、ココアを一口飲み、また歩き出す。小さなトンネルを抜けると見通しのいい田園風景になる。実家の方へと視線を向かわせるとラブホテルのどぎついピンクネオンが見える。そのまま直進し、右に曲がる。晴斗がこの道を通るのは二年ぶり。とはいえ、それ以前にこの道を通ったことは幾度もある。晴斗は十九歳にふさわしいおセンチを発揮した。「この道には昔の自分がいる。バイト帰りの僕、塾帰りの僕、放課後の僕、それが今の僕と重なっている」言い様もない高揚感だった。

 晴斗は家の堀をまわって門をくぐり、両親のいる方の家に向かった。祖父母の暮らしていた家は明かりが点いていない。晴斗の祖父母が死んだからだ。五年前に祖母が死んで三年前に祖父が死んだ。庇の下に何を見ているかさえも忘れてしまった、意識が薄弱な祖母の姿が浮かんできた時、晴斗は「重なった」と思った。

 リュックから取り出したタオルで頭やら上着やらを拭いている晴斗の顔は寒さのせいかまだ赤いままだ。無表情ではあるものの、落ち着きに満ちている。

 一通り拭き終えると、玄関の扉を開け、そこで靴を脱いだ。靴下を脱ぎ重くなったそれを右手に、左手には濡れたタオルを持って扉内を開ける。暖かい空気と一緒に零れる光に一瞬だけ身を引いた。

 実のところ、晴斗は恐れていた。夏休みの間も帰省してはいたものの、盆が過ぎればすぐに東京に戻った。すぐに帰った理由は単に成績について尋ねられたくなかったからだった。

 炬燵が出されていて、家族四人がぬくぬくしていた。もう晴斗の入る余地はなかった。家族は皆テレビを見ている。いや、母親である里子だけがツムツムをしている。

「ただいま」

 晴斗がそう言うと家族は「おかえり」と返した。晴斗は上着を脱いで椅子に掛けた。テレビから流れる感動シーンを冷めた目で見ている晴斗が大きく欠伸をした。

 もう夜十時だった。この時間に家族全員そろっているのが珍しいと感じた晴斗は暖房を入れていることも相まって身も心もほだされて急激に眠気に襲われた。普段なら定年間近の孝二は九時には寝ているし、姉の絵梨も兄の和樹も自分の部屋にいる時間帯だった。これまで寝つきが良くなかった晴斗は、快眠のチャンスだと捉えて、すぐさま風呂に入ろうとしたが、パジャマがないので里子に聞くと、用意しておくからと言われた。ざっとシャワーを浴びて浴室を開けると本当にパジャマがあったので、安心して髪を乾かし歯磨きをして自分の部屋に帰った。布団の中は段々と暖かくなっていったが、眠気はなくなっていった。どうやら晴斗はもっと家族と一緒に居たかったらしい。

 寝付けずに、気分転換に水を飲もうとリビングに戻ったが、そのころにはもう誰も起きてはおらず、部屋の電気は点いていなかった。空気清浄機の青いランプだけが生暖かい部屋で無機質に光っていた。

 グラスに水を注いで飲み干して布団に戻ったが、晴斗は寝られなかった。トイレに向かう途中で、和樹の部屋をノックしてみると返事があったので中に入った。

「どうしたの?」

「眠れなくてさ、俺が居ない間、なんかあった?」

「まあ、それなりに」

「そういうの聞きたい」

「まず、俺は仕事を辞めようか悩んでいるんだよね、二年目にして。あと、豊本の田んぼを売った。ああ、墓の後ろの田んぼね」

「え、全然知らんかった」

 それなりに驚いた晴斗は、二つのトピックの詳細を求めた。仕事を辞めたい理由は単に仕事にやりがいを見いだせないというものだった。和樹は仕事中に眠くなったことから、そう判断したらしい。設計の仕事をしているが、和樹はもともと設計よりもプログラミングに興味があったようで、なんか違う、と感じている。加えて、会社で上司や同僚と話すのが面倒だという。飲み会も毎回断るらしい。田んぼが売られた理由に関しては、物流倉庫や二車線道路を三車線道路にするという事業で田んぼの近くに住む人間が土地を売ってしまった。そのような建設によって田んぼに水が入らなくなり、収穫が期待できないので売り払ったのだった。

 その話が終わると和樹が「明日コミケだから寝る」と言ったので、おとなしく自分の部屋に戻った。ベッドで横になりながら、中学・高校の友だちもコミケに行っているのだろうかと考えているうちに、眠りに落ちた。

 

 2

 

 午前七時、そろそろ子どもが動き出す時間。和樹は会場についているころ。まだ雪は降り続いている。分厚い雲からは陽の光は望めそうもない。晴斗はまだ眠りの気配を身にまとったままリビングへ向かう。階段を下りながら、ため息を吐くと白かった。

 暖房が効いているリビングには両親が揃っていた。晴斗が「あおはよ」と言うと「おはよう」と返ってくる。晴斗はパンを袋から取り出して、グリルで二分焼くまでの間、コーヒーを用意した。そうしてから頭を掻きながらテーブルの椅子を引き、座った。テーブルの上にはマーガリンやピーナッツバター。ミッフィーの小皿の上に焼いたパンを置いた。里子は新聞を読み、孝二は自分のパソコンのディスプレイを見ていた。

「そういえば、成人式に行くんだよね」

 晴斗がパンにピーナッツバターを塗りたくっている最中、赤い老眼鏡のフレームを指で挟み、文字を追いながら里子が尋ねた。

「あーうん。行くよ。でも、入学式の時に来たスーツが入らないと思う。ほら、あの時と比べると太ったから」

「じゃあスーツ買いに行かないと」里子は晴斗を一瞥した。「だからもっと早く帰って来てって言ったのに」

 孝二はまだ晴斗と里子の方を見ない。それは絵梨が起きてきても変わりがなかった。孝二はここ最近、中古車を探していている。五十二歳になって記念の昇進を済ませてから所属していた会社を退社し、現在は隣の市の高等学校で用務員として働いている。そんな孝二が老後の道楽として見出だしているのが自動車なのだろう。最近の口癖「クラウンってかっこいいな」。

「だから」里子は晴斗に言い聞かせるように言った。「採寸とかあって結局、日数がかかるんだから早めの方がいいいんだよ」

 里子はまた新聞に目を落とした。姉の絵梨は黙ってテレビを見ている。彼女は遅番らしい。

「じゃあ、今日行こうよ」

 里子が頷くと、それきり会話は無くなった。

 

 玄関先の庇の下で煙草を吸いながら晴斗は里子が家を出て来るのを待っていた。だがあまりにも遅かったので気まぐれに裏山の雑木林を歩きながら二本目の煙草に火を点けた。頭上に広がる青葉が雪を遮り、落ちてくる量は少なかった。垣根の山茶花の木の下。晴斗とその兄弟で子供のころにわざわざ木々をへし折って作った抜け穴の名残がある。その幼少期の思い出の面影に重なるように花が紅く色づいている。記憶がなんてことのない風景を特別なものに変えた。

 折れて腰ほどの高さに首を垂れる枝がある。晴斗はそれをゆすった。雪の落ちる音がした。幹はより湾曲し、より深く首を垂れる。みりみり音がして、やがては折れて木の白い繊維が剥き出しになった。かじかんだ手にそれが刺さり、さっと手を引いた。やけに静かだった。

 玄関に戻ると里子が慌てた様子で飛び出してきた。「じいちゃんが事故にあったから、今から行ってくるね」と言った。晴斗は「ああ、そうなの。こんな年末に」と言った。

「とりあえず遅くなるかもしれないから、また連絡する」

 里子は傘も持たずに車に駆け寄り、ドアを開け、家を出ていった。残された晴斗は今日の予定がなくなったと思った。そうして、自分の部屋で暖房をつけて動画を見ることにした。結局、一人の暮らしと変わらず、自分の部屋に居ついてしまうものなのかと晴斗は思った。

 玄関を開けると孝二が土間に居て煙草を口にくわえていた。晴斗に気が付くと孝二は「あれ? スーツ買いに行くんじゃないの?」と怪訝そうに尋ねた。

「え、まだ聞いていないの? じいちゃんが事故にあったらしいよ。それでおじゃん」

「ああ、そうなんだ。それじゃあ」

「そいやさ、夜遅くなるかもしれないって言ってたよ」

 晴斗は孝二の言葉を遮るように言った。

「はい、了解」

 孝二は晴斗とすれ違う時「大変だなあ」と他人事のように呟いた。それを聞いて晴斗は不快に思った。そしてその不快さを疑った。自分も母の祖父との精神的なつながりはほとんどないはずで、それだから母が飛び出していった後は別になんとも思わなかったのに、孝二が自分と同じような反応を示した場合にのみ、それを否定的に考えるのはおかしい、と。

 晴斗はその違和感を抱きながら自室に入ったが、横になって動画を見るうちに忘れていった。雪は完全に地面を隠していた。

 

 時刻は午後一時。歩道の上を滑らないように慎重に歩く晴斗が向かう先は住吉の家だった。まだ雪が降り続いているせいか歩道には人の姿が少ない。その中で赤い傘を差した晴斗の姿はよく目立った。途中、イオンで遅めの昼飯を買い、手袋をしていないのでポケットに片手をつっこむ。何度も袋を持つ手を変えながら、歩いている。晴斗はリュックとかで来ればよかったと後悔した。

 島忠ホームズの前を通り、歩道橋を渡った先で暖かい飲み物を買った。手を暖めようとした。熱かったので、ちびちび飲んだ。墓地の横を通り住宅街を抜けると、田園とあぜ道。車の通った轍の上を歩く。替えの靴下とタオルを持って来ていないことに気付いた晴斗は、家に戻ろうかと一度立ち止まって考えたが、ここまでの道のりを徒労で終わらせたくないらしく、また歩き出した。息を吸うと冷たさに肺が痛む。だからと言って急ぐわけではなく、むしろ歩を緩めた。少し火照った身体をゆっくりと冷ますためだった。

 住吉は家の庇の下で足踏みをしていた。晴斗の姿を確認すると手を振り「先に中に入っておくから」と割合に張った声で言った。晴斗は「タバコ吸ってからでいい?」と言ったが、もう住吉は家の中に入ってしまった。晴斗は軒先で煙草を吸ってから、傘をばふりと開閉して雪を落として、傘立てに置いてから、ぐずぐずになった靴下を脱いで家に上がった。フローリングに湿った足跡がついた。

 住吉の部屋に入ると暖房が点いていた。二十一インチのアイマックを背に住吉が晴斗に向けて「久しぶり」と言いながら冷たいビールを差し出した。それを受け取り一気に半分くらいまで飲み、火照った身体に染み込む冷たさに贅沢を感じる。

「よく、こんな雪の中、来ようと思ったね」

「いや、呼んだのは住吉じゃん」

「いや、でも本当に来るなんて思わなかったから」

 あっけらかんとした態度の住吉を前に晴斗は頭を掻いた。

「なんか、じいちゃんがさ事故にあったらしくて、スーツを買いに行く予定がなくなったんだよね。やっぱり、事故って言われても別に何とも思わないもんだなあ。確かに心配だよ。だけど、思っていたよりもショックが来なくて、ああこんなもんなんだって思う。一緒に住んでいたじいちゃんばあちゃんが死んだ時も、涙は流れなかったし。あれ、なんでなんだろうね。看護師さんに呼ばれて病室に行って、ご臨終ですって言われても、ああ死んだんだなあっていう感想しかないよ。誰かが泣いていると、この人は俺の分も泣いてくれているんだろうなって、だから俺は泣けないんだって思うようにしている。もちろん、変だと思う。自分でもそう思う。けど泣けないのは仕方ないし、家に帰ってもじいちゃんが死んだとは思わなくて、身近な人間が一人死んだだけって思うんだよ。普通はさ、身近な人間が死んだら泣いてしまうものだと思うんだよ。映画や漫画や小説でも描かれてる。同じ時間を過ごした人間なら、やっぱり泣いてしまうって。でも、俺は血縁関係なのに泣けなかった。小さいころから会話をしてきた相手でも。だからやっぱり人間としてどうかと自分を疑う。変だと思う。ただ人が死んで悲しいってだけ、情動っていうのがほとんどのないのは嘘なんじゃないかって」

 晴斗は意図的に情報を伏せていた。もっぱら晴斗は中学の友だちが自殺したときも、高校の同級生が自殺したときも、同じように涙は流さなかった。それを住吉に伝えると人間性を疑われるかもしれないと恐れたのだった。

 住吉は晴斗がなんでここに来たのか理解した。ただ話を聞いてほしかったんだろうなと。それでわざわざ。

「まあ、そんなに気に病むことじゃないと思うよ。だってお前はちゃんと涙が出ないことを後ろめたく思っているから、なんか、それを嘘って言うのは単純すぎるし、そんな簡単に言えることじゃない」

 珍しく真面目に返答する住吉に驚きつつ、どこか気持ちが楽になった晴斗は、それが慰めでしかないことに気付かない。

 

 住吉の家で晴斗が二本目のビールに口をつけた時、里子から今日遅くなると連絡が入った。「今日はイオンで寿司とか買ってください」という。久しぶりに里子の料理が食べられるという期待は先送りされた。次に孝二から「寿司を買ってこい」という連絡が入った。

 指示された通りに寿司を買って来た。孝二がまたパソコンの前に居るので晴斗は「何してんの?」と聞いた。孝二は「新しい車を買おうかなって」

「でも今、ミニクーパーあるじゃん」

「いや、買い替えるんだよ」

「ああ、いや、なんで?」

「カッコいいじゃん」

ミニクーパーで十分じゃないの?」

「まあ、そうだけど」

 冷蔵庫に寿司を入れて、自分の部屋に戻った晴斗は、まだ酔った頭で昔読んでいた漫画をもう一度、読み始めた。が、すぐに飽きて祖父母が住んでいた家の方へ向かった。

 仏間と応接間を抜ける廊下を歩いていると、そういえば帰って来てから一度も線香をあげていないと思い当たったので、晴斗は仏間に行った。

 ポケットからライターを取りだして蝋燭に火を点ける。紫色の線香を二本、手に取り火にそっと近づけて二秒ぐらい待ち、火が燃え移ったのを確認して、軽く振って火を消す。線香から糸のような煙が立ち上る。それを香炉に刺して、お錀を鳴らす。窓から入る青白い光が室内を照らし、晴斗の顔に浅い影を作った。お錀の残響は、不在を表すように、張り詰めた空気の中、その静かさをかえって、目立たせた。

 晴斗は祖父母が暮らしていた部屋につくと、電気を点けて、家に居る間はここに暮らすのも悪くないだろうと思った。祖父がいつも座っていた椅子に腰かけて、お茶を入れた。

「重なった」祖父母が見ていたはずの庭の中に自分の姿が浮かんだ。自分の家がもつ自然との関わりや、その年月の長さを晴斗は自覚する。そして、祖父母が飽きもせず眺めていたはずの庭、祖父母の視界を意図的でなくとも模倣したせいで晴斗の中に「僕は大切にされてきた人間だ」という自意識が生まれた。

 あまりに時間が静かに流れるので、晴斗はテレビを点けた。その音量の大きさに驚いた。祖父母が使っていた当時の音量だった。七十。ワイドショーのコメンテーターが単純化した時事問題をばっさり切っている。自信に満ち溢れた声だった。

 

 会話のない夕食ではテレビから誰かの声が特に目立つ。孝二は既に食べ終えてスマホをのゲームに熱中している。白い照明がテーブルに落ちている。雨戸はもう閉められて雪が降っているかも分からない。テレビをぼんやり見ている晴斗の耳に入り込む兄の足音、肥満気味で既に中年太りした兄、和樹の足音だ。だが、和樹はリビングにやってこない。晴斗が寿司を食べ終えてから、和樹はやって来た。顔に微笑みを湛えている。満たされた表情で「あ、今日寿司だったんだ」と言う。和樹は脱衣場に向かい、タオルを手にもって、また自分の部屋に戻っていった。

 孝二が風呂に行くと晴斗は一人。眠る時と同じ。まだテレビを見ている。医療バラエティが始まった。二時間スペシャルでテロップが豪華。自分の食生活が杜撰であると知った晴斗は、苦し紛れにガリを食べる。「そうか、元気が出ないのはカップラーメンを食べすぎていたからなんだ」コマーシャルが入ると急につまらなく感じられて自分の部屋に戻った。もし、晴斗が一人ではなかったら、そのコマーシャルを話題に会話することもできたかもしれない。晴斗は自室でイヤホンをしておじいちゃんと孫の絆を描いた泣ける物語を見始めた。涙活の一環だった。

 玄関で憔悴した顔の里子が俯きながら靴を脱いだ。リビングには誰もいないので多少の寂しさを感じたが、点けっぱなしにされたテレビに苛立ちが湧いてきた里子は冷蔵庫にある寿司を取りだし、それを食べながら「あーやだなあー」と独り言ちる。孝二の口癖が「クラウンってかっこいいな」なら里子の口癖は「やだなあー」である。

 里子が黒いトレイの上に残ったマグロに箸を伸ばした瞬間、孝二がリビングに戻って来た。そのまま孝二は自分がいつも座っている椅子に腰かけて、YouTubeで車の紹介動画を見始める。いつもと変わらない振る舞いをする孝二に里子は嫌気がさした。耐えるように強く目を瞑った八時半。晴斗が二階にある自分の部屋から降りてきて「おかえり」と言い「じいちゃん大丈夫だった?」と聞く。晴斗は心配そうに眉をひそめている。

「一応、ね。明日手術するって」里子はため息を吐いた。早く眠りたいのだ。「ちょっと、先にお風呂入っていい?」

「ああ、全然いいよ。お疲れ様、明日も病院行くんでしょ?」

「まあね」

「じゃあ、俺も行った方がいいかな」

「どっちでもいいよ」

「え、ああ、っそうなんだ。そのうち行こうかな。あ、あとスーツは自分で買いに行くよ」

「うん、お願い」

 孝二はイヤホンを指して動画を見ている。

「じゃあ、お先に風呂どうぞ」

 里子は風呂場で頭を洗っている間、考えこんだ。彼女が病院に着いた時、妹と弟の姿がなかった。妹は優子、弟は俊彦。里子の失望を誘ったのは二人とも、仕事中だからという理由で病院に来なかったことである。トリートメントをつけて待っている間に、また「やだなあ」と言う。

 里子の両親も孝二と同じ兼業農家だった。里子の家は五十代に差し掛かった俊彦が同世代の女の人と高齢結婚したので、後継ぎがいない。つまり、一つの家が途絶える。その事実が里子に悲しみを抱かせることはない。ただ受け入れられるべきものだった。そこに特別な感情を抱いても、どうしても変わらないものがある。

 シャワーで髪を洗い流すと湯船に浸かることもなく、リビングに戻った里子はちょうど晴斗がテレビを見てひとりごとを言っている場面に出くわした。脳のセロトニンが分泌されないと人間は気力を保てないという。

「あ、風呂出たから入っていいよ」

髪の毛をタオルで拭きながら、ドライヤーのあるコンセントまで近づく足音は子供のように柔らか。

「あ、うん」晴斗は生返事して、日差しを浴びましょうとか運動をしましょう等などのアドバイスを見て「本当かよ」と呟いた。

「でも、あんたはセロトニン足りてないと思うよ。帰ってきてからも、元気なさそうだし。あんまり外に出てなさそうだし、運動もしてなさそうだし。そういう脳内物質が足りていないんじゃない? ランニングでも始めれば?」里子はドライヤーを使って髪の毛を乾かし始める。晴斗はその言葉に失望した。「元気がないって気が付いているのに心配してくれないんだ」ドライヤーを使っている里子に耳には届かない。

 

 3

 

 十二月三十一日。煙草を切らしてしまったので、早めに家を出た晴斗は三日三晩降り続ける雪がようやく終わり、良く晴れた天気の下、誰が最初に足跡を点けるかを競い合う子供たちを見て、知らぬ間に微笑んだ。「重なった」子供は純粋さを呼び起こさせるので、晴斗にとって、雪の上を駆ける子供は、幼少期の自分として捉えられた。例に漏れず晴斗も雪の中を駆け回った記憶があるのだった。

 少し歩いた先で住吉がいるのを認めると、晴斗は片手をあげて合図した。表情が緩んだ晴斗を見て住吉も示し合わせたように笑った。積もった雪が、日の光を照り返し、地表には薄い影と、誰かの足跡が残っている。まだ子供は律儀に広場で雪合戦をしている。もう一時間も経てば、家の外壁に雪玉をぶつける射的ゲームが始まり、窓に向けて緩く握った玉をぶつけ始めて、その星形の跡が溶けたころに子供は家の中で昼食にありつくだろう。

 改札を抜けて駅のホームで待つ間、二人は並んでコーヒーを飲んだ。赤いボンボンの付いた帽子を被った女性が隣にいる男性に腕を回して、顔を近づけている。唇と唇が重なることはなかったが、代わりに女性は男性の肩に顎を乗せ、そこが世界で一番落ち着く場所とでも言わんばかりに、脱力していた。

「それで結局、おじいちゃんはどうなったの」住吉が聞くと晴斗は「なんか昨日の手術は成功したらしい。本当に良かったよ」と嬉しそうに言った。住吉は不思議に思った。前に会った時は祖父との距離が遠いことが苦しいと悩んでいたのに? もしかして急速に距離が縮まったのだろうか。

「まあ、肉親には死んでほしくはないよな」

「当然でしょ」

「お見舞いとか行かなくていいの?」

「いや、午後から行く。そこで合流」

「あーそうなんだ。間に合う?」

「いや、余裕っしょ」

 窓から見える景色が田園から家屋に変わり、都市が近づくにつれて車内には人間が増えた。乗客の額には汗がにじむ。晴斗と住吉も厚着の下に熱気を籠らせ汗をかいた。その分、大宮駅で降りた時の寒さに震えた。

「年末なのに人が多いね」

「年末だから人が多いんだよ」

 そのあと、二人は駅ビルで買い物をしようとしたが、いいものは既に売れてしまっていたので、徒労に終わった。晴斗は、それが良かった。人と一緒にいることに意味はなく、なんの意図も必要ないのだと、悦に浸る。住吉は不満足げに、スマートフォンを見ては、晴斗とはあまり会話をする気にはなれないことを、態度で示していた。

 喫煙所で住吉が晴斗に聞いた。

「そういえば、おじいちゃんの名前ってなんていうの?」

「ええっと、鈴木」晴斗は少し考えてから言った。「わかんないや。ちょっとおかあさんに聞いてみるわ」

 

 4

 

 僕は病院に入った。あまり臭いが気にならなかった。むしろ小さいころよりも病院らしいアルコールなどの嗅ぎ慣れていない臭いは薄れている。マスクをつけている人数も少ない。LEDライトに隈なく照らされた空間では影の存在は薄くなる。

 自動ドアのすぐ近くにある無人のカウンターで今日の要件を紙に書き、番号の書かれたカードホルダーを首からぶら下げて、二階へと向かう途中、エレベーターから父が出てきたので、喫煙所はどこにあるのか尋ねると、テレビカードを買うついでに一緒に吸おうという話になった。さっき紙を書いたカウンターまで戻り、父が皺だらけの千円札を機械に入れた。それが祖父から渡された千円札だと察すると、なにか失望のような感覚が僕の胃を締め付けた。それが終わると外に出て処方箋薬局の後ろにある喫煙所に向かい、煙草を吸った。

 病室に入ると母しか居なかった。祖父の両手は湯葉を張り付けたみたいに波立っている。こちらに気が付くと、一瞬間があって、一字一句、確かめるように名前を呼んだ。しかし、それは僕の兄の名前だった。母が訂正すると、ああそうだったかと言って二、三度は続いたが四度目にはまた元に戻り、僕は兄の名前で呼ばれた。両親は着替えや生活の段取りを整えると、また見舞いに来ると言って、病院を出た。僕は「もう少しいる」と言って、一人病室に残った。

 日当たりのいい病院の中庭で雪が溶け歩道のコンクリートが黒く染まっている。日陰の雪は溶けきれず、だが日向の芝生は姿を現す。雪が溶けて地面に染み込む。僕は、祖父が僕の名前を覚えられるのか不安に思った。手術後で体力もあまりない上に、痴呆が進んでいる祖父。僕は自分と祖父との間に共通する話題がないことに愕然とした。だから何かするべきことがないのか探した。五百ミリのお茶を買って渡すと、祖父は手すりを掴む。無理に身体を起こそうとする祖父の姿を見て、僕にはその緩慢さが事故によるものか、それとも老いなのか、判断がつかなかった。起き上がった祖父は引き出しの中から小銭入れを取りだして、しわしわの千円札を広げた。お茶代に加え「これで昼ご飯を食べなさい」と言った。僕は受け取りたくなかった。だが、僕は受け取った。午後二時だった。既に昼食を食べ終えている。菓子を何度も勧められた。僕は兄の名前で呼ばれるたびに訂正した。祖父は耳が遠く、何度も自分の名前を口に出す羽目になった。

 いくら疎遠であっても祖父という関係を維持しているので多少なり心配になるもので、僕はどれくらいの怪我か聞いた。そうすると、色あせた青のパジャマをはだけさせて胸を出した。鎖骨から胸にかけて、黒い染みが広がっている。祖父は不安げにその滲んだ黒い染みを見つめている。「痛そうだね」と僕が声を掛けると嬉しそうに、「そうでもないんだよ」と言った。そこで会話が切れると祖父はパジャマを正して、事故について金が勿体ないと嘆き始めた。僕は、まずは命があったことを喜ぶべきだろうと思ったが、事故にあった本人からすれば、予期せぬ出費として認識しているのかもしれないと思いなおした。

 

 うっかりサンマルクカフェで寝過ごした僕が病室に戻ると、叔母が居た。午後六時半だった。僕が「お久しぶりです」と声を掛けると薄く笑って、「そうですね」と言った。前に会ったのは二か月前の叔父の結婚式だった。叔父の俊彦は五十代を迎えてから結婚して、今は実家を離れて妻の敦子さんと二人暮らしをしている。叔母はその時と比べると、あまり年を重ねていないように見え、むしろ若返って生き生きとしている印象を僕に抱かせた。「あんずちゃんは元気ですか?」と僕が聞くと嬉しそうに、スマホを取りだして写真を見せて、犬のどこが可愛いのかを語った。叔母は楽器店に勤める男性と結婚し、子供には恵まれなかったが、犬を飼っていて、元旦に母の実家で会った時には犬を連れて、自分の子供のように丁重に扱っていた。僕は叔母が犬に愛情を注ぐ理由を探りはしなかったが、子供よりも犬の方がお金もかからないし、意思疎通ができない分、見返りのない愛を与えることができそうだと思った。だが、それは理想的な服従のような気がした。そして僕は自分の人格を疑った。犬と子供を比較してしまうような。

 廊下が人の気配で満ちると、四十代の女性の看護師がご飯を持って病室に入って来た。祖父の前に夕食が置かれた。その看護師は手慣れた手つきでベッドのテーブルを引き出して、その上に美味しくなさそうな食事を置いた。向かいのベッドに座っている患者にも同じように食事を置いた。

 祖父の前に置かれたお盆にはスプーンだけがあった。箸は力加減が難しく、祖父にとって使いづらいだろうと気を回したのかもしれない。だが祖父は看護婦に箸を要求しようとした。自分は子供じゃないと言った。叔母が「箸を使って食べられるならいいけれど、上手く食べられないならスプーンの方がいいでしょ」と言って祖父をなだめた。僕は思った。祖父を見ていると、かえって子供を見ているように感じられる時があり、それは我儘というか、背伸びというかどこか虚勢を張っているみたいだと。祖父はそれでも箸を欲しがった。

 看護婦が箸を持ってくると満足したようにスプーンで食べ始めた。一応は叔母の言うことを聞いたらしい。豆腐を食べようとした時、祖父は箸を手に取ったが、満足に使えないまま何度も格闘していた。何度か箸を落とした。手が痺れているのだろう。叔母は祖父のそのような姿を見て少し怒っていた。震える箸の先端が豆腐に中々たどり着かない様を見て、叔母は「上手く使えないんじゃ意味ないじゃん」と毒づいた。祖父はなんとか崩した豆腐のひとかけらを挟んで口元に運ぼうとしたが、途中で落ちてパジャマにぼとんと落ちた。「めっ! ほら、スプーンを使って!」祖父は「プリン食べているみたいだから嫌なんだよ」と言った。僕は変だと思い、向かいの患者の方を見て、フォークを使って豆腐を食べていたのを確認すると、看護師さんのちょっとしたミスなんだ、と合点し、そのまま廊下に出て看護師に声を掛けてフォークをもらった。僕はフォークを祖父に渡した。だが、祖父はフォークで豆腐を食べなかった。叔母が箸を使って食べさせるところに落ち着いた。

 食事が終わり、看護師がお盆を下げた。僕は祖父がどこを手術したのか知らずに見舞いをしていたので、それとなく尋ねると祖父は嬉しそうに笑った。叔母はため息をついた。

 手術は折れた鎖骨に金属を入れて強化するというものだった。祖父の説明は痛かっただとか金がかかるとか余計な情報があったので、時折、叔母が話の筋を戻した。

 僕が祖父の説明を聞き終えると、叔母が帰ると言った。祖父は「おれも眠くなってきたから寝る」と言ったので僕は帰ることにした。自販機の前まで来ると叔母は「何か飲み物いる?」と言った。僕は頷いた。ジュースを買ってもらった僕は、ついでにお茶を祖父のところに置いておいてあげようと提案した。叔母は「そうだね」と承諾した。

 僕らが買ってあげた緑茶を置きに病室に戻ると既に祖父は眠っていた。落ちくぼんだ目が皺と同化するように閉じられていた。胸は浅くふくらんだりしぼんだりを繰り返している。不意に叔母が祖父の禿げあがった頭を撫でた。そして僕に動画を取るように指示した。僕はスマホを渡されて動画を撮った。僕は、いつ辞めていいのか分からずに数十秒カメラを向けていた。やめ! の合図があるまで。

 僕は駐車場までの道で、叔母にどうして事故にあった日、病院に居なかったのか聞いた。

「仕事が抜けられなくてね。けど、私は昨日と今日の二連続で来たわけだし、手術前だってちゃんと来たのよ。俊彦なんてまだ一回も来てないし、いくら新婚生活が楽しいからって、それはないでしょ。あいつ本当にダメだわ。それに、結婚した相手って言っても、どうせ財産目当てなんでしょ」

 叔母は駐車場へ向かうために横断歩道を渡った。僕は立ち止まり、そこで「また、今度」と言った。そして、駅の方へと歩き出した。僕は失望した。叔母が失望していることに対して。

 

 家族全員が集まり、年末の特番を見ている。あと二時間もすれば年が明ける。僕は煙草を吸いに外へ出るたびに、張り詰めた冷たい空気を感じ、確かに何か変化するような心持になった。僕はまだ少し酔っていた。そして疲れてもいた。だから眠かった。まだ十時だった。僕は眠ることにした。新しい何かが始まることがすこし恐ろしかった。

 僕は眠る前、スマホを充電ケーブルに接続し、画面が明るくなると母からのラインがあったことを知った。なんであんな動画を撮ったのか、というものだった。曰く、あのあと、すぐに母、叔母、叔父がメンバーのグループラインに動画で共有されたらしい。僕は指示されたから、と答えた。

 叔母はなんであんなことをしたのか考えながら、布団に入り、あの行動は、むしろ犬に対する振る舞いと同じように、見返りを求めない愛情のようなものなのだろうかと僕は思った。そのままうとうとしていると、リビングの方が騒がしくなり、僕は年を越したのだと理解し、そしたら急に寂しくなり、家族のいる場所へと向かった。晴斗は酒を飲みながらテレビを見ている家族の輪へ溶け込むと「一致したい」と思った。僕は道徳の教科書と一致したい。晴斗は思った。僕は祖父ともっと話をしなければいけない。

 

 5

 

 一月五日。朝、反射鏡には霜が降りる。道路の上を這う薄い氷が晴斗を転ばせた。尻もちをついた尻を手袋をはめた手でさすりながら、今度こそ転ばないように駅までの道を歩き、電車に乗る。天気予報では、また雪が降ると言っていた。つかの間の晴天だった。晴斗はその間に、優子と俊彦の家へと行き、入院中の健吉がどのような人間なのかを調べることにしていた。そこから健吉との会話の種や、最終的には健吉への無償の愛を抱けるかもしれないと考えたのだ。

 二階建てのアパートに着き、俊彦たちの住む部屋のインターホンを鳴らした晴斗は、まず開口一番、何を言うべきかを考えたが、思いつく前に俊彦が扉を開けて、顔だけ出した。

「ああ、晴斗くん久しぶり」

 居間に通され、出された麦茶を飲みながら晴斗は部屋を見まわした。よく見れば俊彦の私物が限りなく少ないと気付いた。石油ストーブの匂いが濃かったので、晴斗は窓を開けるように提案した。窓が開いた。冷気が室内に入って暖かい空気をかき乱し、室内の空気は押し出されるように、窓の外に出てく。

「それで、爺さんについて知りたいんだって?」

「ああ、そうです」

「でも、知ってどうするの? 何の役にも立たないよ」

 理由を尋ねられると思っていなかった晴斗は、麦茶を一口飲んで舌を湿らせてから、ためらいがちに言った。

「いや、なんというか、じいちゃんのことなんも知らなかったなあって最近になって気が付いたんですよね。それで、ほら、じいちゃんも今、ちょっと、おっかなびっくりみたいな、そんな感じなので、ええっと」

「なんだ、純粋にじいさんのこと知りたいんだ」

 安心したように俊彦が言った。俊彦含め、鈴木家の子供たちは遺産相続の分配について幾度か話し合いを重ねており、現段階では長男・長女・次女の順に残される資本が多い。だから晴斗が健吉について知りたがった時、俊彦は遺産について知りたいということなのではないかと疑った。そして不安に思った。もしかしたら、自分の取り分が減ってしまうのではないかと。しかし、晴斗の金への無頓着さを理解してから、それが急に馬鹿らしくなり、そして晴斗が遺産とは無関係だと判断し「あっちゃん、ああ、俺の奥さんは多分、裏では遺産狙いって言われているけれど、そうじゃないんだよ。普通に婚活で出会って、結婚しただけ。だからつまり、家族っていうのは、そういうものを越えた繋がりなんだと思うよ。だから晴斗君は偉い」と言った。なぜ晴斗にこのような話をしたのかは単純で、ただ晴斗が信じてくれると思ったからである。動機として自分の妻が遺産目当てではないことを誰かひとりにでも理解してほしかったからである。里子や優子に話しても、彼女らは俊彦の無根拠な説明では納得しない。なぜなら五十代になってから結婚できる理由が、彼女たちには遺産ぐらいしか思いつかないからだ。

 晴斗は思った。僕がそんなことを考えるわけがない、それに家族間で大切なのは愛だから。晴斗は俊彦を可哀そうな人だと思った。そんな些細なことを心配しているなんて。

「そんなこと考えるわけないじゃないですか。そうですね、なんか最近になって、僕も家族って大切だなって思うようになったんですよね。だから爺ちゃんも心配で」

「まあ確かに、爺さんの感じだと、危ないって思うよね。でも爺さんの話なんて、あんまりないからなあ。なんか聞きたいことある?」

 本当は特に知りたいことは何もない晴斗は、それを分からないふりして「じいちゃんってどんな人だったんですか?」と言った。

「いや、まだ死んでないよ」笑いながら俊彦が言った。気まずくはなかった。むしろ、打ち解けたといった様子で「そうだな、爺さんは頭が固くて過保護だったな」と顎を触りながら健吉を評価した。

「まあ、だから結婚式の時も辛かったよ。全然笑ってないんだもん。ああ、写真見る?」

 そう言って俊彦は箪笥から写真を取りだして来た。その途中「寒いよね」と言って窓を閉めた。写真には俊彦とその奥さんである敦子さんが二人、白い姿で座り、その後ろに黒い服を着た二人の両親が並んでいた。確かに、健吉だけが表情が抜け落ちていた。が、健吉は不満そうではなかった。

「なんででしょう?」

「やっぱり、子供かな。どこまで行っても二人きりだし」晴斗はなんていえばいいのか分からないまま口を閉じていた。しばらく沈黙が続いたが、俊彦が気を使い、気丈に「まあ、それを分かっていて結婚したんだけど」と言うと、晴斗は急に励まされた気分になって「そうですよね、子供がいなくても」と朗らかに笑いながら言った。俊彦は怪訝そうに「晴斗くんは友だちから変なタイミングで笑うって言われたことない?」と言った。

「え、ないですけど」

「そうなんだ。そういうところ、良くないと思うよ。こっちは真面目に話しているから、相手に失礼だと思う。俺はいいけど、社会に出た時に苦労するからね。そうそう、爺さんの話だけど……」

 晴斗は自分が人間関係におけるタブーを犯したと気が付き、それによって生まれる緊張感から俊彦のその後の話をうまく整理できなかった。結局、健吉は頭が固くて過保護である、という情報のほかに得るものはなかった。

 

 6

 

 僕は実はいいやつなのである。確かに叔父には悪いことをしたと反省はしている。だが、それは叔父の心に寄り添おうとした結果なのであって、それが失敗に終わっても、僕がいいやつなのは確かである。というのも、僕はこれから祖父の見舞いに行くわけだし、明日には叔母から祖父の話をしてもらう予定であり、家族の絆を回復するのはいいやつしかできないだろう。時として、おっちょこちょいなミスをするが、それは仕方がない。

 個人部屋に移し替えられた祖父は目だけで僕を見て、口角をわずかに上げた。僕には祖父が喜んでいるのが分かった。

 衰えが目に見える祖父に僕は同情が湧いた。既に一月六日になる。年が明けてから僕は毎日、祖父の見舞いをしていたし、だからこそ段々と死に近づいているように思えた。

「じいちゃん長く生きてくれ」と呟いた。「まだ泣く準備ができていないんだよ」

 僕が外の木をぼんやり見ていると「晴斗は今年、成人だっけか?」と祖父がかすれた声で尋ねたので「そうだよ」と返す。

「晴斗が成人になるのを見たいな」

 はっとして僕は祖父を見た。自分の名前が覚えられている。祖父はトウモロコシの実のように黄ばんだ歯をむき出しにして笑っていた。病室の窓から見える緑樹の隙間を縫って、落日の束の間の朱が、病室に差し込む。それに照らされた祖父の顔は活力を取り戻したように見えた。

「うん、頼むね」僕は誰かに抱きしめられた時のようにほっと息を吐き出して、安心に浸かれる喜びに震えた。「重なった」これだ、この感じが家族なんだ、と僕は思った。小説で読む家族愛、漫画で読む家族愛、映画で見る家族愛、物語と重なった。感動物語の主人公に僕はなれる。これまで僕の人生の内でこれほどまでに、物語と重なることはなかったから、その喜びもひとしお。

「晴斗、ペンと紙を買ってきて」短く祖父が言った。

 祖父に買ったペンと紙を渡すと、少し席を外すように頼まれたので、喫煙所に向かった。その途中で叔父とその奥さんである敦子に出会った僕は、昨日の気まずい雰囲気を思い出して、どもりながら「じいちゃんの部屋は、三階にあります」と言った。叔父は自分も悪いことをしたと思っているのか「ありがとう」と優しく言ってくれた。

 病室に戻った。祖父は叔父が挨拶すると嬉しそうに笑ったが、敦子がいることを知るとまた無表情になった。誰だか分からないだろうかと思った。敦子が「心配しましたよ」と優しい声で言った。

 敦子は五十代だがネイルをしている。化粧は濃い。それは敦子さんが美容の専門学校で働いているからだ。それが祖父の方へと向けられるたびに、そのメスのような鋭さが不気味に思えた。祖父は回復しつつある身体を起こそうとしたが、敦子に安静にしていてください、と言われたので、しぶしぶ寝た。叔父は一通り祖母と会話してから、何か買ってくるよと言って廊下に消えた。

 敦子は居心地が悪そうに、僕を見た。僕は何も言わなかった。祖父が敦子さんを見て「貴方誰?」と言った。敦子はフッと鼻を鳴らして「敦子です」と言った。祖父は「敦子さん? ごめんね、分からない」と言った。「俊彦さんの妻です」と言われると祖父は「知ってるよ」と言った。

 また沈黙が病室を支配しかけたので、僕は逃げようとしたが祖父から「晴斗は結婚できそうな人はいる?」と聞かれ、その場にとどまらざるを得なかった。

「いないかなあ」

「そうなんだ。するなら早い方がいいいよ。子供ができないと駄目だもん。それに早めに結婚しないと、財産目当ての女とかと結婚する羽目になるからなあ」

 その言葉は少なからず、僕を動揺させた。憎しみになれない悲しさを思った。

「そんなことはないと思う」と言った。できる限り間延びした声で、表面上は否定していないように聞こえるように僕は意識した。なぜなら敦子は、まだそこで微笑んでいるのであり、叔父の話から、敦子を信じたい気持ちもあったからだ。だが、ネイルをしたまま見舞いに来る態度もどうなのかと疑いの気持ちもあった。

「あんたはどう思う? ええっと誰だっけ?」

「私もそうではないと思いますよ。おとうさん」

 敦子から、おとうさんと呼ばれることが気に入らないのか、祖父の眉間にしわが寄った。次に口にするのは「俺はあんたのおとうさんじゃない」という言葉であることが想像できた僕は、できるだけ早く叔父が帰ってくるように願った。これ以上、祖父の嫌な部分を見たくはなかったのだ。

 叔父が缶コーヒーと五百ミリのお茶を買って戻って来た。僕は予定を変更し、叔母の話を聞きに行くことにした。スマホを取り出して、連絡をすると、ちょうど見舞いをしに行こうと思っていた、と返信が来た。俊彦たちは既に帰っていた。

 

 7

 

 すっかり陽が沈んで、病院内の飲食スペースから外を眺めようとすると、窓に映る自分の顔に邪魔される。晴斗は優子が席に来るのを待っていた。しばらくすると、優子が二人分の飲み物を持って現れた。

「じいちゃん元気?」

 赤いコートを脱ぎながら優子はそう言った。白いふけのようなものが床に落ちた。

「ちょっと回復したみたいです。あんまり時間がかけられないので単刀直入に伺いますが、優子さんは祖父に対して、どのような印象をお持ちですか?」

「何その話し方」笑いながら席に座ったあと、熱い紅茶を啜り言った。「昔は頭が固くて嫌いだったけど、今はまあまあ好きかな。なんか年を取るにつれて丸くなっていったと思う。今でも頑固だと思うけど。昔はもっと酷かったのよ。ああ、ほら、うちって農業していたじゃない? 二年前ぐらいに売っちゃったけど」

「え、なんで売ったんですか?」急な話に驚きつつ晴斗は言った。

「いや、誰も跡を継ぐ人がいないからさ。それにあの家、国道に近いじゃない? それで最近になって物流倉庫が建設されるようになってきて、まあうちの田んぼが欲しいっていうのがあったんだよね。昔だったら後継ぎがいなくても売らなかったと思う。自分が耕してきた土地に対する愛着とかで。でも、じいちゃんは私たちに何の断りもなく売ったの。それでお金がたくさん入ったらしいよ」

 夜が来て、また凍り始めた道路をトラックが走っていく。晴斗は自分の家と同じだと思った。そして急に納得がいった。孝二の口癖の「クラウンってかっこいいな」は実現可能な個人的な夢だったのだと。

「まあ、でもじいちゃんが心配だよね。私もできる限り様子を見に行っているけどさ。それにそれぐらいしかできないし。晴斗くんは偉いよね。なんでも毎日、行っているらしいじゃん」

「まあ、僕もそれぐらいしかできないし」

「そうだよね。偉い、俊彦たちと比べれば偉いよ」目を輝かせながら優子は言った。晴斗は病室でのでき事を思い出して「敦子さんはじいちゃんのことを好きではないようです」と言うと、優子も同調した。「あの女は財産目当てなんだって。だって、自分のことを優先しているもん。普通はもっと見舞いに来るものでしょ。俊彦だって全然見舞いに来ないくせに、財産だけは一番多くもらおうとしているんだよ。信じられないでしょ。一番、じいちゃんへの愛がなさそうなあいつがさ」

 優子の愚痴は今に始まったことではないが、彼女が最も不満なのは自分が最も、財産の配分が少ないことに対してである。彼女は結婚しているものの子供はいない、そして最近では夫との関係もうまくいっていない。それがなぜだかは分からないが、優子が不安に思うことは、夫と離婚した場合の、頼る人間が少なくなることに対してであり、自分の老後であり、余裕のなくなった生活だった。だから、その不安が消えるぐらい金を持っていたかったのだ。

「やっぱり大切なのは愛なのよ」

 一通り愚痴を言い終えた優子が着地したのは、愛だった。晴斗はそんなの当たり前だと思ったが、一応それっぽく見えるように深くうなずいた。

 

 8

 

 雪が降っていた。晴斗はまた健吉の見舞いをしに来た。これまでと違うのは和樹が一緒に居るという点。和樹は健吉の体力がなくなりつつあることを知ると、仕事を休んでまで見舞いに行くと言った。昼過ぎに病院に着いた。その時、健吉は意識がもうろうとしているのか、天井に向けて目を開いているだけで、何かを認識しているようには見えなかった。呼吸が浅かった。昼食の時間に二人に気が付いた健吉は、和樹も晴斗と呼んだ。

 その翌日の早朝に、つまり晴斗の成人式の前日に、健吉は死んだ。雪は降り止んでいた。死因は老衰だった。術後からどんどんやせ細り、肌が白くなっていった健吉は、もう老いには勝てなかった。

 晴斗はやっと泣けたが、その涙の理由がわからなかった。別に親しくなったわけでもないし、多くの時間を共有したわけでもなく、泣くに足る理由がなかったにも関わらず、泣いてしまった。しばらく嗚咽し続けた。親族で泣いているのは晴斗だけだった。心配した里子が、落ち着くために外に出るように勧めると、晴斗はうなずいて病室から出た。だが病室を出ても涙が止まらず、そういう姿を他人に見られたくなかったのか、晴斗は誰もいない中庭に出た。すっと涙が止まった。健吉の病室から見えた木があった。良く晴れた空に目を細めると、水の落ちる音がした。木の葉の上に積もった雪が、太陽の光に照らされて、溶け始めていた。そこだけ、雨が降っているようだった。晴斗は木の下から病室を見上げた。和樹があくびをしているのが目に入った。溶けた雪が晴斗の頬に当たり、顎まで流れていった。掴める雪が溶けて、掴めない水に変わった。晴斗は泣けない自分に対して泣いていたのだと理解した。

 

 9

 

 健吉の家も、晴斗の実家と同様に裏に木が生えている。田んぼに囲まれた農家の家は風を防ぐように周りに木が植わっている。健吉の老後はその手入れと手元に残した畑で野菜を作ることだった。

 炬燵を囲んだ里子と優子、そして俊彦は向かい合って、目の前にある茶色い封筒を誰が開けるか見守っている。誰も開こうとはしない。みな当事者になることを恐れている。それは健吉の分配に関する意思だった。それは遺書ではないが、ただこうしてほしいという願いではあった。

 その時点ですでに健吉は死んでおり、葬式などの手配などを終え、ひと段落したところだった。最初に口火を切ったのは里子だった。時間がもったいないと言って封筒から紙を取り出した。それを全員に見えるように机の上に置き、読んだ。

 読み終えた時には分配量が変更されていた。まず里子が最も多く次に俊彦、最後に優子だった。ただ法的な拘束義務のない書類だったせいで、ここからまたこじれた。もちろん優子は愛を使って異議申し立てを行った。俊彦は見舞いに全く来なかったし、里子と自分を比べて、これからの人生で苦しいのは自分だと主張した。だが、里子も晴斗の学費を引き合いに出し譲らなかった。そして俊彦は自分が長男であることと、新婚でもっと楽しみたいという理由で譲らなかった。それぞれの環境の差異が、それぞれの正当化の根拠だった。ここまでくると平行線のままだった。だからか健吉への愛によって分配を決めようじゃないかと優子は言った。里子も俊彦もうんざりしていたが、自分が一番少なくていいとは言えなかった。そして、それぞれが愛を主張し始めた。どれだけ健吉に献身的であったか、過去にどんなことを健吉に行ってきたか、そういう話だ。それぞれの愛と引き継がれる資本の量を比例させようとする試みは難航した。健吉について言及すればするほど、口が重くなっていった。

 話が進まないから明日また話し合おうという流れになりかけた時、里子のスマホが光った。晴斗からの連絡だった。そこで里子は気が付いた。

「ねえ、晴斗ってほとんど毎日、お父さんの見舞いに来ていたじゃない?」

 里子がそういうと優子も俊彦もうなずいた。

「それって、もしかしたら晴斗が一番、愛があったんじゃない?」

『Summer Pockets』終わってから三十分での妄言(ネタバレはしている)

 こんな挑発的なタイトルをつけてしまう根底に、プレイ後の不完全燃焼があるのはみさなんご存じの通りで、夏休み中に筋トレをして真夏のビーチで女の子をナンパするなんて夢のまた夢であるオタクのお気持ち表明をすることもやんごとなき理由としては一応の納得や理解を得られるだろうと思い、プレイ後にこのブログをしたためようとノートPCの前に向かうわけだが、そもそもKEY作品をプレイするのは初めてだったし(クラナドはアニメ版で見たものの)泣きゲーと呼ばれる、人間の感情サプリメントをブランド食としているものに対して、いくらかの反発を持つ私が一体どうしてプレイしようと思ったのか、自分でもわからない。

 そもそもSummer Pockets のテーマとは何だったのかを考える場合に、ある程度のキーワードを限定したい。だが、それは「時間・家族・島・過去・夏休み」等々、物語内で完結するキーワードではない。焦点を当てたいのは、今流行の時間遡行系であるということや、それに付随する忘却である点だし、そもそも伝承の使い方もかなり感動を作り出すためだけの小道具に成り下がっているように思えてしまうわけで、そりゃあプレイしている時は「う~ん、これは感動なのかもしれん」などど思っていたわけで、でも一応クリアしたっていうレコードが出てきてから、「?????????」と「え~~~~~~~~~~これで、こっこっこれで終わり?」みたいなことを思う。

 だから、なんとなくでも思った事を残しておこうと思う。

 

 プレイしている間、ずっと没入できずにいた。ところどころ感動的なシーンはあったものの、それが感動だと理解すると、すっとゲームキャラクターやプレイしている自分というものが浮き彫りになり冷めてしまう。

 蒼→鴎→紬→しろは、でプレイした。蒼ちゃんでええ話やんな、鴎でちょっと涙目、紬ルートはそんなに、しろはルートは(メインにしては)物足りないという雑感。ただみんな可愛かった。可愛かったのだ……。それだけは確かだし、エッチなシーンがなくても楽しめた。

 漏れはやっぱり、トゥルーエンドが物足りない。だって、失ったままだし。いや、別にハッピーエンドが絶対に良いってわけじゃないんだけど、それにしたってこれはないでしょ。それまでの流れなら、もう一歩踏み込めたでしょ……。というか踏み込む要素しかなかったじゃん。

 別にうみちゃんがさ、いないままでも良いんだけど、それにしたって腑に落ちないでしょ。いや、確かにそういう運命にしたって感じだろうけど、報われねえ~~~~~。

 

 ところで話は変わるけど、この未来の喪失について思う事がある訳よ。過去にばっかり縋ってはダメみたいなことがリフレインされるわけだけど、それに対する回答が夏休みを楽しむことって全然答えになっていないやん。一応は、戻りたい過去に戻る的な負の連鎖を終わらせたが、別に平坦な戦場が続いていくに過ぎないんじゃないかと不安になるよ。ファンディスクとか出ても、この「なんか違う」違和感はぬぐえないだろう。だって、それはプレイしている主体であるプレイヤーは、自分の人生の内過ぎ去った夏休みをゲームによって獲得するわけだし、結局、物語で出された(永遠に続いているような)夏休みはパソコンを開けば、そこにある。まあ鏡子さんが言っていた「ずっと夏休みも自由に縛られている檻」的なアレで解決できるだろうけど。

いや、だからその夏休みが終わる時に、なんでうみちゃんがいないの~~~~。こう、思わせぶりな事を最後にして、えっ!チャーハン!?こっこっこっここで?

ちょっと冷静になる時間が必要や。。

 

 

 

マジのゴミ(放棄)

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彼女は言われた通りに音楽室にたどり着き、所在なさげに電子オルガンの前に座った。茶色い外装を節が「川」のように流れていた。彼女が緩慢な動作で白鍵を優しく触れるように叩くが電子音は鳴らずに爪がプラスチックに当たった音と微かにバネの音がした。それは、どんな音だったか思い出すことが困難な特徴のない害のない音、彼女は綺麗だった。苛立ちも喜びもない、怒りも悲しみもない、希望も安心もない彼女の顔には、どこにもリアリティといったものがなく、一三歳にしては細く白くしかしどこかで健康的だと思わせる四肢と年相応の丸みが取れていない顔―特に頬が柔らかそうで怒ったとしても尚更にその可愛らしさが目立つような顔立ち―と彼女の鍵盤を叩く動作が何かを諦めた人間が見せる静かで汚れも感じさせない動作のようだったからだろう。そういった彼女の姿を見ていると、電源コードを刺してやることも、声を掛ける事も、息をする事も許されない気がした。つまり自分を彼女との対比によって許されないモノと設定し(本当は話しかける事で静謐が崩れるのが怖かったのだ)、そのルールに則り行動を制限していたことになる。彼女は何度も繰り返し、特徴のない害のない音、綿を殴る時に感じるあの無抵抗な何も反発が起きない虚しさに近い感覚、に憑つかれていた。

あの頃の僕は音楽室の、防音のために壁の至る所に空いた穴、一つの穴に意識を向ける事もできないし、かといって部屋全体の穴を意識できる訳でもない暴力的な穴、死角にあるかもしれない=視認できない穴が怖かった。朝倉の後を追うという形で音楽部屋に入ったが、本来的には、何度かの偶然を信じる事でしか、そこに侵入できない。僕は入ってすぐの穴を覗いてみたが、ただの穴(暗くて見通しがつかなくて、自分の体が小さくなって穴に落ちてしまったらどうなってしまうのかわからない穴)だった。

西日に背を向けた身長が高い事を気にしている彼女が履いている赤いモカシンのすぐ横には菱形の蜜柑色した夕日のマットが敷かれている。そこには格子のような影が埋め込まれていた。ぼんやりとした西日の中で埃が輝き、普段どれだけそれを吸い込んでいるのかを意識させられてげんなりとした。

彼女は弾力のある皮膚を持ち骨と肉体の結合が特徴とされる機械のようだった。長い睫毛が揺れているだけ、何も予定がない日曜日のような、キラキラと光を内に取り込み何本もの光線を反射する宝石のような瞳が開いているだけ、意識されるべき対象が不在の視線を鍵盤(便宜上、実際に見ていたのだから仕方ない)に落とし、薄い胸が息を吸うたびに大きくなり腕はそれに合わせて上がり・膨らみ、それらが下がる・しぼむと同時に黒鍵を叩き、力が抜けその指が鍵盤からするりと落ちる。彼女の動作が緩慢なのは呼吸が薄くゆっくりであるからだった。それは確からしい。そしてなりよりも彼女は生命にあふれているらしかった。

 

 

 

 1 

 

 K県O崎市のU町を歩いていると奇声が聞こえてきた。それはそれぞれの奇声が何層にも重なり空間的な響きを得ていた。一体どこから聞こえてくるのかは知る必要のない事であり、正体が掴めないのなら気にしないほうが良い。

歩き続けて、夜が来て、やがて空が白みだす。そして太陽は僕を追い越し夕日になり、翌日にまた現れる、夜は月にその顔を貸し与えて。僕は、それを意識する度に泣きたくなる。しかし、泣くことは決してない。太陽に対しての働きかけは出来ないし、よしんば働きかけをしたところで、何も変わらないだろうという(当たり前の)諦観を覚え、至って自然な無気力感に打ちひしがれていた。いつものように役割を持たない事(社会的な役割、というよりかは信頼関係や利害関係における最低限やらなければならない事がないために発生する寂しさ)と、役割を持とうとする事(相手に好意を示し、自分の行動に責任を持つこと、責任を持つためには信頼関係や利害関係におけるやらなければならない事をやりきるだけの力量を持っていなければならないし、どれだけ汚くても行為を完結させることが条件)から逃げてきた。つまり僕は自然と同一になれることができないという諦観と社会に対して逃避的な姿勢を持ち続けていた。

僕が歩いていた道、日雇いアルバイトをした工場と駅とを結びつけている道、午前九時ぐらいにも通ったが今ほど奇妙ではなかった道。そこで犬のような低い唸り声がすると教えられなかったら聞き逃していただろう。アルバイトが終わり、黄金に輝くシュークリームのような雲と朱色と紫色と桃色のぼんやりとした境界、まだ踝くらいの短い稲が植わった微かな音を届ける田んぼからシロサギが飛び立ち空に溶けていく姿、そういった平和的な午後五時に、その道を通ると明確に人間の呻きだと分かる声がしたのだ。僕と声の間には田園が広がっている。呻き声は田んぼを水切りのように何度か跳ねて、僕に衝突した。

その日はアルバイトをして時間を使う事が出来て満足だった。だが、充実した日の終わりにこそ不安になる。一人、暗い部屋の布団の中でいつもは聞こえない(意識していない)車の音が聞きながら、眠りに入ろうとすると明日の楽しさが今日味わった喜びと比べられて、それを乗り越えるほど楽しい日になるのかを考えてしまう、無意識のうちにハードルを上げてしまったことに気付いてしまう。そうすると明日が来てしまうのが恐ろしくもあるのだ。奇声よりも僕は今日の夜に眠れるのかが心配だったし、かといって明後日、明々後日の事を考えると、漠然とした不安に押しつぶされそうでもあった。今日の喜びと明日の喜びは比較できないものであるのに、僕はそれを捻じ曲げてしまっているのだ。だが、その捻じれは結局僕一人ではどうすることもできない。

僕はあの家に帰りたくなくて、バイト終わりに駅前の居酒屋で朝を迎え(それは家という習慣が染み付いている部屋の中で、同じように繰り返すだけだと感じたからである)、居酒屋が閉まると公衆トイレで目をつぶり、お腹が空いたのでトイレから出(時計は午後二次を指していた)、日高屋で飯を食べ終えると、わざわざ奇声が上がる地へと入り、だらだらと徘徊した。この辺りは治安が悪いと有名な地域であり、前時代的な穢れを持ち続けている地域(日高屋にいるときに調べた)らしいが、別に何かが起きる気がするだけで実際には何も起こらなかった(僕は単純に、何かが起こりそうという理由だけで、その地に足を踏み入れた)。それにこんな奇声が上がる場所になんて誰も住みたがらないだろう(嫌悪に似た恐怖によって)。それとも夜が来ると治安が悪くなるのだろうか。

確かに僕は少し怖かった。だが、ここを通り過ぎればもう普段通りに気怠い雰囲気を感じてしまうのだろうとも思ったし、この非日常感もここに長くいれば薄れてしまうのだろうと思った。

数時間のあいだ歩き続けたが、遂に慣れがやって来、家に戻ると決め、駅にたどり着くと一人の少女が声を上げて何かを伝えようとしていた。いつもの僕であったなら聞こえないふりをして、無関心を装って通り過ぎていくのだが、僕は家に帰りたくなかったため、わざと歩くスピードを落とした。「迷っていませんか、お話だけでも聞きませんか?」と言っていた。僕はつい声のある方向へと顔を向けてしまった。あまりにも、何を伝えたいのかが不明瞭だったからだ。「ねぇ」とか「大丈夫?」とかどこからか聞こえてきた時のように。

僕は声の主と目が合った。そして、彼女が小中学生の時に仲が良かった人間だと思い出した。向こうも同じく僕を見て大げさなほど驚き、「ねぇバーくんだよね?」と声を投げかけてきた。僕は久しぶりに家族以外の顔を知っている人間に会った喜びと(相手が自分を覚えていたこともあった。その上、彼女が僕を懐かしい名前で呼んだことも)照れくささを感じながら近づいた。

僕はこの町が僕の住んでいた町であることに、彼女を見てからようやく思い出した。なぜ今まで気が付かなかったのが不思議だ。いくら苦しさからの逃避として忘れる事を実践しているとしても。この町には、それ以上に大切なものがあったはずなのに。 

声を掛けてくれた朝倉は僕が近づくまで、全く表情を崩さず笑顔のままだった。「久しぶりだね」と僕は本心からの言葉を掛けた。「うんっ、本当に!」朝倉は昔と変わらず元気が良くて、それがなんだか嘘っぽかった。「えぇっと、今何しているの? いや、俺が転校してから何していたとかじゃなくて、なんでココで……何しているの?」僕は自分が転校してから朝倉がどう過ごしていた事にとても興味があったが、それを知る事でそれ以上に感情が揺れ動くのが嫌だった。だからせめて、朝倉が声を上げて駅前に居る意味を知りたくなった。「今ね、みんなに知ってほしい事があって、伝えたいんだけど、どう伝えればいいのか全然わからなくて……。だからとりあえず大きな声出して、気になった人に話しかけてもらえればいいかなって思ってたのっ。けど全然集まらなくて……。だから鉄くんに会えて嬉しいよっ!」僕は朝倉にも苦手なものを見出してしまった。(彼女は話しかけてくれる人を探していて、だけど伝え方が分からずにいたところ、僕を見つけた、ということは自分の望みにあてはめて僕を見ている節がある。つまり僕に役割を期待しているのだ)。しかし、それでも僕と朝倉の関係は今回再会した事で朝倉という存在が生き返り(それはつまり昔の彼女を引っ張り上げる事が出来たから)初対面の人間を前にするのとは違う居心地の良さがあった。

「それで何を伝えようとしていたの?」

 少し意地が悪そうに半笑いを顔に引っ付けながら聞くと、朝倉は口を指で隠し、眉間を狭めて悩みはじめた。

「なんだろう。言葉が出てこないや。何を伝えたいかは分るのに、言葉にできない……呻きみたいになっちゃう。ねぇ、この後時間あるなら私が伝えたいものがある場所に来てみない?」

 僕としては家に帰るのが嫌だった(まるで反抗期!)から、考える間もなく返答した。しかし、それを態度に出さないようにできてしまうのだ。聞かれてもいないのに理由まで差し出して、ゴテイネーに。

「暇だし、行くよ」

 

 駅からそこまで、二十分ほどかかった。しかも、僕は来た道を帰ってきて、また奇声があがっていた場所から奥へと進みたどり着いた。彼女は照れくさそうに笑った。ここに彼女が伝えたいものがあるとは到底思えなかった。

 そこに着くまでの道で彼女は伝えたいものがあるという事を話してくれた。しかしその話題になると会話は続かず、結局僕らは思い出話に花を咲かせた。小学生一年生の頃に朝倉と僕の両方がマラソン大会で良い成績を出し全校集会で壇上に上がる時に僕だけが後ろに体育座りをしていた友達にズボンを降ろされ丸出しになった事、二人で秘密基地を作ろうと計画したけど空き地と材料がなくてやめた事、中学生に上がってからなんとなく話ずらかった事を物語りながら共有した。それと同時に僕は高校生になってからの事を聞きたかったけれど、僕自身の臆病さがそれについての話をさせなかった(高校時代という空間と時間を内包している概念は共有していたが中身に差異があるため、それが浮き彫りになるのが恐ろしかった)。その話になってしまったら僕は個人的な意味づけをした行為を物語らなければならないし、朝倉の話に僕はしっかりと付いていけるのか、朝倉の経験に対して(こんな)自分の考えを言う事ができるのかがとても不安で言い出せなかった。

僕は朝倉の家に行ったこともないから、どんな家なのか全然想像できなかった。大きさも、内装も、色も、どんな場所にあるのかも、日当たりの良さも、想像できなかった。それは、なによりも自分の家について、そういった項目で考えた事もないからだった。だから、余計にその場所に朝倉の家がある事に驚きと違和感があった。住み心地の良い家だとは決して言えない僕の家(おんぼろ賃貸アパートの一室)と比べても、環境が悪かった。この場所は田んぼに囲まれて陸の孤島といった形容が相応しい。僕はその地域に理解・納得・共感のいずれかを導くことのできる意味を見出す事ができなかったからこそ何時間も徘徊できたのかもしれない。

朝倉は迷いのない足取りで家まで案内してくれた。京都の街が碁盤のようだとは言うが、ここはまったく違い、まっすぐな道なんてなく、好き勝手に家を建てて、家の建たなかった場所が道になったようだった。道よりも家も方が優先されていた。

彼女の足取りは弾むようだった。夏の入り口の時期、彼女のアキレス健は細く引き締まり、筋肉によって進むと言うよりかは関節をバネのように使い歩く姿はあの頃のままだった。

彼女の家の外見は僕が普段目にしている家とは違った。ここには経済的に恵まれない人間が住んでいる事は僕でも分かったが、朝倉がここに住んでいるのが、やっぱり理解できなかった。これは僕が環境によって人間性が決まるという予断を持ち続けていたからだった。それと同時に、彼女がこの場所に住むことによって、より一層彼女の笑顔が輝くような舞台であった事も認めなければならない。事実、僕は違和感と同時に高揚感を抱いていたのだから。嬉しい時に笑う人間も素晴らしいが、悲しい時に笑う人間のような気高さがあったのだ(これも僕が凝り固まった思考によって生まれた偏見である事も白状する)。

「鉄くんは遊びに来たことなかったよね」「うん」「なんかね、昔の私はこの家に住んでいる事が恥ずかしいと思っていたんだよ」「なんで?」「なんでって、やっぱり汚いし周りは怖い声で溢れているから、ほら、自分が嫌だと感じたら大抵は他の人も嫌だと感じるだろうなって事あったから。けどっ、大学生っていうカテゴリに分類された今になって考えると、別に住んでいる場所を聞かれることもないし、それで人を判断する人ばかりじゃないんだって気づいたんだっ!」「そうだね、朝倉とこの家は離れているのかもしれない」「うん。だからもう、別に恥ずかしくないんだっ!」僕は安心した。彼女は僕の事をそういう人と判断していないということだったから。

 リビングに入ると女の人がいた。彼女は僕らを見ると笑顔で「おかえり」と言った。僕はなぜ初めて訪れた場所で「おかえり」と言われるのか理解できなかったが、嬉しくもあった。僕は訪問者であり、かつそこに居る事が不自然ではなかったのだ。かといって観光名所でもない朝倉の家、僕はそれについて聞こうか迷ったが、朝倉が「ただいまっ」と言い僕の手を握って自分の部屋に案内してくれたから「おじゃ……ただいまです」と言いチラリと彼女の顔を伺った。彼女は微笑んだ。僕は自分が口にした言葉に変な気分にされた(もちろんうまく敬語が使えなかったのもある)。自分の意思でその言葉を選んだわけではなく、コミュニケーションの基礎的な部分(経験によって身体化された反応)を使っただけに過ぎなくて、自分がそうしたいから、その言葉を使ったわけではなかった(しかし違和感が生まれたのは、身体化された反応だけでは成り立たない相手に対して、それを使い反応することによって、敬語がうまく使えないという事になり、だけども意思疎通はできているという感触があったからだろう)。朝倉の手は暖かかくて、けど微細な砂を掌ですり合わせているような質感でもあり(手の皮が厚かった)、妙にドギマギしてしまった。だから、変な気分もすぐになくなって、一体ここで何をするのかが気になり始めていた。(ここで、だから、と使って忘れようとする癖があるのが僕の悪い所だ。そこには朝倉の手によって、そうなったわけではなく、僕が違和感を忘れたいという気持ちが先行していたから、朝倉に対して真摯でない)。朝倉の家には二階がなく、縦長(別に横長でもいいけど)の構造だった(長屋といったほうが早いだろうか?)。僕は朝倉に手を取られながら奥へと通された。床がきしむ音に嬉しくなりながら(家族と共にある家の歴史が挙げる声に大きく心を揺さぶられたといってもいい)、部屋に入ると、その光景に動揺した。実を言うと僕と同い年の女の子が地面いっぱいに玩具(?)(大きな紫色のクマのぬいぐるみや金髪の人形や王子のワッペンとピエロのマスク)を散らかしているのに狼狽えたのだ。ここが子供部屋だと分かるのは学習机が二つあったからだった。そして一番目立っていたのは電子オルガンだった。「朝倉以外に使かっている人いるの?」「いないよ、朝倉しか使ってない」彼女は悪戯っぽく笑った。「言い方を変えるよ、悠貴以外に使っているの?」僕はとても照れ臭かった。それと同時に僕はこの家に感謝した。「うん、妹が使っているの」「今何年生なの」「小学一年生。可愛いんだよ~」僕は朝倉に年の離れた妹が居る事を知らなかった。

六畳の部屋には二段ベッドと机が二個とオルガンが一個、床は畳で窓は一つしかなかった。その窓に向かい合うように朝倉の机があり、そのすぐ隣に同じように机があった(生憎そこに朝日はあたらないが)。「このぬいぐるみとかって朝、悠貴のだったりする?」「うーん、妹のだよ。けど、私もたまに抱いちゃうときがあるけどねっ。なんてね」僕は感情の高ぶりを抑えることに限界を感じていた。素朴さを求める人間が多いからそれは(逆に)自分を演出する一つの装飾として用いられ始めている(自然体でいたいという願望だとか、当然のように自然体を装うから、自然体でいる事がすごい事のように思われがちだが、自然体である事なんて誰が解るんだろう)。僕が知っている朝倉は素朴そのものだったが、今それを隠すように(ああ、他者が求めている属性を恥じ、それを覆い隠すヴェールを顔にまとおうとしている!)小悪魔的な冗談を言うのだから僕は気が狂いそうなほど彼女に惹かれているのを自覚した。僕が彼女について知っていることは独立していなかった。新しい朝倉がいたのだ。僕は僕の知らない朝倉に、抗えない時に流される喜びを擦り付けた(恐怖と投げやりさや無気力感がもたらす恍惚と切り離せない喜び。運命に似ている恍惚)

「あっごめんね片づけないで……。久しぶりで忘れてたっ!」

 朝倉が畳の上に散乱しているモノを自分のベッドの上に一つの塊にして置いた。そうしてから、お茶を持ってくると言い部屋から出て行った。僕は一人きりで、やる事もなく畳の上で取り残された人間の落ち着きのなさを発揮した。部屋を見渡してみるとオルガン以外に個人を浮かび上がらせるものがないのに気付いた。歳の離れた妹がいるなら玩具ぐらい持っているだろうし、二段ベッドも共同部屋ならあり得るし、ポスターもないし、箪笥もないし、かといって殺風景でもない部屋、まるで展示されているような部屋、の中でオルガンだけが頼りだった。逆にオルガンがあるからこそ僕は落ち着かなかったのかもしれない、だって朝倉という個人が居なければ僕は苦しむことはないのだから……(すべてを忘れてしまってもよいと今までの僕は思っていた。疲れてしまったから忘れる事に逃げたんだ。自分の中で自分が平衡感覚を保てていないのが恐ろしかった。負い目に還元できる行為は完結しても一生ついて回る。それは軽く背負えるのに、とても重たいのだからひどく驚き、疲れてしまった)。僕は何度も部屋の中を見回した。モノに触れることはできなかったが、彼女の学習机の足元の奥に小さな本棚があることに気付いた。あぁこれはきっと見られたくないものなんだろうなと思った。僕がここでそれを物色したら彼女は怒るだろうか、朝倉は怒っても可愛いからやってしまおうか悩んだが、僕が目を細めてせめて本のタイトルだけでも知ろうとしていると、襖の奥から「あけて~」と声が聞こえたので、中断せざるを得なかった(こんな防音がなされていない部屋でできる嗜好といえば読書ぐらいなのだろうか)。

 彼女はお盆に急須と小分けに包装された菓子を乗せて足音を立てずに部屋に入ると、どこにそれを置けばいいのか分からないようだった。「畳の上に置く?」「鉄くんはそれでいいの?」「別にいいよ」僕は極端に人の意見を否定するのが苦手(というよりかは拒絶に近い)だし、かといって自分がどうしたいか分からないことが多々ある。畳の上でもいいし、学習机の上でもいいし(椅子は二つあるのだから)、ベッドの上でもいいだろうと思っていた。

朝倉が自分の机の上に御盆を置いた「ねぇ悠貴は今でも楽器やっているの」僕は彼女に願望に近い質問をした。彼女ははにかみながら「少しだけ」と言った。その顔がお菓子を隠している子供みたいで僕は無警戒な親しさの表れとして「弾いてみて」と、つい口に出してしまった。彼女は人前で弾く機会がないのか、それとも単調な練習ばかりしてきたのか分らないが、口では「嫌だよ」と言いながらオルガンの前に座り僕の知らない、けれども、とても美しい調べを奏でた。一つ一つの音が繊細で統率のとれている音楽、硬質な流れが聞こえる。そこには誰もいなかった。ただ空間があって、そこで音が反芻している。

僕がもう一度だけ聴きたいと頼むと朝倉は張り付いた笑顔を見せ「別にいいよ」と言った(頬を強張らせ声は震えていた)。僕は彼女に無理強いをしてしまったことに気づいたが、それでももう一度だけ聴きたかった。音楽は時間と共に僕を現実から流すことのできる魔法の一つだったし、朝倉の音楽は僕をいとも簡単に殻のある世界へと押しやることができて、ただただ落ち着いた(僕は殻を破っても、何年経っても、毛が薄く赤い皮膚のまま目を開けられない雛で、だけども親だとか飼育者だとか友だとか親密な関係を持たずとも生活できてしまえる人間でもあった。金があっても寂しさは消えない、金があっても寂しいなら邪魔だし、見られたくないから隠していた生きる意味をどこに隠しておいたかも忘れてしまう。けどそれを見ないふりしても適応できるなら、大人になれるならどれだけ楽だったろう……。だけども自分で自分の首を絞める苦しさも生きるということなのかもしれない。分からない)。彼女が歌いながら弾いてくれた音楽を聴くとさっきの音楽とは全く違っていて(淡い桃色や深い青色浮かび上がってきて)、それは僕を殻の中へと押しやったり誘ったり手を引いてくれたりしなくて、ただ僕が手を差し出すのを待っているような、僕に何かを期待するような音がしたように感じた(そう、感じただけ! これが僕の妄想だったとしたらとても恥ずかしいし、いったい何を期待しているのかが曖昧で分からないから僕は気づかないふりをしてしまう)。

その音楽によって僕が根深い空虚さを守ろうとしていることに気づかされてしまった(だって、抱えているものが何かわからない状態のほうが現状維持することに対して仕方ないと思えるけど、それが空空漠々たるものでも一つの側面を分かってしまったら他の側面も見つけたくなってしまう。そして解決のほうへと進まなきゃいけない、けど進むのはとても疲れる)。さっきの音楽とは違う、朝倉が出現している音楽は僕に呼吸のやり方を忘れさせた。混乱した僕はただ時間が過ぎるのを待った。朝倉が僕を見ていた。

彼女が演奏を中断したとき、僕はようやく無意識のうちに呼吸ができる状態へと戻った。僕は息ができて安堵した。

朝倉が僕の肩に手をかけて耳元で囁いた。

「大丈夫?」「うん」「すごい苦しそうだったけど……」「いや、なんか急に苦しくなったんだよね」「それってもしかして私のせい?」「わからない」「そっか……」「けど、たぶん朝倉のせいじゃない」「ねぇ、お菓子食べよっか」「そうだね、少し落ち着こう。いや、ここはとても落ち着く場所なんだけどさ」

朝倉が自分のことを悠貴と呼ばせなかったのは、やっぱり僕が確かなものを提示できなかったせいだった。

朝倉は衣擦れ以外の音を立てずに自分の机から畳の上へとお盆を移した。僕の手が届くように盆を置くと向かい合うように座った。他人の顔が自分の正面に来たのは久しぶりで僕はどこに目をやっていいのか戸惑った。ようやく相手の顔を見ようとして顔をあげた。

朝倉の張り付いた笑顔が震えている。

不安がそうさせるのだろうか、相手に自分を見せるのが怖いのだろうか。そして、その不安や怖れという感覚はどこからやってきたのだろうか、僕は分りたくなかった。

僕と朝倉は何を話せばいいのか分からなくなって、互いに目を伏せていた。そうしていると朝倉の妹が帰ってきた。本来はここに居るはずがない僕に対して朝倉の妹は強い警戒心を見せた。僕が「お邪魔してます」と言うと妹は僕から顔を背け(朝倉のほうへ視線を向けて)、ランドセルを放り投げるとどこかへ行ってしまった。廊下を走り抜けていく足音に僕は何故だか悲しくなった(足音を立てないようにする配慮がないのに羨望のような郷愁を感じ取った)。

 その無遠慮で実に子供らしい足音がする方を向いていて、こちらに顔を見せない朝倉に「この後、どうするの?」と聞かれた。僕は良くも悪くも(正しくも間違いでもない)この後数日の予定はなかった。ただ最近は働きすぎて疲れていたし、どこかでゆっくりとするのも悪くないと思い、休みを作っていた(休みは作る物になってしまったみたいだ。もう子供じゃあないんだな)。だけども、「この後」とはいつまでを指すのだろうか。僕は家に帰りたくないから、出来ればここに長く居続けたいと願っていたし、それが邪魔にならないかがも気がかりだった。それとも、この後本当に予定がないのだろうか。僕は『朝倉が伝えたいもの』はもう既に伝え終わっていているのか判断が出来なかったし、分りたくなかった。けれど、もし僕がそれを理解していないとしたら彼女はとても寂しい思いをしてしまう気がして、喉に石が詰まったかのように言葉を出すことが不可能だった。「この後、何もないならウチに泊まっていく? 明日の朝に伝えたいものがあるんだっ」と朝倉は言った後、喉を鳴らしながら麦茶を飲んだ。透明なグラスの底から汗が流れて畳に小さな染みを作った(僕の沈黙に耐えかねた朝倉が、場を保とうとした言葉を投げかけてくれたのだろうか? それなら僕は断るべきなのだろうか)。氷がぶつかる涼しい音がした。僕は夏が、もうすぐ現在になってしまう未来に暗い見通しを感じる。

僕はここで。

「うん、泊まるよ」もう中高生の時に考えていた『どこか遠いところに行く事』さえ億劫(そこに行っても戸惑うだけだろう)で、だけども自分が居る場所にとどまり続けるのにも居心地の悪さがあったため、その中間点として朝倉の家にとどまる事にした。

何もしゃべらない内に五時半のチャイムが聞こえた。朝倉は「ご飯作らなきゃいけないから鉄くんはゆっくりしてて。あっでもでも、変なことはしないでね」「うん」僕はほとんど反射的に了解の意を示したが、いったい何が変なことなのかを聞くべきだった。朝倉が水の音を立てるまでに僕はそのことについて考えて結局何もできずにぼうっとすることしか許されていない気がした。その間僕はずっと朝倉の作る料理を待ち、朝倉が呼んでくれたらリビングにいた女の人と朝倉の妹と朝倉と同じ食卓を囲む。僕は朝倉の部屋で何もすることができないかと言ったら嘘になる。実際に僕は朝倉の机の下にある奇妙な本棚の中身に接近したかったが、それを知ることも恐ろしかった。だけども、僕は(なんとなく)彼女の机の近くへ四つん這いで近づいた。

遠くで蛇口を閉める音がして、僕は背筋を伸ばした。そして、ひたひたと足音が聞こえ、それが近づいて来る。僕は、その場に固まってしまった。

「鉄くん、暇なら夕ご飯作るの手伝う?」手伝ってではなく、手伝うと聞かれた事に、朝倉に気を使わせてしまったと気づいた。「って、何してるの?」僕は正直に「机の奥になんかあって、それが何なのか見たくて」「面白い物じゃないよ」そういって、僕の背中に手を置き、成端な横顔が僕の頭の横に。彼女の息遣いが聞こえた、微かに笑った。墨色の髪の毛が夕暮れ色の届かない僕の隣で揺れた。髪の毛からはみ出た耳は夜空に浮かぶ三日月みたいで触れてみたい。「何があるの?」聞いた。「何もないよ、大切なものしかない」寂しそうに笑った。「僕は見ちゃいけないもの?」「うん。大切なものなのに誰にも見られたくない弱点でもあるの。だから、きっと何もない」

「ねぇ、じゃあ、引き出しを開けていい?」「一番上のならいいよ」それには鍵がかかっていた。「あかないよ」「うん」「なんで?」「鍵がかかっているから。それで鍵を失くしちゃったから」「そっか。中に何が入っているの?」「カロリーメイト」少し笑ってしまった。「なんで?」「私たちが中学一年の時に地震があったでしょ。こっちでも揺れたけど、家が崩壊してしまうほどのものじゃなかったけど、やっぱり怖くて、非常食として入れといたんだ」「けど、鍵を失くしてしまったら開かないじゃん」「そうなんだよね、ふふっ」「おかしいね。他に何か入れてなかったの?」「他に入れていたものは忘れちゃった。写真とかは入れていた気がする」「セピア色になってるのかな」「どうだろうね」「あぁ、そうだ、ご飯作るの手伝うよ」

 僕は朝倉の背中を追って台所に向かい合うと、途端に自分がここに居る理由を求め始めてしまい、手持無沙汰さと指示をもらわなければ何も動けない自身の食事に対するこれまでの興味の無さを呪った。朝倉は僕が隣に居ればそれでいいと考えているようで、時々僕の方をチラリと見、目だけではにかむ。僕が何か仕事をもらえないかと尋ねれば尋ねるほど、彼女は強情に無言の断りの笑みを浮かべるため、僕は躾けられた犬のように朝倉の毛穴がないと思われるほどなめらかな手の甲と、使い込まれ自然と厚くなった掌を見つめては、「よし!」の声がかかるまで自身の存在を消すことに努めた。僕はこれまで朝倉の手、細く美しくしかし弾力持っている優しい手、触れれば心地が良くて人間のものかどうかも疑ってしまうような手の甲、彼女の献身や素朴さや責任を感じさせる母のような掌、それらをまじまじと観察したことがなかった。朝倉は身長が高いと悩んでいた時期があったし、もしかしたら今も悩んでいるかもしれないが、手は小さく、それらは暖かさを感じさせる。手から肘へと視線を上昇させると、そこには多くの掻き傷があった。僕は突然後頭部を殴られたかのように、強く激しい怒りや瞬間的な虚無が身にまとわりつき、それらが頭部に集中し僕を自然と俯く格好を取らせ、その使命感に似た怒りと虚無が渦を巻いてひどく重たい頭部から胸、下へと降りていった。

「鉄くん、ちょっとこれ洗っといてくれない?」

「うん」僕の手と朝倉の手が触れ合った。彼女の血の通った手が僕の熱さえも吸収するように、皮膚の内側にこびりついていた感情が浄化された、つまり僕は役割を得たのだ。ここにいる理由を与えられることは、存在を安定させる。僕は手渡されたまな板を洗いながら、後ろで動く朝倉の足音と皿と皿が擦れる音が聞いた。もう既に夕食は出来上がっているのだろう。僕は洗い終わったまな板をシンクの横にある金網に並べ、コンロにある茶色い油がこびりついたフライパンを水に潜らせ、蒸発する音を楽しみ、この家にはテレビがないのに不意に気付いた。その後、僕は皿に盛りつけられた料理を運ぶのを手伝ったが、誰が何処に座っているのか知らないから、おかずだけ運ぶことにした。そうして、朝倉が「食べよっ」と言い、僕はそれに従った。だけども僕は何処に座ればいいのか分らなかった。椅子が五つあって、三人はもう席に着いていて、僕だけが食卓から弾き出されて、ぼうぅっと突っ立っていた。また朝倉が無言で微笑んで、掌を見せた。僕はそこに座った。

 僕は飯を食べるのが嫌だ。というよりかは、飯を食べる喜びが喪失している。俗にいう美味しそうなご飯というやつが分からなくて、自分が何を食べたいのか分からなくなっていた。そのため、栄養バランスがいいだとか早く食べれるからだとか咀嚼音が少ないから値段が高くないからなどの理由から食事を選んできたけども、朝倉家の食卓はご飯を食べるのに疲労が生まれなかった。美味しそうなご飯を食べるのは、食べてから美味しいと感じるのであって、それが生まれそうな食事を知らなければならないが、僕はそれがなかったし、むしろ自分で選んだご飯を食べてもただエネルギーの補給としか考えたくなかった。

一人でご飯を食べていても咀嚼音がして神経に障る。だから、朝倉家で夕食を取るという話になった時には、多くの咀嚼音に耐え抜く覚悟をしていたが、僕はそんなことを気にしなくても良かった。僕は、単に朝倉の食べるシーンを見ているだけで幸であることに気付いてしまったのだ。彼女が口を開きトマトを迎いれる、彼女がそれを白い歯にぶつけ舌の上に運び、顎を動かす動作、それによって生まれる咀嚼音を聞き逃すことは出来ない。

とても質素な夕食だった。もやしと肉を炒めただけのおかずとご飯と味噌汁。僕なら絶対に選べない夕食、しかし合理的な基準を取り払ったのなら毎日同じような夕食を作るだろうとも思った。お世辞にも良い夕食だとは言えないが、僕はただ黙って頷きながらご飯を食べた。朝倉もその妹も女の人も喋らなかった。会話のない食事は咀嚼音がよく響いて、箸と皿がぶつかる軽快な音や、机とコップがぶつかる固い音も目立っていた。僕は、このまま死ねたらとても良いように思えてならなかった。

ご飯を食べ終わったら風呂に入った。三番風呂だった。朝倉と妹が一番に入り(汗ばんだ妹が、一番が良いと駄々をこねたため)二番目に女の人が入って(僕は風呂に入る順番なんてどうでもよかったし、気を使われていない事に安心している節もあった)最後に僕が入った。僕は湯船に浸かるのが久しぶりで足を延ばせなくとも、心地よかった。

寝る場所は、リビング(といっても畳)で敷布団と掛け布団一枚だけ与えられ、ゆっくりと明日の事を考えずにまどろんでいた。僕は早すぎる就寝時間に戸惑いながらも、安心して寝る事ができる環境に居られたことに感謝した。自分の家なら、明日の事を考えて目がさえるが、少しずつ意識が宙に浮いて、身体は力が抜けきり意識されないモノへと変わる。うとうととしながら、このまま眠ってしまうのはもったいない気がして、着地地点の存在しない思考を繰り広げながら、眠りに近づいていった。風鈴の音、風が稲を揺らすさざなみのような音、カエルの声が幾重にも重なって聞こえる事にこそばゆい楽しさを感じながら……。

もうほとんど目を開くことも面倒になってきた時、朝倉が僕の枕元にやってきた。「寝てる?」と囁き「寝てるよ」と囁き返した。「じゃあ、これは独り言になっちゃうね。けどいいかな」「zzz」「あのね、隣で寝ていい?」「だめ」童貞!「妹が鉄くんと一緒に寝たいって言うんだよね。男の人がこの家に泊まるのってすごい久しぶりなんだっ。しかも怖い人じゃない、私の友達っていう優しい人が」僕は既に失いつつある外への関心により、朝倉の顔を見る事もせずただ曖昧に頷いた。「ありがとっ」僕の頷きを相槌の意味ではなく了解の意味で捉えた朝倉は自分の布団と妹を連れてきた。僕は布団が敷かれる際の微かな風を顔の側面に受けながら眠りに滑り込んだ。

 

朝は鶏の変わりに降り注ぐモノによって僕はたたき起こされた。空が白みだす前、藍色の世界で呻き声は徐々に大きくなり、その数は次第に増えていった。他人の剥き出しの感情の乗っていない空気、太陽が昇り切り蝉の声が太陽と混ざり合う前に、その奇声は雲のように空に集まり(まるで空から落ちてくるものが水滴などではなく呻きになってしまったかのように)重く降り注いて僕に朝を知らせてくれた。僕は薄く開いた眼で窓の外を見た。明るくなりつつある世界で、まだ存在感のある月の下に朱色の薄く横に伸びた雲が何本もの線になって並んでいた。僕は不思議に思った、一体なんでここには奇声が上がるのか、呻き声が上がるのか、そして何故、なぜ朝倉がここに居るのか。なぜ寝ている時の無垢な表情のまま生きる事が出来ないのか、朝倉を見ながら僕は、僕に対しても憤りを感じた。他者ばかりの人生から滑り落ちて、あるいは自分さえも受け入れられなくて他人のみを求める生き方をせざるを得ない、あるいは求めているのでは、社会の中で生きている自己さえも他人事のようになってしまう事に気付いている上で動かずにいる僕に対して、他者未満の他者に囲まれようとしいる僕に対して、まるで自分が砂漠の中に居るように思い込もうとしている僕に対して、明らかに苛立ち、そして気づかないふりばかりし、上辺ばかりの反省をし、内省をせずに他人を他者にしようとしていない事への憤慨だ。僕は朝倉を、彼女を見る事を通して僕を知ろうとする道具的な役割を持つ他者にしたくない。それと同時に他人にしたくない、相対的な人付き合いという軸のないやり取り、多様性という言葉によって片づけてしまうような理解を拒む関係性、嫌われるかもしれないという恐れと自分の価値を認めてもらえない可能性に対する無力さへの諦めを内包している他人との関係性にはしたくなかった(それは単に僕と朝倉は過去を共有しているからだけではなく……)。

僕は朝倉の顔を盗み見ていた。理想と虚構と現実を収斂する朝倉という存在が、どうして死んだ人間のように僕に対して柔らかな印象を抱かせるのだろうか。

「あの、お名前はなんていうのですか」

僕の隣で寝ていた朝倉の妹が呻きの中で凛とした声を発した。

「僕の名前? お姉さんから聞いてないの?」「うん」「そっか、鉄若人だよ」「くろがねわかと?」「そう」「お姉ちゃんは、てつくんって呼んでいたけど」「それは、お姉さんが付けたあだ名みたいなものだよ」「じゃあ、あたしは何て呼べばいいの?」「そうだな、僕にも解らない。好きなように呼んで」「好きなようにって言われても分からない……」「僕にも分からないよ、お姉ちゃんと同じように呼んでくれてもいいよ」「だって、それはお姉ちゃんが付けたものだから、あたしは同じように呼べないよ」「そしたら鉄さんとか若人さんでいいんじゃない」「それも嫌」「なんで?」「わからない」「そっか。そしたら仕方ないのかもしれないね」

 

2 

 

僕は朝倉に連れられて礼拝をおこなう施設へ向かった。曲がりくねった道を進み、この場所は思いのほか小さいのを理解した。朝倉は、この土地が施設を中心に置かれている事、この土地は上空から見ると面白い事を教えてくれた。呻き声は聞こえたが田園に流れる水の音や遠くから聞こえる車の音によって、相対的に気にならなくなっていた。

礼拝には朝倉と妹と女の人(きっと朝倉の母親だと思う)と僕の四人で向かった。家を出る時に鍵を掛けず、それどころか玄関の扉にサンダルを挟んで、まるで誰かに入ってきて欲しいかのように、中途半端に開けているのを僕が疑問に思い尋ねると朝倉は「これね、礼拝に行くときには鍵を掛けちゃいけないし扉は出来る限りひらきっぱなしにしておかないとダメなんだ。来るもの拒まずの精神なのっ」(多分、土足で入ることはカンジョウに入れられていないんだろう)

僕は他人の家(朝倉は教会だと言っていた)に(自分を男らしい物だと感じさせる作用を期待して)朝倉より先を歩き、ドアノブに手を掛けた。すると朝倉は鋭い声で(聞いたことのない、まるで常識を持たない人間に対して常識を教えるような冷たい声で)僕に教会に入る前には必ず唇を解きだし空気にキスするような仕草を取らなければならないことを教えてくれた(ここではそれが常識なんだ)。僕が「知らなかったゴメン」と言うと朝倉は笑顔を取り戻し独り言のように「そうだよね」と言った。

ふすまをぶち抜いた座敷でさえ狭いと感じさせるほどの人数が鎮座していた。僕らは遅れてきたようだ。これだけ人間が居て誰も喋らないなんて、奇妙に感じられる。だけど、そのおかげで僕は疎外感を抱く事はなく、ここに居る誰もが皆、人間味ある個人ではなく数としての人間を演じているように思えたのも確かだった。多分、数になる自由を行使したに過ぎないのだろう。そう思えたのはきっと、みんな同じ服を着ていたからで、簡単に記述するのなら白装束。クーラーも付いていないため、人の息が酷く近くに感じられて僕は顔をしかめた。朝倉はそういう初心者の僕への気遣いとして、一番外気に触れる機会が多くなるように遅れてきたのかもしれない。窓は開いていたが、そもそも外が暑いせいで意味を持っているかどうかも怪しい。部屋の三分の一は空白、残りは人間だらけ、空白にはオルガンがあった。

汗で肌に薄い膜が生まれた時頃に、足を引きずりながら前に向かう女が現れた。その顔には焦燥感から生まれるある種の健全な必死さが刻まれている。左足だけが血の通っていない無機物のように、重電の切れたスマートフォンのように、機能を失い、彼女は自身の中にある他者に見られることによって焚かれる羞恥の炎に身を焼かれつつも、どうにもならないことを理解しており、それでも空虚さを越えるために、こうして僕らの前に姿を現したのだ、と僕は勝手にお似合いな解釈をした。

多分彼女は上手く生きる事の出来ない人、ここに居る人の光のようなものなのだろう。すくなくとも障害を持たない僕にとってはそう思えた。

「私は問いました。なぜ? と」

僕は耳を傾けるかどうか迷った。正直なところ、未だに僕は、この土地、この場、を信頼できていなかった、安全が簡単に崩れてしまうこともあり得る限りは、穏便に済まさなければならい。もし、朝倉が隣に居なかったのならば、話を聞くだけ馬鹿らしいと思ったに違いない。

「なぜ人類は繁栄したのか! それは外部のモノが存在したからであります。つまりは道具、道具なのです。外部のモノを内部のモノによって孵化させるのです。世界は卵です。私たちがそれを暖め、孵化させなければなりません。そこから生まれるのが青い鳥でも、自分の尻尾に噛みついて離さない蛇であっても。義務であり、伝統です。しかし、しかしです、私たちの内部に暖かさが残っていない場合には、それは誕生しません。暖かさが内部に存在している事は誰にも確かめられませんが、勇気をもって信じましょう。誰かが言いました。人間に一番似ているのは人間であると。ですが人類は今それを失いかけています。内部に風が吹きはじめています。そこで、我々、ニイテンゴ教は、このスクラップ&ビルドを繰り返し、全てが代替可能になりえている世界で、個人に帰属する責任に耐えきれない人々が持つ不安などを取り除くべく、共生を創めました。実現するために責任を皆で背負おうというわけです。これまでの営みや経験によって培われた方法を一度捨てて、第三の在り方、それが平面になること、を一つの制約とし幸福を追求するのです。人は制約や限界がなければ生きれません、偏見がない世界や自殺のない社会は異常であります。まさに今、偏見をなくそうと活動している人間が大きな偏見を孕んでいます、しかしそれは正しいのです」

僕は、彼女が唾を飛ばしながら、彼女自身が彼女の発した言葉に鼓舞され興奮し、段々と赤茶色になる顔、こめかみに稲妻のような血管が浮かんでいるのを認めた。しかし、話の内容はさっぱりだった。僕にしてみれば支離滅裂だし、明確な根拠もない。個々人の思想とはそういうものなのだろうか、多分話の内容が世界と結びついているせいだろう、きっと酔っているのだろう。なんにせよ、自殺する前に行われる自身を鼓舞する正当化への手続き・口状みたいなものにすぎない。

「皆不安で、不安に対して頭で考えているのです。皆さんも自身の頭と身体が分離してしまったと感じる瞬間があったでしょう? 私たちは、それを受け入れ、それでも前進したいという人々の助けとなるような教えを説かれたニイテンゴジ様を信じています。自分をコントロールできる人間もおりますが、それが出来ない人もいます、あるいは中途半端な者も。人はそれぞれであります。十人十色なのです、現在においては一人十色になりつつあり、その分裂は避けられません。それでもニイテンゴジ様は傾聴してくださいます。自身の不甲斐なさを認め、私たちに助けを与えてくれます。苦しくはなく、ただ耐え難いと感じている我々を見守っていらっしゃいます。間違いを犯したのなら声を掛け、正しい行いをしたら微笑み頷いてくださいます。(失敗を失敗として意識させないことが挙げられる)信じたいことを信じる事は可能ですが、信じたいことを信じる怖さを私たちは知っています。では、人が信じているモノを信じれますか? ええ信じられますとも。もし裏切られたとしても原因はあなたにはなく、相手が信じていたせいです。不安という濁流に流され、しかし、その中でも希望や夢、そういったモノを見出すことができるのです。他人から見られる事、恐れてはいけません。それはあなたが背景から他人にレベルアップしたからです。次に、あなたたちは名の付いたモノとして認知され、名前のある他人として認められるのです。そのステップを踏まずに生きる事が出来るのが新しい人間であり、それを踏んで生きる事しかできないのは古い人間です。では私たちは? 私たちは中途半端です、どちらに対してもある程度の理解を示します。これが私たちを苦しめる気怠さの正体であり、受け止めなければならないことです。皆で受け止めましょう、受け入れましょう。各々が背負いきれないならば集団で背負いましょう。そして共に歩みましょう!」

僕は昨日の夜、安心して就寝し、深い眠りを堪能したと思っていたのだが、どうやらまだ物足りなかったみたいだ。目を瞑り深く胸に刻んでいるかのように眉間にしわを寄せ(眠らないようにするには、どこかに力を入れるのが有効的だと思う)耐え抜いた。欠伸を噛み殺し(一応)耳に音は入ってきたけど、結局何が言いたいのか分からず、あとで朝倉に聞こうと思った。

朝倉は意味不明な言葉に対して涙を浮かべ、僕を戸惑わせた。僕は眠たすぎて涙を浮かべたのだが、どうやら朝倉は違う経路から涙を手に入れたらしい。妹は寝ていた、女の人は微笑んでいた、ところで、これが朝倉の伝えたかったモノなのだろうか?

一通り奇妙な演説が終わると、朝倉が前に出ていき、オルガンの前に座る。そして、昨日聞かせてくれたような繊細で硬質な音楽ではなく、強弱のない連続する音を始めた。それに合わせて周りの人間が合掌しながら合唱し始める。僕はいよいよ、吐き気を催すほどに蒸しかえった部屋で、から寒さを感じた。良かったところは、あまりにも奇妙すぎて、僕の常識の残滓が疎外感ではなく、優越感をもたらしたところだろう。ここでの常識と、僕の四半世紀ほどの人生の中で知らぬ間に積み上げてきた、かろうじて他人と共有されている偏見が、互いに浸透し合う事はなく、僕に優越感をもたらしたに過ぎない。

僕も一応メロディーをそれっぽく口ずさんでみたが、上手く合わせる事が出来なかった。そうしてから気づく。朝倉との関係をこれからも続けていきたいと願っている僕にとっては、ここでの常識を偏見にさらさずにフラットな視点で見なければならないのでは、ここでの常識を理解することが大切なのではないかと。そして、僕は出来る限りメロディーを合わせる努力をしつつ、その歌詞も同時に理解しようとした。が、統一(共有)された歌詞なんてものは無く、それぞれが言葉と音の間のメロディーを繰り広げていた。しかも、そのメロディーは歌うために調整された音程ではなく、独り言のような音程であり、静かな笑い声よりもずっと低く呻きのよう……読経のようだと言ったら敬意が足りないかな? まぁとにかく、なにもかもが追求されている訳ではなかったという事だ。

その後、朝倉は不具(差別用語になっているらしい)の女と二言交わして僕らの下に戻って来、妹と女の人に家に帰るよう伝えた。その後、僕に着いて来るようにと、眠たそうに言った。合唱が終わった部屋でも呻き声は健在だ、むしろ金属ドリルが歯を削る時に発する音に似た蝉の声と混ざり合い不快だった。僕は朝倉にお粗末な演奏の原因を期待して「寝れなかったの?」と聞いた、「妹が中々寝ようとしなかったから、少しだけ寝不足」と答えてから、彼女は欠伸をした(彼女は僕と同じく退屈さから涙を輸入したのだろうか?)。

朝倉と僕は他の人間と一緒に他人の家(教会)から三件隣の建造物に向かった。呻き声が耳にまとわりついて来、その建造物に近づけば近づくほど、呻き声は僕の身体を膜のように覆いかぶさる。自分が把握する輪郭をぼやけさせる呻き声による薄い膜は、僕がいくら肌を擦って亀裂を生じさせようとしても、僕の内部がその膜を分泌しているかのように自己治癒する。おそらく唇を開き言葉を発すれば、シャボン玉のように宙に浮き、音もなく破裂するのだろう。僕は、その建造物がアパートと同じ様式であることを認め、やがて自分の住んでいる家も同じような構造をしている事に気付いた。少し錆びた階段と、焦げ茶色の外壁、確かにこんな家には泥棒なんかは侵入してこない。もっと言うなら、こんな家に住む人間は家に盗まれてもいいもの(金だとか、他人が盗もうと思えるほど生活水準が高いもの)は置くことは本来的に不可能と言っても過言ではないだろう。道中というほどの長さを持たない建造物までの舗装されていない道、人間が通る事で生まれる轍に近い道、の途中で朝倉が思い出したように「これから伝えたいモノがあるところに行くんだよ……逃げないよね?」と消え入りそうな声で問いかけた、言葉は、いくら嫌悪しかけてしまうほどの自己憐憫に彩られていたとしても、僕に大きな拘束を与えた。期待が表層に建造されるほど大きいならば、それを裏切る喜びは快楽に似ているが、表層に浮かばずに水面に隠された期待には、不干渉に向かうエネルギーを内包している。

アパートに似た建造物の前で信者同士が集まり、チリジリに部屋に向かった。朝倉を追い一室に入った。部屋の中央で呻き声が背中を丸め座っている。僕は現実味のない体験したことのない景色を見、目を疑い、一度落ち着くために処理しきれない視界から逃げるように、くるりと背を向け屈んで靴を揃えながら大きく息を吐いた。だが、僕は納得してもいたのだ。部屋は六畳ほどで、呻き声の匂い、汗でも不潔だからというものではなく本来の体臭を消すわけではなくより強い匂いで蓋をしてしまうような人工的な甘ったるい匂い、鼻から侵入して目頭あたりに痛みをもたらす匂い、カーテンが閉められ窓の存在が隠された部屋が納得させた。

「お兄ちゃん、鉄くんだよっ。覚えてる?」「おぉおぃぼえてぃる」そうだ、この声がそうなのだ。舌がまったく動かない喋り方と低くくぐもった声……。「鉄くんっ、私のお兄ちゃんだよ」僕は確かに朝倉の兄とは面識があったのだが、本当に彼が兄なのか判断できない。僕はまだ彼に接近していないからという理由が通じないほどに、明確に判断できない。   

朝倉の兄は僕と朝倉が小学生の時には大学生だった。直接的にかかわる機会は少なかったが、顔を合わせるたびに気さくに声を掛けてくれたのを覚えている。僕は小学生になってから母親に虐待とまではいかない暴力(僕はそれを愛情の鞭として解釈していないし、変える事の出来ない母からの暴力という事実にしている)を受けていたし、そのせいもあってか朝倉家への痛みを伴う羨望を抱いていた。血に対しての伝統的な考え方を醸成しはじめる年齢で、既にいっそのこと血を入れ替えてしまいたいと願っていたといってもいいだろう。それとも身内の中に朝倉の兄のように気にかけてくれる存在を欲していたのだろうか?

僕は絵画でも見たことのない顔、子供でも描けない顔、どれだけ面白い顔に出来るかを目的とした福笑いのような顔、に変わってしまった朝倉の兄に憐憫や同情が湧くよりも早く、嫌悪や恐怖を感じ、自分自身を侮蔑した。僕は自分の顏を仮面であるかのように強く意識しながら「覚えているよ、お兄さんは元気そうだね」と下手に気を遣い、皮肉にも受け取られそうな言葉を朝倉に発したのだが、彼女の兄が「そぉでもなぃいよ」と内側に丸まった手を畳に叩きつけながら言い、僕を敬語が使えない人間へと追いやった。

朝倉は、自身の内面を他人へと切り替えるためにか強く短く息をフッと吐き、「じゃあ始めるね」と言った。

「ぁああぁ」

僕は昨日と同じように手持ち無沙汰になったが、ここに居る意味という点では明確に、ここに朝倉の伝えたいモノがあると理解していたため、ただそれに耳を傾ければ良いのである。自らの不安定さを露呈しなくて済む、と少しばかり安心した。

遠くから救急車の音がする。一度も乗ったことがないのに存在を信頼している救急車のサイレンが聞こえるのは、窓が開いているからなのだろうか。風が吹けば人の声は聞き取りづらくなるが、この部屋が陽の光を浴びることは確かだ。

僕の手に風呂桶とタオルが手渡され、お湯を汲むことと蒸しタオルを作るように頼まれた。僕はつばの浅いカンカン帽のような桶でお湯を汲んだ。のちに薄手のタオルを濡らして電子レンジで二分ほど暖めた。

それらを兄の隣で膝を揃え座り、普段よりも声を高くして雑談をしている朝倉の隣に置いた。朝倉はそれに気づくと、微かに鼻で笑ってから、兄のズボンを下ろした。

僕は目の前で行われる極めて親密であることを確かめ合う行為(肉親で行われるべきではないこと)から遠ざかるために、空想をした。そう気を紛らわせなければ耐えることのできない安心の攻撃がやってくるためであり(安心の攻撃とは、その状況において疎外されていない状態が心的に苦痛に感じることである。僕には安心が信頼の土台の上に成り立つものではなく、疎外されていないことを確信することによって起こる自己治癒の一つのように思えてならない)、その行為に対して積極的な意味づけを行うことが不可能であるのを認めているからだった。空想と想像は違う、空想において論理や根拠や推測や予測は必要がない。僕の空想は右腕の手が左手の形状を持ちはじめるところから始まり、友達という概念によって歪められた交友関係に苦しむ(友達であるなら好きであるべきだという固定化された考えを変えられずにいる愛しき)高校生に、僕の右腕にある(左手の形状をした)右手と、左腕にある(右手の形状をした)左手を見せて反応を楽しむことを通じて、最終的にはその高校生たちに殴り殺されるといったものだった。空想の結末がそうなってしまったのは、呻き声が聞こえるからだと思える。ただ事実にすることはできない。信じることも。

やはり僕には空想の才能はなく、いくら気にしないようにしても、それを意識してしまい、つまるところ完璧な空想とはいかないようだ。僕は朝倉が手袋というファクターなしに隆起した兄のアレを上下に動かし時折左右のうねりを加える動作そのものに嫌悪感を抱く。この行為に意味があるのだろうか。僕は思う、もしアパートに似た建築物の前に集まっていた女たちが等しくに手淫を行っていたとしたら彼女は共同の鎖によって、幾分かの酸素のみを分け与えられた宇宙飛行士のように、自然と孤独のうちへと追いやられ、それに対抗する手段として自ら使命を背負おうとしているのではないだろうかと。(現段階ではディスコミュニケーションを引き起こすために鉄にこう思わせているが、かれの推測は微かに外れている。実際は朝倉にとって、兄の生/性処理は贖罪の意味が強く、最終的には自己処罰へと収束する)

朝倉の兄の呻きが地響きのように僕の土台を揺らがせる。脳内で発生しているかのような呻き、逃避の空想さえも上手くできない僕、こびりついた笑顔と曖昧な意思を持っている朝倉がある、にべもない部屋でカーテンが大きく膨らんだ。昼のギラギラと照り付ける陽が呻き声の顔を照らし、彼のだらしなく喘ぎを上げる口から垂れている唾液がそれを反射している。他人のため息のように湿った気怠い熱気を含んだ風が僕の顔を撫でた。「お兄ちゃん、そろそろ出そう?」「あぁぁぁん」朝倉は絞り出すような声で細く「分からないよ」と言ったが、快楽の落とし穴に自ら入り込み脱出しようとしない彼の耳には届かないようだった。部屋にもたらされる陽の揺らめきが彼の目を細めさせ、やがて抵抗することが面倒になり、彼は目を瞑る。朝倉の腕にある切り傷のような彼の目から輪郭を持つ透明な液体が流れ耳の穴へと入り込んだ。朝倉の兄は足の指を強く握りしめ、全身の筋肉がつったかのように一本の線へと変貌し、腹の底から快楽の混じった叫びを発した。

それは虹のような柔らかな曲線を描き畳の上に舞い降りた。鞭のように、あるいは蛇のようにうねった白濁液は次第に畳の中へ浸透していくだろう。精液だけを見ていると、それが一体誰のものなのかが分からなかった。僕は朝倉の行為に対しては嫌悪感を抱くが、彼女の兄に対して嫌悪感を抱いていない。ただ彼の発する呻き声が僕を激しくゆすぶるのだ。言葉にすることができない中途半端な音は僕に応対の要求をしてくることはない。

もしかして僕は、朝倉の兄になりたいのだろうか。自分自身に対する疑いを抱けば抱くほどに僕は興奮した。なぜか興奮した。

「おわったね」

朝倉が精液を拭き取りながら僕にそう言った。その言葉は僕ではなく彼女の兄に向けられるべきものだろう。僕は彼女がこの行動に僕を組み込もうとし始めていると感じた。今のうちにこの集団に属するかどうかの判断をしなければ知らず知らずのうちにそれに組み込まれてしまうだろう。それはだきるだけ早い方が良い。だが、僕には判断できない。ジレンマがあるのだ。朝倉に接近することを目的にニイテンゴジ教を信じることに対して自らに疑念を感じている。態度の問題であり、それが物事の成功に大きくかかわっているのだ。信頼を得る事は出来ても、必ず何処かでエゴが生まれ朝倉以外の信者への裏切りが成されるだろう。しかし、僕は何かをする時に、終わりを意識せずにはいられない。それがこの宗教に組み込まれた後に続くと思われる不思議な思い入れが何か特別なものになるのかもしれないと思うのだ。それが終わりを意識する人格を改造して、新しい人間として生まれ変わる事ができる気がする。朝倉の兄は終わりを意識しているのだろうか。朝倉は終わりを意識しているのだろうか。全くそのようには思われなかったせいもあるだろう。

ここには未来はなくて希望だけがあって、僕は死にたいという感情に別れを告げる事ができるだろうか。分からないが、体験入学をしてみようと思った。

 

駅前にある煙草屋、コンビニ、パン屋、ケンタッキー、とんかつさぼてん、コージコーナー、その前を通ると冷風が足首をなぞる。日曜日の真昼間、サッカーボールを持った子供たちがバスに乗り、ジジババは広がって杖を突きながら熱さを跳ね返すように大きな声で喋る。クールZを背負った女子高校生がイヤフォンを付けて歩いている。アシックスタイガーを履きアメリカンイーグルのシャツを着た父親と花柄のワンピースを着て白い麦わら帽子を被った母親の間に蛍光色で胸に仮面ライダーがプリントされたシャツを着た子供が二人を繋ぎ止めている。コンビニのビニール袋を持ったチェックシャツの男がスマホと睨めっこしている。快活な笑い声を立てていそうな老人がサニー・デイサービスの車内にいる。車内なのに帽子を付けている。駅に近くで張り付いた笑顔を持ち、汗をワイシャツににじませた化粧の濃くハキハキ喋る女の人が話しかけてきた(確か、この駅は豆腐大学の最寄り駅だったから、そのせいだ)。彼女は僕を見るなり、脇に抱えたトートバッグを胸の前に持って来、僕に職業を聞いた、なんとなく大学生と嘘をついた(答えなくても良かったが目を合わせてしまったから、なぜが無視できなかった。ポケモンとかでも目があったらバトルするし、きっとそういうもんなんだろう)。学年は? と聞かれて二年生だと嘘をついた。ちょっとしたアンケートを求められた。僕が書いている間、彼女は自分が何を意図して声を掛けたかを聞いてもいないのに口にしていた。僕はアンケートに朝倉若人と書き、東京大学と書き、経済学部と書き、二年と書く。すると嘘だったものの解像度が上がり、自分がそういう人間のような気がして来た。僕は東京大学経済学部二年の朝倉若人なのだろう、きっと。将来どうなりたいのかの項目は、もっと熱くなりたいとか自信を持ちたいとか曖昧なものばっかりで現状維持という選択肢はなく、僕はなんとなく熱くなりたいに丸を付ける。すると、僕は熱くなりたいのだと思った、今何をしているかの項目には就活の準備だとかインターンに参加するだとか自分磨きだとか選択肢があって、自分磨きに丸を付ける。僕は今、自分を磨いているのだと思った、この無駄に過ごしてきたと思っていた時間が全部自分磨きの一環のように思えた。最後にラーメン店の割引クーポンの点いたチラシをもらった、食べる事はないのに受け取った、受け取らなきゃいけないような気がした。ちなみに連絡先のところはドミノピザの電話窓口を書いておいた、ばれないように手を番号の上に置いて彼女に手渡し、急いでいるのでと嘘をついて、改札へと向かった。

駅の改札口に枯れ始めている笹がある。色とりどりの願いが結んである。二、三個の願いは灰色のタイルの上に落ちている。短冊の多さにぎょっとした、こんなにも何かを願っている人が多いのかと置いて行かれた気がした、きっと誰も笹が枯れ始めている事を気にしていない、自分の願いを結ぶモノとしか見ていない、なんだか悲しい。葉がくすんだレモン色。幹は墨色で、朝倉の髪と同じ色だった。髪の毛が風になびかれて一本一本が光り輝いている学校指定のジャージを着た女子高校生が駅のホームでうんこ座りをしながらたべっている。電車を待っていると修学旅行生を乗せた特急電車が通り過ぎた。僕は窓から手を振るお調子者に手を振り返すと、べたつかない暖かさを取り戻した。近くで親子が電車の写真を撮っていた。車内は冷房が入っていて心地よくまどろんだ。

僕が再び、この地にやってきて朝倉にハッキリと、ここに住みたいと言った時、彼女は明らかな動揺を見せた。あからさまに、それが全て僕の意思だと僕に思い込ませるような、芝居にしては下手糞すぎるリアルさから彼女が本気で僕を心配してくれていると感じた。彼女はきっと僕の言葉が「助けてください」と似た響きを得ている事を知っていたのだ。何度も「本当にいいの?」と僕に聞き返す姿を見て、僕は彼女を抱きしめたい想いに駆られた。彼女は苦笑いをしてから、僕の手を引いた。もう僕には他に行きたいと思える場所はないのだ。意思は数多くの選択肢の前では生まれることはできない。決めたとしても相当な覚悟がないと、意思は引き裂かれてしまうのだ。

 また教会に戻った。そこで演説をしていた女の人に朝倉が僕を紹介してくれた。女の人は僕を一瞥し奥へと引っ込み、杖を持って戻ってきた。満面の笑みで僕にこう言った。「ニイテンゴジ様は貴方を認めるとおっしゃいました。あなたには覚悟がありますか?」僕は陽の光に照らされた銀色の杖に対して意図が見えなかった。「覚悟? わかりません。あるかないかなんて」「それでは駄目です。分からないは悪です。良いですか? 現代社会では分からないは無用なのです、意味が分からなくても分からなければならないのです。無用は悪です。しかし、貴方はニイテンゴジ様に認められました。ですので、これもまた茶番ではありますが、儀式的要素を排することはできません。期待してますよ」そう言って、女の人は笑いながら持っていた杖を持ち上げて僕の頭を狙った。僕はアルミで出来た杖を抵抗することなく頭で受け止めた。女の人の前でうずくまり両手で頭を覆い、呻き声をあげた。次に肩甲骨の間に打撃の感触が起こった。僕は咳き込んで呼吸が上手く出来なくなった。脇腹も同じく叩かれた。だがそれは僕が幼少期に受けた親からの暴力に比べれば、ただ痛いだけだった。頭部にまた一撃が加えられると、僕の手に暖かい血が流れてきた。しかし、変な話だが僕は落ち着いたのだ。この意味の分からない行為によってより強く印象付けられる非現実な集団の姿が、次第に明確に現実だと理解されてきたのだ。朝倉は今の僕を見てどんな顔をしているだろうか。気になって首をひねり彼女の居た場所を見ると、彼女は微笑んでいた。僕はその顔を見た瞬間に叫びをあげた。喜びの雄たけびを。そして後頭部を凹凸のできた杖で叩かれても、僕は笑みを崩すことはなかった。僕は生まれ直したのだ。「笑いながら泣くことができますか?」「できます」「絶望しても諦める事をしませんか?」「大丈夫です」おそらく最も力を籠めた一撃が腰に降りてきた。「大丈夫じゃなくて、なんて言えばいいんですか!」「諦めません!」僕への打撃は止んだ。夢を見ているようにうっとりとした瞳と薄い笑顔で僕を見た女の人は涙を流し、ぐずついた声で「共に生きましょう。貴方は背負ってくれますか? 貴方は背負われることを恥じませんか?」「きっと……」僕は殴られた。「大丈夫です」僕はまた殴られた。「なんて言えば殴られませんか?」僕は目に血が入った痛みに耐えながら尋ねた。「悠貴ちゃん。辛いと思うけど我慢してね」と女の人は、抵抗できないほどに弱まった僕を仰向けに転がし、腹に乗った。「オリジナリティ、オリジナリティ、マジョリティ、マイノリティ、アイデンティティダイバーシティ、二項対立から相対主義、争いから不干渉へ、記憶の喪失、本音の消失、建前の建設現場、多文化共生」杖を三角形の頂点にして、リズムに合わせて僕の腹の上でぴょこぴょこ足踏みする女の人。僕は耐える事の出来なくなりつつある痛みから器官が機能を持たなくなる恐怖を覚えた。朝倉はひきつった笑いを耐えていた……。「僕はここで生きていくためにすべてを犠牲にしました!」痛みが僕に告白を求めた。「これまでの人生、やりたいことが一つもなく、目的意識がありまっせんでした」女の人の足踏みが止まった。それでも腹は酷く重たい。「仲の良かった友達も、今じゃ疎遠です。誰も僕を引き留めようとしません。捕まえてくれませんでした。僕はここに居たいです!」「ならばよし!」朝倉が女の人を介助して、畳の上に立たせた。「悠貴ちゃん、彼のこと頼んでいいかしら?」「もちろん!」朝倉の声が僕の傷口に染み込み治癒するように感じられた。僕は仰向けになり天井を走るネズミの音に耳を澄ませた。ネズミは罠を仕掛けられ殺されるが、僕は生き延びた。姿を見せないネズミについて、女の人は全くと言っていいほど関心を寄せていない。

「テツくん、おめでとう。早く手当てしないとね!」

 彼女の家に着くと僕は家族の一員に慣れたような気がした。明らかに男性が居ない平屋でおそらく僕は父親という役割を演技することになるが、その特権的な役割は権力を持たないことも明らかだった。彼女の母親らしき女の人は僕を抱きしめてくれた。彼女の妹は僕の太ももに非力なパンチを繰り出してくれた。彼女は少し離れた所から心底安心したように微笑みかけてくれていた。これで食卓の空いた二脚の椅子のうちの一つは僕の席になるように思われた。茜色の家族の中に僕は居た。記憶にある限り今まで体験してない家族だった。僕は熱い涙をこらえながら、精一杯の笑顔で彼女に答えた。視線がぶつかり合い、確かに繋がることができたと感じた。根拠はないが。

「それじゃ、自己紹介したほうがいいですか?」と僕は新参者としての体を取り続けながらも、自らが家族になったという確信によって馴れ馴れしすぎる確認を取った。彼女の母親らしき女の人が「そんなのいらないわ。だって、私たちはもっと深い所でつながっているのだから。木の根っこが土の中で絡み合いながら、崩れない土壌を作るように、すでに私たちは繋がっていたのよ。けど私の名前は…………」「お母さん!」彼女の妹が溌溂とした声を上げた。まるで裁判での主張のように張り上げて。「そうだよ、お母さんはお母さんだよ」「そうね、私はお母さんなんだから」僕はお母さんを呼ぶときには発生し慣れない言葉の瑞々しさを感じざるを得ないだろう。「お母さん、僕が鉄です。これからお世話になります」「よろしくね、くろがね君」

 僕を迎える夕食は昨日食べた献立と同じだった。そして僕は朝倉と一緒に料理を作った。僕は朝倉に包丁の手ほどきを受けながら、これが一年後、三年後と年を重ねるごとに熟練されていくのだとまだ来てもいない感慨にふけった。僕の手の皮が厚くなれば彼女の手の美しさの性質を変えるだろうか。僕は彼女のためならなんでもしたいと思った。そこにニイテンゴジというなんだか分からないモノは不要で全く関係がなかった。

 

 

ゴミ3(放棄)

 私の読み終えた小説の内に誰しもが共感できる文章がある事に皆は気が付いているだろうか? 百万部売れた小説の読者の内、どれほどがこの事実に気が付いているかは定かではないが、自分こそが人間という動物の全体であると錯覚させる後悔に満ちた言葉。大切な人が死ぬという、あまりに普遍的で、きわめて個人的な出来事のうちに、私は先験的な共感を示す。

読み終えてから感動のあまり、一人で食べる食事の席でさえ落ち着きを失い、箸やフォークといった道具を使わずに手で熱々の生姜焼きを口に掻っ込んだ(それはレンジでチンされたもの)。失われた熱を取り戻した肉が食道を通り胃に留まる感覚に、満たされた私は、満たされるという事自体に対しての反発心から、井戸に身を投げるように、一つの方向性を持った、抗えないほどの渇望を求める。

午後九時を回っても、未だ収まることを知らない熱に浮かされ、不意に今日は眠ることができないと分かった。そうして、私は初めて酒を買う決意をした。それは眠るための滑走路を用意するという意味のみならず、その熱をアルコールによって忘れるためのものであったはずだった。

薄暗い道を歩きながら自分が子供ではないことを理解した。小学生の頃は夜道を一人で歩くことなかったし中学生の頃は一人で歩くのは怖かった。しかし高校生になった今、歩いていると夜道の気味の悪さは薄れていた。

年を取ると、お化けや暗闇よりも、無能感や発生源のハッキリしない不安や、もっと身近に恐怖があること知っているからこそ、恐れを恐れるのだろう。しかし、と私は思う。しかし、あの感動物語の主人公ならば、恐れはしない。そして現実を受け入れる。最早、決定されたものであっても、それを受け入れる。もし、余命自体がなくなるという話の筋であるならば、私はこれほど勇気に満ちはしない。歯の痛みのように、どこかで治癒されるとすっかりなかったことにならない。この感動は後に引く。

民家のある道を抜けると田植えの終わったばかりの田園が光を反射して辺り一面の暗闇が和らいだ。点々と続くLEDの電灯やラブホテルのデジタルサイネージから発せられるピンク色の光が水面で跳ねて私の影を自転車収集場のトタン壁に張り付かせた。

コンビニにつき、なん十種類もあるアルコール類から私が選んだのはハイボールだった。コンビニの店員はただ奥に居る仲間との会話を再開させたいらしく、私の顔を見ることもなく手早くバーコードを読み取った。そして私は道中でストロングゼロ500mlを飲み切った。自分の足取りがおぼつかないことが、私を興奮させた。そう、私は酔っているのだ。

家につき、灯りの付いたリビングでもう一本、新しい酒を飲んだ。段々と私は解放された気分になり、裸になった。裸になると、風呂に入らなければならないと思い、実際に風呂場にタオルを持って向かった。

風呂場のむんとした空気の中で呼吸を繰り返しながら喉が痛むまで歌い続けた。それは明日になる前に、この他人に与えられた感動を自分自身が体験したものとして消化するための儀式でもあった。与えられた感動を一度、自身の中に取り込み、それを断片的に私は彼だったのだと、あるいは感動した! と自分自身に言い聞かせるような声だ。おそらく翌朝、登校する際に付近の住民たちは昨日の下手な歌声は私のものだったのだと理解し、意地の悪いほほえみを向けられる(自分も過去、そのような感情に襲われたことを懐かしむような)。しかし、私は酒に酔っていたと、自らの行動に理由を与えることができる。そして、確かに私は酔っているのだ。

余命の付いた女の子(顔は可愛く余命によって与えられたしなやかな性格)との共生を描かく平坦な物語は常に訓示めいた思いを呼び起こさせる。大切な人は死ぬ、だから、その時が来たら素直に受け入れるためにも毎日を頑張って生きよう、という。余命宣告された人と付き合っているという認識の下で、私は友達や両親や好きな人とキョウセイしよう。頭の中でキョウセイという語感が嫌に響き、それを誤魔化すために、私は掻きむしってシャンプーをした。そして頭から穢れを流し落とし、いくらかサッパリという感覚で、蛇口を捻って、水を止めようとしたが、さっぱり止まらなかった。さっぱり訳が分からないので、もう一度カランの方へと回すとシャワーは止まり、蛇口から冷たい水が出てきた。それが地面から顔を出した木の根のみたいに歪んでいる私の足の指に直に流れ、たまらず私は呻き声を挙げた。噛み殺した絶叫は風呂場に響き、やがて倍音がかった鼓膜にするりと入り込む音に変化し、その心地のよさに酩酊した私の身体は横へと傾いだ。慌てて浴槽の縁に縋ったが、つるりと滑り、私はそのまま湯の中へ滑り落ちた。

 

目が覚めたまま目覚まし時計のアラームを切った時の私は、昨夜の転落によって生まれた腰の痛みのせいで夜の表層を味わう羽目になり、浅い眠りをねむりつづけた人間にありがちな諦観で満ち満ちた倦怠を感じながら、朝練がなくなればいいのにとぼんやりと雨を待ち望んでいた。そうすれば、動かずに済むのだから。

寝返りを打つたびに痛みが意識を引っ張り上げるので、カーテン越しのチェックの日差しが布団の上に映し出される頃、むくりと起き上がった。それからカーテンを開いた。微かに人の音がした。両親は既にリビングで朝のニュースを聞き流しながら黙って朝食にありついているのだと察した。

──誰も喋らない朝。

それは明確な意思を持って言葉を発さないというわけではない。ただ、話したいと思えないから、話さないのだ。その消極性は、私にはどうしようのないものである。決められた席に座り、両親に語り掛け、それが誘い水となって幼少期の家庭を演じ直すことはできないのだ。だが、寂しい家族だとか、冷たい人間だとか悲しい言葉を当てはめて片づけたくはない。そう、おそらく二人は正直なのだ。好きだった人間を、好きでいられなくなったのを隠すことができないのだ。自身に嘘をついて相手を好きであると思い込むこともできない。つまりキョウセイはできないことを理解している。そう結論付けると、胸のあたりがスースーしたので小説を読もうと思った。あの心温まる感動の物語。そこでは私を大切にしてくれる人がいて、私を引き留めてくれる友達が居て、思い悩んだらそれを察して声を掛けてくれる両親が居る。あり大抵に言えば、私は感動物語の主人公になりたい。私は私の物語の主人公になりたくないのだ。私の物語に幸せが訪れることはない、と私が思っていると、私は理解した。なぜ私は、そう思ってしまうのだろうか。

連想──自分の物語に嫌気がさしたとこと。私が乙倉さんのことを好きだからだ。あのマネキンのような手足が長く、身長も高い乙倉さん。それでいて顔には絵のような美しさがある。人形。あの陶器のような肌に指を這わせることができるのならば、私は人形を通じて、その感触を確かめることによって、他のあらゆる物事を頭から消し去ることができるはずだ。没入。滅多に訪れる事の無い、思い返した時に至福であったと思い当たる時間。過去。現在とは切っても切れないものであって欲しいが、現在と過去は繋がらない時がある。

回想──高校校の入学式に遅れてやって来た乙倉悠貴は、同じく寝坊した私を見て湖畔の花々のように、てんでばらばらの癖に統一性のある微笑みを浮かべた。それは色とりどりであるのに、畔という場所性を与えられることによって、すっと腑に落ちる光景へと変化し、今思うと、あの笑みは乙倉悠貴という人格によって落ち着くべき場所に落ち着いた、という印象のあるものだった。そして、私は仲間を見つけた安心を源とする笑みを返した。

そのような回想を経て私は、乙倉悠貴との関わりがあるという一点が、私を安定させるのだと理解した。改変された記憶である可能性を認めはするものの、その印象は最初から現在に至るまで変わることがないと確証を持って答えられる。もしも乙倉さんが物語なのだとすれば、その印象は彼女を貫くテーマであるだろう。

両親が家を出ていくと私はリビングでコーヒーを飲んだ。コーヒー豆をミルで挽いてから一杯分だけドリップし、カロリーメイトを食べた。家族のテーブルにおいて私の座席は窓側の席であったが、その席にはクッションのような痛みを和らげるものが敷かれていないので、立ったまま朝食を食べていた。窓の外を眺めると、部屋の隅にたまった埃のような雲が頭上にあった。雨が降り出していた。灰色のコンクリートが黒く染まっていく。

不意に今日は学校を休もうと思った。今日は動きたくない。そうと決めたら学校に電話を入れた。そして、今日は休みになった。風邪をひいたという嘘を言うと担任は「安静にしてくださいね」と言った。

何か特別な理由があったわけではないが、落ち着く場所が欲しくなった。学校をさぼったという罪悪感が残り、やっぱり学校に行くべきだと思ったが、今更仮病でしたなんて言った日には教師からの信用は失われるだろうから、この居心地の悪い場所が、私の居場所なのだと諦めるほかになかった。

ソファに腰かけていると漠然とした不安が私を襲い呼吸の仕方をうっかり忘れさせたが、制服を着ることによって、その不安は取り除かれ、薄い胸が大きく膨らんだのを認めると、安心して息を吐いた。私は「学校をさぼった学生」であると自身を位置づけると、同じように「学校をさぼる学生」は他にも数多く存在すると信じれたので、私は安心を抱けた。「パジャマを着た人間」だけだと、属するカテゴリーを限定できないため、不安だったのだと思った。制服を着ることで自分が誰なのか理解することができる。言い換えると自分を社会の一構成要素として位置づけることができる。眠る前の私は、誰でもなく、ひたすらに私だったが、学生服という外部から与えられたものを身に着けることで、安心した。そして心地の良いまどろみに落ちていった。

妄想──「私は私」とぶつぶつ言いながら部屋の隅の陰になれる場所で体育座りをする人間。「私は私」それ以上なにも説明できない苦しさに苛立ち、「私も私も私」増殖していき、「私は私で私だから私は私は私は私は」と窒息する。あるいは窒息しそうな宙を漂う。外部が存在することもないし、自身をより大きなものへと還元することもできない。

右に身体が傾いで、同じく右足を踏み出し自重を支えた。酷い酔いと似ていた。もういっそ眠りたいと思った。眠っている最中は、すべてを忘れることができる。私はソファに沈んだ。そして、目を瞑った。

雨は午後には止んでいた。目の前には同じようにマンションが建っているので、虹が見えるかと期待しても、見ることはできない。

インターフォンが鳴り、画面越しに乙倉さんの姿が見えた。少し浮かれると同時に、キョウセイしなければならない、という思いが私に湧いた。しかし、私は話すだけならば大して問題にはならないだろうと判断した。率直に言えば、私は乙倉さんの声が聞きたかった。

「何しに来たの?」と言った後、冷たすぎると思った。もっと暖かく彼女を迎えた方が良かった。だけど、後悔しても遅い。だけど、乙倉さんは冷たくされても張り付いた笑顔を崩さずに「ちょっと心配になって」と言った。その単純さが私を喜ばせた。そうなのだ、用件があればlineで済むのだから、誰かが家にやってくることなど稀有だった。それにも関わらず、心配という理由だけで彼女は家まで来てくれた。本当にそれだけ? そのような期待を私は直ぐに打ち消した。キョウセイしなければならない。いや、しかしキョウセイするならば、向き合うべきで私が乙倉さんを家に上げることは将来的に正しい選択なのではないだろうか? 結局、私は誘惑に負けた。

「なんだろう。家に上がる?」

「あ、じゃあ、ちょっとだけ」

 彼女をリビングに通して、お茶を出した。彼女は制服だった。点けっぱなしのテレビから怒りを滲ませた中年の演技が聞こえた。私はテレビを消した。そこで乙倉さんは私は私に言った。

「風邪なんでしょ? ごめんね、昨日のせいだよね」

「いや、本当は仮病だったんだよね」

「え、そうなの?」

乙倉さんが歯を見せて笑った。私はそこに歯列キョウセイの器具が装着されていた。私がしばらくそれを見ていると、乙倉さんの手は静かに私の手から離れて口元へと寄せられた。

 想像──今、乙倉さんも私と同じように人に見られたくない部分を持っている。誰にも見られたくないけれど、剥き出しになってしまう時があるのだ。そして、それを隠した。事実として歯列キョウセイしているのに私が気付いても、隠さずにいられない。つまり、それを恥であり隠さなければならないのだと彼女は思っている。

 

 

 

 

 母親から痴呆や延命処置を受けるような状況に陥ったのならば、すぐさま殺してくれと言われ続けてきた私は、植物人間という言葉について、いくらかの反発を持つ。